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「いい加減、泣きやんだら? 火原」
半ば呆れが混じった言葉を柚木は隣に座る火原に掛けた。
「うぇっ………だ、だって………」
火原は反論もままならない。言葉をうまく口に出せないからだ。
その代わりに出ているのは涙と鼻水。手に握られたくしゃくしゃのハンカチはそれらを含んで、もう本来の機能を果たせそうにない。
先ほど卒業式を終えたところだった。これから教室へ戻って担任の最後の言葉を聞いたりするはずなのだが、火原が落ち着くまでと思っていったん屋上へと出てきた二人である。
卒業式の最中、卒業証書を受け取った後から火原の様子がおかしくなった。席に戻った火原が泣いていると気づいたのは、柚木が卒業証書を受け取って席に戻る途中のこと。火原のいるあたりが微かではあるがざわめいていたからだ。火原の近くの人たちは、火原につられてしんみりとなっているか、火原が泣いているのを見て笑いを堪えているかのどちらかの反応をしていた。それでなんとなくそのあたりの雰囲気が騒がしく感じられたのである。
感極まった、そういうことだろう。
ぼろぼろと火原の目から零れる涙、遠慮無く垂れる鼻水。
ずずっと鼻をすすり目をこすりながら、火原はようやく言葉を紡ぎ出した。
「だって、もうこれでみんなと一緒に過ごせるのは最後だって思ったら………」
涙が出てしょうがない、というわけか。
今、火原の脳裏にはこの高校生活で得た思い出が駆けめぐっているのだろう。
持ち前の朗らかさから音楽科、普通科という隔たりをものとせず多くの友人を作ってきた火原。三年生になってすぐに参加することになってしまった学内コンクール以降には、音楽科と普通科の垣根もだいぶ低くなった。それに伴い、火原の交友関係も更に広まっていたようだ。
そして火原のことだから、逐一誰とどう過ごしたか、どんなことがあったのかを覚えているのだろう。
柚木とは別の意味で。
柚木もまた顔が広い。そして柚木にとっても、誰といつどこでどう話したか、何をしたかということは記憶に留めておかねばならない事項だ。次に同じ人物と会ったときに、それが誰だったかを思い出せないようなことがあってはならない。
だが、それは思い出と呼ぶには相応しくない。ただの情報だ。
そこが柚木と火原の違い。
「ゆ、柚木はさ」
話しかけられて、柚木は自分が物思いに耽っていたことに気づく。
「何だい?」
微かに口元に笑みを浮かべて火原に応えた。
火原は真っ赤にした目を柚木へとまっすぐに向けていた。
「寂しくないの? みんなと別れるんだって思ったら、悲しくならない?」
ようやく小康状態となったかと思えば、なんという質問をしてくるのだろう。
時折、こちらが戸惑うような発言を火原はする。
それが意図的ではないものだから、質が悪い。
「悲しくないわけがないだろう? 大切な三年間を共に過ごしてきたみんなと、同じ時間を共有できなくなってしまうんだからね」
言いながらも、自分の言葉の嘘くささに笑いがこみ上げてこようとする。
それでも火原の視線を真っ向から受け止めて、柚木は真剣な顔を見せて応える。口元に火原を落ち着かせる笑みを浮かべながら。
「でも、火原。その分思い出はたくさん残っているよね。だから、大丈夫だよ」
「そっか………そうだよな」
柚木の言葉に納得して、火原はうんうんと頷いている。
「みんなと別れるのは寂しいけど、二度と会えないわけじゃないし。うん、思い出だったらおれいっぱいあるよ」
火原はいつもの調子を取り戻し始めているようだ。
まったく、世話の焼ける………。
思えば、火原との付き合いは世話を焼いたところから始まっている。
入学式の日に遅刻をした火原は、一人列を離れていた柚木に助けを求めたのだ。先輩と勘違いをして。
新入生が座る場所まで火原を誘導したのが、最初のきっかけ。
その後、同じクラスであることが発覚、それ以降三年間同じクラスで、何かと面倒を見ることがあった。頼りないわけではない。だが、放っておくと何をやらかすのかわからない。放っておけば良いのに、そうできなかった。
火原はいつでも楽しそうに笑い、本気で怒ったり泣いたりしていた。感情をそのままに外へ出していた。
時々それがかんに障ることもあった。
だが、それでも火原と関わることを止めることはなかった。
「高校生になって一番最初に出来た友達が柚木だよ」
火原は周りにそう言って憚らない。
平然と柚木を友達だと言う。
何の躊躇いもなく。
柚木も人に尋ねられれば、火原は大切な友人だと応える。
意外な取り合わせだと思われることもある。そう言われたこともあった。そんなときは、「そんなことないよ」と笑顔で返していた。
しかし、火原が柚木に対して心を開いているように、柚木は火原に対して心を開いてなどいない。
いや、火原にだけではない。誰に対しても、だ。
それなのに、友人だと言えるのか。
こんな柚木のことを、火原は全く想像もしていないだろう。
どうということはない。
本性を隠してきたのは自分のほうなのだ。本性に気づかれるほうが困る。
だが。
この心に残る、しこりのようなものは何だろう。
気のせいだと笑い飛ばすことも出来そうなくらい、小さな小さなしこり。けれども、一度気づいてしまうと、そのまま見過ごすには気になってしまうもの。
後悔?
まさか、と即座に否定する。
何に対して後悔していると言うのだ。
何の問題もなく、優秀な生徒のまま卒業を迎えようとしている。予定通りだ。
柚木の進路を邪魔するものは何もない。敷かれたレールの上。先のことを心配することもなく、予測可能な将来の為に、ただ進む。柚木個人の意志など関係なく。面白味も何もない、道。
それでも、それは柚木が選んできた道。
それでいいと、そうやって歩いてきたのだ。
柚木の本性を押し隠して。
それを今頃になって、気にしている。
気持ちのままに涙を流し、思い出に笑う火原を横にして。
同じ世界も、柚木と火原では大きく違って見えることだろう。
同じ景色が火原にはどう映っているのだろう。
火原にとって、世界は希望に満ちあふれているに違いない。
「火原の未来は何色なんだろうね」
「へっ?」
きょとんとした火原の声に、我に返る。思ってもいなかった質問が口をついて出ていたことに、それで気づく。
火原の涙はもう止まっていた。涙の後をごしごしこすって広げながら、火原は柚木を見る。
「おれの未来の色?」
反復されると、自分の質問がいかにばかげていたかを突きつけられて、いたたまれない。
「いや、何でもないよ。気にしないで」
一度出てきたものは撤回するのが難しい。だから、そう言って流してしまおうと思ったのだが、火原が相手ではそれもままならなかった。既に火原は考え始めている。
「未来の色、かぁ。考えたこともなかった。う~ん、そうだなぁ………」
腕を組んで、眉間に皺を寄せて真剣な火原の顔。
やがてそれはぱっと晴れやかな笑顔に変わる。
「虹色だよ! うん!」
元気いっぱいに答えをはじき出した火原は、青く澄んだ空へと視線を転じる。
「楽しいことはもちろんいっぱいだと思う。楽しいことばっかりだと、幸せだよね。でも、きっと楽しいことだけじゃなくて、辛いことも悲しいことだってあるはずだもの。だから、いろんな色がありそうな気がするから、虹色」
咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
それほどまでに火原の答えは意外で、でも火原らしい―――。
「火原の未来は素敵だね。羨ましいよ」
するりと柚木の口からそんな言葉が零れる。
咄嗟に口元を手で押さえていた。
らしくない。
そんな言葉が、考えもせずに出てくるなんて、柚木らしくない。羨ましいなんて、言葉。
だが、一度出てきてしまったそれは柚木の真ん中にすとんと落ちた。
そうだ。
羨ましかったのだ。
火原が。
だから、三年間一緒に居続けた。居続けられた。柚木と正反対で、気が合わないと思われていても。時々、自分もそう思うことがあっても。
柚木は火原のようにはなれない。なりたいとも思わない。柚木は柚木で、火原は火原だとわかっているから。
わかっているからこそ、羨ましい。
こんな気持ちが自分の中にあったことが驚きだ。
火原は思いも寄らない自分を発見させてくれた。
これから先も、火原は柚木に意外な自分を発見させてくれることがあるだろうか。
それを思うと、火原ともうしばらく付き合ってもいいと思える。
こんなこと、わざわざ思わなくとも火原のほうはそのつもりに間違いないだろうが。
「柚木は?」
「うん?」
火原が問いかけてくる。
「柚木の未来は何色?」
瞳をのぞき込むように、下から顔を突き出している。
涙がすっかり乾いた瞳がキラキラと柚木の言葉を待っている。
「ふふ………」
柚木はその口元に笑みを浮かべる。
「さぁ、何色だろうね」
はぐらかす柚木に火原は口をとがらせたが、すぐに笑い出す。
「何色だっていいか! きっと柚木の未来も綺麗な色だよ。うん」
すくっと火原がベンチから立ち上がる。
「よし、行こう! ホームルーム始まってるね」
完全に復活した火原の言葉に詰まっていた柚木は、「一体誰のせいでここにいたと思っているんだ」という言葉を飲み込んで、静かに立ち上がった。
「そうだね、行こうか」
先を歩き出した火原の後について屋上を出る。
一段飛ばしで階段をリズミカルに下りていく火原の背中に、柚木は呼びかける。
「火原」
「何?」
階段の途中で片足を浮かせたまま、首だけ火原は振り返る。
「これからも宜しく」
「こっちこそ!」
柚木の言葉に、火原は何の躊躇いもなく即座に答えて返してきた。
「これからも宜しくな!」
再び階段を勢いよく下りだした火原のその背中を、柚木は微笑んでゆっくりと追った。
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