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オトコノコ、オンナノコ(志水桂一×冬海笙子)

「ちょっと、土浦君! 冬海ちゃん怯えちゃってるじゃない! そんな怖い顔で近寄らないでよ!」
 音楽室に響き渡る香穂子の声。
「あぁ!?」
 香穂子のむこうがわに立つ土浦の眉間に更に深く皺が刻み込まれる。それを見て笙子は香穂子の背中に隠れるように更に身を小さくする。
「だーかーら! 土浦君の機嫌が悪いのは勝手だけど、それが人を怯えさせてるんだってば!」
 笙子は素直に感心する。香穂子はあの怖い顔の土浦にも怯むことなくはっきりとものを言う。香穂子のようになれたらいいと思うが、到底無理だ。
「んなの、知るかよ」
「ほらあっち行ってよ!」
 まるで虫でも追い払うかのように、香穂子は手をひらひらさせた。
「言われなくてもそうするさ。訳もなく怯えられるのはこっちだって気分のいいものじゃない」
 吐き捨てるように言って、土浦は踵を返す。土浦の言葉に、笙子は息を詰めた。胸に刺さるような鋭い言葉。
 でも、事実だ。
「何よ、あの言い方! ひっどいよね」
 ぷいっと香穂子は土浦から顔を背け、笙子のほうを振り返った。
「大丈夫? っていうか何もされちゃいなんだろうけど………」
「は、はい………」
 小さな声で頷く。
「土浦君、時々極悪な顔になるもんねぇ………。あれはちょっと怖いよね。元は悪くないんだからさ、もう少し愛想ってものを覚えたらいいのにね。女の子にはもう少し柔らかく接するべきだと思う。友達とかには笑顔を見せるんだから、出来ない訳じゃないだろうに」
「で、でも………土浦先輩の言うこともわかりますから………」
「そうは言うけどさぁ………」
 香穂子はやれやれと言わんばかりに腰に両手を当て、ため息をつく。
 今日も土浦にぶつかられて怯えているところをたまたま通りかかった香穂子が庇ってくれたのだ。怯えているだけで、謝罪の言葉すら出なくなってしまった笙子を。
 自分でも何故これほどまでに土浦が怖いのかわからない。いや、土浦だけではない。男性というものが怖いのだ。自分より大きくて、敵わないもの。これまでに悪意を向けられたことなどないのだが、怖いと何よりも先に思ってしまう。父親は大丈夫だが、他の男の人は怖い。
 小学校までは大丈夫だった。多分、男の子と女の子の差というものをあまり感じなかったから。
 しかし、いつしか男の子と女の子には違いが出てくる。自分と違うもの。わからなくて―――怖い。
 駄目だと解っていても、どうにもならない。
「う~ん………困ったものだね」
「すみません………」
「あっ、別に謝ることじゃないって! けど」
 香穂子が言いたいこともよく解る。このままじゃ駄目だってこと。笙子だってちゃんと解ってはいるから。
「冬海さん」
 音楽室の端で向かい合って難しい顔をしている香穂子と笙子の間に割って入ってくる声に振り向けば、志水がゆっくりとこちらへ向かって歩いてくるところだった。
「あ、日野先輩も。こんにちわ」
「こんにちわ」
 香穂子の返事を待たずに志水は冬海のほうを向く。
「冬海さん。先生が職員室まで来て欲しいって言ってたよ」
「あ、ありがとう。………そのためにここに?」
「金澤先生を捜していたら、ここだって教えてもらったついでだから」
「そうなの………」
「じゃあ僕はこれで。日野先輩、失礼します」
 ぺこりと頭を下げると、来たときと同じ速さで二人の傍を離れていく。目でしばらく追っていると、二人がいるのとはちょうど対角線上に当たる位置に立っている金澤のほうへまっすぐに向かっていた。
「ねぇ、冬海ちゃん」
「はい?」
「冬海ちゃんって男の人が苦手よね」
「………はい」
「でも志水君は平気なんだね」
「え?」
 志水から視線を外して香穂子のほうを見ると、香穂子はとっくに笙子を見ていた。
「今も思ったけど、志水君とは普通に喋ってるから」
「あ………」
 言われてみればそうだ。
 志水に対しては、他の男の人に抱く怖いという感情がない。普通に会話も出来る。………会話が成り立っているかどうかは別として。
「クラスメイトだし………同じコンクール参加者で、よく、話すから………?」
 言いながらも語尾が疑問形になってしまう。
「男っぽくないから、かなぁ? 可愛いもんね、志水君」
「か、可愛い………?」
 香穂子に同意を求められたが、頷けない。怖いと思ったこともないが、だからといって可愛いと思ったこともない。
「ほら、おっとりしてるし。取って食うぞ! みたいな勢いもないし。男の子にしては小柄でしょう? 土浦君は大きすぎるし、ごついけど。正反対だよね」
 言われてみればそうかとも思う。
 男らしくないと思ったことはないけど、男だと意識したこともない。
「志水君みたいな子が一人でも参加者にいてくれたのは良かったね」
 香穂子が笑顔で言うから、つられて笙子も笑顔になる。
「はい。でも、私は日野先輩が参加者だってことが一番嬉しいです」
「………冬海ちゃん」
 香穂子の目が丸くなる。
「はい?」
「抱きしめてもいい?」
「えっ!?」
 頷く間も無かった。
「冬海ちゃん、可愛いっ!」
 そう言うやいなや、香穂子はがばっと笙子に抱きついてくる。
「あ、あ、あの、ひ、日野先輩………っ!」
 ふわりと鼻腔をくすぐる甘い匂い。香穂子の髪の毛からだ。
 香穂子の行動には驚いたが、しかしその一方でその匂いは心地よかった。柔らかい、女の人の匂い。
 自然と安心できた。

「志水君………風邪引いちゃうよ?」
 屋上にて。
 人が多いのは苦手なので屋上で練習しようと上がってきたが、曇り空だった。風も幾分冷たい。長時間練習するには辛いかも、と思いつつも屋上を一回りしているうちに、ベンチに座ってゆらゆら揺れている志水を見つけたのだった。
 志水は膝の上に本を広げたままうたた寝している。
 寒く、ないのだろうか。
 屋上を吹き抜ける冷たい風が志水の髪をふわふわと弄んでいく。風に乗って清潔そうな石けんの匂い。志水からだろう。
 香穂子の言葉を思い出す。
 ―――男っぽくないから、かなぁ? 可愛いもんね、志水君
 可愛いかどうかはともかく、いわゆる男らしさからは遠い気がする。こんなこと、志水には失礼かもしれないけど。
 身体の線も細いし、チェロを抱えているというより抱えられている感じ。
(だから、平気なのかな………やっぱり)
 首筋も白くて細い。指も細くて長くて、綺麗。思わず自分の指と見比べてしまうほど。
 男臭さ、というものから遠いところにいる気がする。
 そして、それはこれからも変わりそうになく。
「志水君」
 軽く肩に触れた。
「はい?」
 すぐさま声が返ってきたのでぎょっとして身を引く。
 寝ていたわけではなかったのか。
 だが、それにしては次の動作がない。そうっと顔をのぞき込むようにして見ると、目は依然として伏せられたままである。
「………………?」
 再び頭が揺れ始めた。
「志水君?」
「………………………」
 今度は返事がない。
「志水君………」
 もう一度肩に触れる。今度はさっきよりも少し強い力で揺すってみた。
「………………あぁ………」
 ゆっくりと瞼が開き、頭が持ち上げられる。
 半開きの目が回りを確かめている。その間、笙子はじっと志水の行動を見つめていた。
「冬海さん………何か?」
 傍に笙子が立っていることにようやく気づいたようだ。
「あ、あの………用事は無いんだけど………こんなところで寝ていたら風邪引くと思って」
「そうかな………」
 まるで他人事である。
「今はコンクール中だし、体調管理も大事だから………」
「それはそうだね」
 それっきり会話が途切れる。
 でも、嫌な沈黙ではなかった。これが他の人だったら、話をしなきゃ、何か言わなきゃと焦るところなのに、志水相手だとそう思わない。
「変なの………」
「何が?」
 志水が反応して、それで初めて自分が声を出していたことに気がつく。
「えっ?」
「何か変? この音楽理論の本、僕にはわかりやすいんだけど………」
 志水の反応こそ変なのだが、笙子はそれには気づかない。
「あっ、えっと、志水君とは普通に話せるなって思って、それで」
「そう言えば、この間冬海さんが借りていた本、あれ僕も読んでみたんだ。面白かったよ」
 会話が噛み合っていないような気がする。気がする、ではなくて噛み合っていない。
 ふっと笑いがこみ上げてきた。肩を微かに揺らして、笙子は笑う。
 口元を抑えながら笑う笙子を、志水はきょとんとした目で見ている。
「何かおかしい?」
「………ううん、何でもない」
 こみあげてくる笑いを抑えられないまま、笙子は言葉で否定する。態度が否定し切れていなかったが。
「?」
 志水は軽く首を傾けた。
 その仕草が―――可愛いと、笙子はそう思ってしまった。香穂子が言っていた意味が、わかった。
「それで何か用事?」
「え………?」
「あ、練習に来たんだ。うん、屋上はいい………」
 さっき、用事はない、と言ったはずなのだが、どうやら志水の耳には届いては居なかったらしい。
「今度のコンクール、『メロディ』を弾こうと思ってるんだ」
「あ………私も一緒………」
 しばらく『メロディ』について言葉を交わす。作曲者の話になったり、編曲について意見しあったり。
 志水の横に腰掛けて、笙子は手の中で楽譜を広げた。
「うん。そのフレーズは外したくないね」
 志水は横から遠慮無く楽譜をのぞき込んでくる。笙子も、志水が見やすいようにと楽譜を志水のほうに傾ける。
「でも、ここは入れないほうが、曲がすっきりまとまると思うんだけど………」
「そうかな。テーマが『切なきもの』なんだから………」
「あっ」
 笙子の上げた声に、志水の言葉が途切れる。
 突如強く吹いた風に煽られて、笙子の手の中にあった楽譜が一枚宙を舞う。楽譜の一部を指さすために、片手で楽譜を持っていたのだが、その持ち方に問題があったためだ。
 遠くに飛ばされないうちに、と素早く立ち上がって手を伸ばした笙子の動きは確かに正しかった。
 だが、周りが見えていなかった。
 楽譜の行方だけを目で追って、そちらへ賢明に手を伸ばした結果。
「きゃ………」
 志水の膝に、笙子の膝が引っかかる。そのまま身体が前傾した。―――志水に向かって。
 転ばないように、と思って両腕をバタバタさせたが、その行為には何ら意味がない。ただ、足掻いているのがわかるだけ。
「わ、わっ………」
 ぼすっ、と籠もった音を立てて、笙子の身体は志水の胸に倒れ込んだ。
「大丈夫?」
「………………」
 ぼうっとなって、咄嗟の反応が出来ない。
 ほとんど全体重を志水にかけている状態だった。
 そして、それを志水はしっかり受け止めているのだ。
 笙子の体重をかけられて、若干後ろに下がっていても、ベンチからひっくり返って落ちることはなかった。
「大丈夫?」
 もう一度、志水が気遣う声が耳元で聞こえて我に返る。
「ごっ、ごめんなさいっっ」
 がばっと身体を志水から離そうとしたが、足を踏ん張っていなかったため、下へずるりと滑って膝が地面に着く。志水からは離れたが、ぺたんと座り込むことになった。
 顔が熱い。間違いなく、今笙子の顔は真っ赤になっている。
 恥ずかしさで。
(どっ、どうしよう!!)
 顔を覆う。
 どっと汗が噴き出す。
「冬海さん?」
 頭上から変わらない志水の声。
「は、はいぃっ」
「どうかした?」
 どうかした、どころではない。恥ずかしくてしょうがない。
 このままずっと顔を伏せたままでいたかったが、そうもいかなかった。
 笙子の周りの空気が動いて、志水が動いたのがわかった。笙子を避けて、ベンチから志水が離れる。
 顔を上げて、笙子はその動きを追った。
 ゆっくりと歩いて、志水は笙子からも離れていく。
 ベンチの裏側で腰をかがめて、何かを拾い上げる。その手には、紙―――楽譜だ。
「あっ」
 そもそも笙子は飛んでいった楽譜を追っていたことを思い出した。
 今、自分の手の中には楽譜が一枚もない。倒れた拍子に全て手放してしまったからだろう。そのことを笙子はよく覚えてないが。
 一枚、二枚と志水は楽譜を拾い集めていく。最初に笙子の手を離れた楽譜は屋上の入り口近くまで飛んでいっていた。
「これで全部」
 未だ吹く風に翻弄されることなく、志水は全てを拾い終えて笙子の傍まで戻ってきた。そのときまで笙子はへたりこんだまった。
「ありがとう」
 そろそろと立ち上がって、楽譜を受け取る。
 志水の顔を正面から見ることができなかった。うつむき加減に、楽譜だけに目を向けて手を伸ばして。
 細い指が、楽譜を掴んでいる。
 さっき、志水を起こす前にじっと見つめていた指。なのに、どうして違って見えるんだろう。
 楽譜を受け取ったままの姿勢で、笙子は身動きが取れなくなる。今の出来事を思い返してまた熱くなった。今度は顔だけではなくて、体中が。
 自分の身体に感覚が残っている。志水に受け止められた時の、志水の………。
 考えて、更に体温が上昇する。
 強い、力。笙子を受け止めても、傾がないだけの力。
(違う………)
 男の人、だ。
 ドクン、と笙子の胸が大きな音を立てた。そのままドキドキと音を立てて打ち続ける。
「あ、六時だ………」
 のんびりとした志水の声。
「帰ろうか、冬海さん」
 でも、もう今までと同じには聞こえない。
 笙子は楽譜をぎゅっと胸に押しつけて抱え込んだ。

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