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少し前から、その美味しそうな音は聞こえていた。その発信元を目で確認することが出来る距離まで近づいたとき、香穂子は天羽と顔を見合わせると、何も言わずただにっこり笑い合って、一目散にそこへと走っていった。
「やっぱ寒いときはこれに限るわよね~」
手の中で熱々の石焼き芋を転がしながら、公園のベンチに並んで座る。
「うん」
ほかほかと湯気を立ち上らせる焼き芋を前に、笑みを禁じ得ない。
「美味しそ~」
香穂子より一足先に皮を剥いた天羽は、湯気が立ち上る焼き芋に早速かぶりつこうとしていた。香穂子はまだ熱さに焼き芋を転がしている。
「あつっ」
そう言いながらも、天羽の表情は幸せそうだ。早く香穂子も食べたい。
しばし無言で焼き芋を頬張っていた二人だったが、身体も暖かくなってきて少し落ち着くと食べるより喋るために口を動かし始める。
「しっかし、やっぱりいけ好かないわ」
「吉羅理事長のこと?」
「そう」
天羽の強い頷き方に香穂子は苦笑する。
昨年、星奏学院は普通科と音楽科が分裂するという危機に襲われた。その危機を救ったのは香穂子を初めとするコンクール参加者たちであったが、危機に陥れたのは理事たちだった。当時はその中の一人だった吉羅は、何かあるごとに香穂子たちに一つ二つ苦言を投げかけてきていたわけだが、それが天羽にはカンに障っていたようだ。
香穂子も当初は天羽と同じように思っていた。だが、最終的に学院分裂の危機は免れたわけだし、吉羅には吉羅の事情やら考えやら想いがあったことを香穂子は知ったから、今では吉羅に対して負の感情は持っていない。
天羽も、ただ吉羅が自分たちにとって敵であるとはもう思っていないだろうし、分からず屋ではないこともわかっているだろう。それでも、天羽は吉羅の存在をあまり快くは思っていないのだ。
こればっかりは香穂子にはいかんともしがたい。
「香穂はなんだかんだで、理事長とうまくやってるよね」
そう言うと天羽は、ぱくんと一口冷めてきた焼き芋を頬張る。
「うーん………うまくやってるかどうかはわかんないけど、吉羅さんそんなに嫌な人じゃないんだけどな」
「うん。香穂を見てたら、そうだろうなーとは思うんだけどさ。どーにもこーにも駄目なんだわ」
天羽は肩を竦める。
勿体ない、と思う。
確かにちょっと難があるところがあるのは否定しないけれども、少しずつ吉羅がわかってくるとその難も微笑ましいものに思えてくるのだ。
「むしろ、どの辺が理事長のいいところなのか教えてくれない?」
「そうだなぁ………」
焼き芋を持った手を下ろして、遠くを見つめた。
「好きな曲が『ジュ・トゥ・ヴ』っていうところは、可愛いと思うんだ」
「は?」
「何か特別な想い出があるのかもしれないけど、弾いてると嬉しそうに聴いてくれる時があるよ」
「ごめん。どの辺が可愛いのかわからないんだけど。そもそも『ジュ・トゥ・ヴ』って曲がわからない」
「うん。私もこの間まで知らないと思ってたけど、曲を聴いたらわかるよ。明日CD持ってくるから聴いてみて」
「ありがと………って、それは嬉しいんだけど、曲を聴いても理事長の可愛いところってわかんないと思う」
「ううん。わかるよ。だって、可愛い曲だもん」
「へえ」
天羽はびっくりした顔を見せる。可愛い曲と吉羅が簡単には結びつかないからだ。
「それにね、タイトルの『ジュ・トゥ・ヴ』の意味って『あなたが欲しい』っていうんだよ。何だか意味深じゃない?」
「マジで!? それはただならぬ過去を感じるわ! 何かあるわね」
天羽の目が輝き出す。記者魂に火が付いたらしい。
「すっごい辛い恋をしたことあるとか、いやむしろ熱烈な恋をしたことがあるとか!? いや~想像できないわ!」
盛り上がり始めた天羽に、香穂子はついて行けなくなった。
正確に言えば別のことに捕らわれ始めていたから、対応出来なかった。
今の天羽の言葉を聞いた香穂子の胸が、きゅっと小さな痛みを覚えたのだ。
香穂子よりずっと年上の吉羅がこれまでに恋愛をしたことがないわけがないとわかっているのに、それが面白くない。今の天羽の言葉はただの天羽の想像だけれども、それでも欲しいと強く思うほどに誰かに特別な想いを抱いたのかも知れないと、そう考えるだけで心はざわめく。
吉羅が好きな曲だと言うから、この曲について調べたりもしたのに、まったく思い至らなかった。天羽が今そう言うまで、そのことに気がつかなかった自分も自分だが、こんなに心を乱されるのならいっそ気がつかないままでいたかった。
(私は―――)
「何やら楽しそうな話をしているね」
唐突に割り込んできた声に、香穂子は心臓を鷲掴みされた気分になったし、天羽は目を白黒させた後、顔を歪めた。揃って背後を振り返る。
そこには、吉羅が立っていた。香穂子たちを見下ろしている。
「何でこんなところに………」
天羽が口にした言葉に、香穂子も内心で頷く。天羽とは少し違う気持ちではあるが。
「いてはいけないかね? 私とて公園に立ち寄ったりするものだよ」
「はぁ………そうですか」
「焼き芋か。美味しそうだね」
天羽の反応に構わず、吉羅は二人の手元を見つめて口元を歪める。
笑ったのだ。
「食べますか?」
「いや。必要ない」
「そうですね。似合いそうにないですね」
「どうしたんだ、日野君。さっきから黙りっぱなしだが」
会話になり得ていないやりとりを聞き流していた香穂子は、吉羅に話しかけられて慌てる。それまでじっと吉羅の顔を見つめていたこともまた、余計に香穂子を慌てさせる。
「ど、どうもしないです!」
明らかに嘘とわかる口調だったが、誰もそのあたりを突っ込んでは来なかった。それが逆に居たたまれない。
何故なら、今、香穂子は吉羅への想いを認識していたからだ。
言葉にして二人にそのことを明らかにしたわけでもないのに、急に話しかけられただけで恥ずかしかった。
「そうか。ならいい。それでは、二人とも余り遅くならないうちに帰るように。まだ日が暮れるのが早いからね」
「はぁい」
天羽の返事を聞いて、踵を返す吉羅を見送る。
その姿が完全に見えなくなって、天羽がホッと大きな息を吐いた。
「あーびっくりした。さっきの聞いてたかな。まっずいなぁ………」
ベンチの背にもたれかかりながら、すっかり冷めてしまった焼き芋を平らげる。
「それにしても、何しに来たんだろ、理事長。ね?」
「うん」
天羽の問いかけに香穂子は曖昧に笑いながら返事をする。
「何? 香穂。なんか様子がおかしいわよ?」
「そうかな?」
否定してみたものの、天羽の目を誤魔化すことなど出来ないとわかっている。
「あんた、理事長のこと好きなんでしょう」
これももう否定できなかった。否定する言葉を探す余裕もなかった。
香穂子は顔を真っ赤にして、ただ首を縦に振った。
さっき、気づいてしまった。
好意は抱いていた。けれども、それだけじゃなかった。それ以上だった。
「そうかぁ」
天羽は天を仰ぐ。
「それならしょうがない」
「え?」
香穂子の短い疑問符に、天羽は目だけを香穂子に向けて、口元に笑みを浮かべた。
「私は理事長のこといけ好かないけど、あんたが理事長を好きだっていうんなら、応援しないわけにはいかないでしょ」
ほっこりと胸が熱くなる。
熱々の焼き芋を食べて身体もほんのり暖かくなったけれど、天羽の今の言葉はそれ以上に香穂子を暖かくしてくれた。
「ありがと………」
そして、香穂子は手の中に残っていた焼き芋を食べてしまう。それは時間が経ちすぎてすっかり冷たくなっていたけれど、全く気にならなかった。
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