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「ちぃーっす」
声を張って、部室の引き戸を開ける。
「おう」
佐々木を迎えたのは、ドアの真向かいにある窓際に座っていた土浦だった。
「早いじゃん」
「ホームルームが短かったんだよ」
土浦はぱたんと、手にしていた大判の冊子を閉じた。薄いその冊子が楽譜であることを、佐々木は知っている。
百八十センチを超える長身に広い肩幅。がたいがいい土浦はサッカー部のエースだ。佐々木と同じようにサッカーが好きで、話題はいつもサッカーの事ばかり。同じクラスにはなったことがなくても、この学院内では一番の友人だと思っている。
だが、土浦は佐々木どころか、誰一人として見せていない面を持ち合わせていた。
ピアノを弾けるということ。
子供の手習いじゃない。土浦のピアノは音楽科にも引けを取らないほどの腕前だ。
それが明らかになったのは、春にあった星奏学院学内コンクール。音楽科の中でも演奏に長けている学生が選ばれて参加するもので、不定期に行われているらしい。いや、出場者も何かしらの基準があって選ばれているらしいのだが、真偽のほどはわからない。そもそも学内コンクールの存在すら佐々木は知らなかったのだ。それに土浦が出場しなければ───もう一人、普通科から参加する出場者がいなければ、大して興味を抱かないままで終わっていたと思う。
それくらい、同じ学内にあっても普通科と音楽科とは隔たりがあった。最近では、その垣根が少しずつ取り払われているようだ、というのは周囲の感想。佐々木自身にとってはコンクール前も後も大して変わりない生活だ。音楽科とは特に親しくするでもなく、険悪と言うわけでもなく。
せいぜい変わったことと言えば、こうして土浦が楽譜を眺めているところを目にするくらいだ。
あと、少しクラシック音楽というものに耳を傾けるようになったくらいか。曲を聴いて、知っていると思ってもタイトルまでは浮かばない程度だが。
シャツを脱いで、練習用のTシャツを被る。そろそろ衣替えの時期だが、まだ冬服は着たくない。残暑というより、夏真っ盛りと言っても差し支えない気温が続いているからだ。何もしなくても汗ばんでしまう。夏場の練習は汗が滝のように流れる。それは別に嫌いではないし、体を動かした後の汗はいっそ爽快だ。ただ、それと暑さで汗ばむのとでは大きな開きがある。
「お前、着替えないの?」
土浦はまだ座ったままだ。
「いや、着替えるよ」
何か考え事に捕らわれていたのか、佐々木の言葉で我に返ったようだ。
そういえば、そんな様子もここのところ良く見かける。話をしていても時々上の空になることがある。
「何だよ。彼女のことでも考えてたのかぁ?」
にやけ笑いを浮かべて、軽い口調で土浦をからかう。
「………お前、最近そればっかだな」
呆れ顔を見せて、土浦はパイプ椅子から立ち上がった。佐々木の隣のロッカーを開け、楽譜をまずバッグの上に載せた。
「だって、そうだろ」
「違うっての」
同じやりとりをもう何度やってきただろう。春からずっと。
最初の頃こそ、本気で言い返して否定してきた土浦だったが、慣れてきたのか流されるようになった。
それには、多分、彼女との仲がいくらか進展したせいもあるのだろう。
まだ、付き合っているとかそういう関係ではないようだが、時間の問題だと佐々木は思っている。近くで見てきたのだ。二人の間に流れる雰囲気が徐々に変わってきていることは、良く感じ取れた。
多分、周りの誰よりも。
それほどまでに注目しているから。
何しろ彼女は同じクラスだし。
彼女のことは、ずっと見てきたし―――。
そう。
土浦が彼女のことを知るよりもずっと前に、佐々木は彼女のことを知っていた。去年も同じクラスだったし、その頃から―――。
だが、彼女は佐々木よりも土浦と仲が良い。それは同じ普通科としてコンクールに参加したという繋がりだけではなく。
佐々木は土浦に敵わなかった。
諦めている。
それがどんなに情けないことかとわかっていても、それ以外の選択肢は佐々木にはない。彼女が土浦を想っていて、土浦も彼女のことを想っていることがわかっていて、そこに入っていけるほど佐々木は強気ではなかった。
だから、こうして時々土浦をからかうことで気を紛らわす。
その後に、それがいかに自虐的な行為だとわかっていても。
今日は特にその傾向が強いようだ。
着替え始めた土浦を横目に更に言葉を重ねる。
「いい加減、告ったりしないわけ?」
「はぁ!?」
とびきりの怪訝そうな声。
「何でそうなる!?」
「見てるこっちがもどかしいんだよ。好きあってるのわかりきってるのにさ」
土浦の顔が赤くなる。滅多に見られないその色に、佐々木の気持ちはさざ波を起こす。
「余計なお世話だ!」
いつもなら慣れきっている反応に苛立ってきた。佐々木のほうからちょっかいを出したのに身勝手だが、どうしようもない。
「そんな言い方ないだろ! とっととくっついちまえばいいんだ!」
どんな気持ちで二人のことを見ているのか知らないくせに。先に彼女の事を好きになったのは自分なのに。いっそ早くくっついて諦めさせてくれと願わずにいられないほどなのに。
「何だよ、それ!」
行き場のない憤りをぶつけられて、土浦も同じように昂ぶってきたようだ。互いに口調が激しくなる。
「何だもなにもないだろ! 何ぐずぐずしてんだよ。他の男にかっさらわれても知らないぜ!」
「それで何でお前がそこまで怒ってんだよ!!」
「知るかよ!」
ほとんど中身のないとしか言いようのない言葉のぶつけ合いをなし崩し的に潰したのは、新たに部室に入ってきた部長だった。
「何の喧嘩だよ」
そう言われて、気まずさに互いに口を噤む。
「外までまる聞こえだったぞ」
言い争いをうやむやにした張本人は部室を横切って着替えを始めた。
「あっ、青山~!」
でかい、としか表しようのない声に呼ばれて振り返った。
グラウンドの外から、腕を大振りしていたのは火原である。青山が火原に気が付いたとわかると、一気に走りよってきた。
ミニゲームの真っ最中。青山は一人離れたところで走り回ったり、観戦している部員たちを見ていた。引退をするにあたって、次の部長に誰を推薦するか、自分の中で最終決定を下しておかなくてはならなかった。そのためのミニゲームでもある。
実のところ、誰を推薦したいかというのはほぼ決まっているし、その人選には誰も依存がないだろう。顧問ともそれ以外ないだろうという話をしている。
「土浦ってやっぱうまいよね」
青山の横で火原が感心している。
「だな」
言うまでもない。次の部長に推しているのは土浦である。実力もあるし、人の面倒をみるのにも長けているし、部員をまとめるのにも申し分ない。
「ピアノもできるし、頭もいいんだろ。すっごいなぁ………」
そこにやけに実感が篭っていて、火原が勉強で思い悩んでいることに気が付く。受験が目前となってきて、さすがに火原もいろいろ考え出したのだろう。
土浦と言えば、さっきの佐々木とのやりあいを思い出す。
それが尾を引いているのか、ミニゲームで別のチームにしたところ、むやみやたらと二人はむきになってボールを奪い合っているように見える。普段が、意思疎通のうまくいっている二人なので、余計に目立つのだ。
(喧嘩の原因も原因だし………)
まる聞こえだったせいもあるが、二人が一人の女の子に対して抱いている気持ちからぶつかりあったことだというのは、すぐにわかった。こういうことは第三者が真っ先に状況を把握する。土浦にしても、佐々木にしても彼女のことを好きだというのは、早いうちから気が付いていた。だが、こんな形で喧嘩に発展するとは全く考えていなかった。
「青山、悩み事?」
「え?」
グラウンドから目を離して、火原が青山を見ていた。
「でっかいため息ついてたからさ」
どうやら無意識のうちに漏らしていたらしい。
「あー………」
言おうか言うまいか少し考えた。だが、ぶちまけてみる事にした。
「土浦と佐々木が恋の鞘当中で不仲なんだ」
「こいのさやあて………?」
その言葉をすぐに理解できなかったのか、火原が口の中で繰り返している。
「えっと、二人でおんなじ女の子を好きになって、ライバル同士ってこと?」
「ありていに言えばそうだな。ま、それも青春ってやつだろうけど」
「それって日野ちゃん!?」
青山が言い終わるか終わらないかのうちに、火原が大声でかぶせてくる。
「へ?」
「土浦も佐々木君も、日野ちゃんのことが好きなのかな!?」
青山は嫌な予感がした。いや、嫌な予感ではない。土浦の佐々木の一件が新たな波紋を起こしたという、それは確信だった。
火原は驚きというよりも焦った表情を見せていた。意味もなくきょろきょろしたり、その場を行ったり来たりし始める。
「………火原、お前もか………………」
今度は自分でもよくわかるほどの盛大なため息をこぼした。
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