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083.今年

「じゃあ、最後に一つ」
 エントランスのベンチで、加地は香穂子と並んで座っていた。クリスマスコンサートを来週に控えて、それに関するインタビューを天羽から受けている真っ最中である。
「コンサートも含めてだけど、今年はどんな一年でしたか?」
 問われて、加地は言葉を探す。香穂子も同じようで、視線を宙に泳がせている。天羽はじっと二人の答えを待っている。左手に手帳を、右手にシャープペンを握って、いつでも書き取ることが出来るように。
「とんでもない年、かな」
 先に答えたのは香穂子だった。
「ありえない! って、一年だった」
 そう言う香穂子は笑っている。
「いきなり学内コンクールに参加することになっちゃって、周囲が一変。他の参加者はみんな経験者だし、右も左もわからない中でがむしゃらに駆け抜けているうちに春が終わって、気がついたらヴァイオリンは私の日常になってたんだよね。夏はまぁ楽しくヴァイオリンを弾いて過ごしてたけど、秋になったら今度はコンサートに参加することになって。めまぐるしかったな………」
 香穂子の言葉が途切れた。その頃に想いを馳せているのか。
「コンクールに参加することで、周りもだけど、あんたも変わったよね。それはいい変化だったと思う?」
「うん。なんかもうすっごく色々考えたし、悩んだし、泣いたこともあるし、辛いと思ったことだってたくさんある。けど、やっぱり楽しかったし、ヴァイオリンを弾けて良かったって思ってる。何かが私の中で劇的に変わったってわけじゃないんだけど、あの経験は二度と出来ないだろうから貴重。最初こそ、ありえない! って思ったけど、ちゃんといい思い出になってるんだよね、今は。ついでに言うと、今度のコンサートもいい思い出になる自信がある」
 香穂子の眼差しには強い意志がある。加地はその目に引き寄せられる。強い力を持つ香穂子の瞳に。
「うん。私もそう思う。最高のコンサート、期待してるからね」
「じゃあ、僕も頑張らないとね」
 口を挟んだ加地に、香穂子と天羽の視線が転じられる。
「加地君はどんな一年だった? 秋に転校してきてから二ヵ月が過ぎたけど、日野ちゃんとは別の意味で怒濤の一年だったんじゃない?」
「そうだね。怒濤も怒濤。僕の一年は劇的に変化したよ。日野さんのお陰でね」
 わざと茶化した言い方をしたのに、香穂子は本気で困った顔をする。
「悪い意味じゃないよ。前に言わなかったっけ? 春頃に偶然、日野さんのヴァイオリンの音色を聴いてから、僕はずっと日野さんの音を追いかけてきたんだから。追いかけて、この学院に来て、今は一緒に演奏してる。こんなふうに誰かの前で、誰かのためにヴィオラを奏でることが出来るなんて想像もしてなかったから、自分でも驚いてる」
 自分の演奏に限界を知っていたからこそ、ヴィオラを弾くことを止めていた。才能のある人たちに囲まれることでますます自分の力量を思い知らされて、それでも尚弾き続けているのは、香穂子の隣で同じ曲を奏でたいと願ったからだ。
 香穂子の音は、加地を惹きつけてやまない。これからもずっと変わらないだろう。いつも、いつだって、加地は香穂子の音を求める。多分、この音から逃れる術はもうない。例え、その方法があったとしても離れない。
 そう心に決めた。
「ホント、熱烈なファンだよね」
 天羽の声は少し呆れが混じっている。
「うん。そう思うけど、もう理屈じゃないしね。僕のこの一年は日野さんに出会った大事な年だね」
「はいはい………って、そんなの記事にしづらいってば。ゴシップ記事じゃないんだから」
「別に僕は構わないけど」
「………私は構うかも」
 香穂子の頬が少し赤くなっている。
「あれ? まだ慣れてない? 僕、もう何度も君に言ったと思うけど」
「何度言われても慣れないものは慣れないんです」
 香穂子はぷいっとそっぽを向いてしまった。笑みが浮かぶ。
 こんな反応をすることなんて、一緒にいなければ知らなかった。転校してきて、一緒に音を奏でて、良かったと心から思うときはこういう時だ。
「じゃあ、まだまだ何度も何度も言って慣れてもらわなきゃ」
「これは相当の覚悟が必要そうだね。頑張りなよ、日野ちゃん。じゃ、ご協力感謝! いい記事が出来上がるのを楽しみにしててね」
 天羽が二人から離れる。それを見送って、香穂子は深々と息を吐き出した。
「他人事だと思って~」
 恨めしげな声は天羽に向けられたものらしい。
「大丈夫だよ。そのうち慣れるから」
「またそんなことを言う………」
「そう言われても本当のことを言ってるだけなんだから」
 下から見上げてくる香穂子の視線を受け止めながら、更に言葉を継いだ。
「ああ、でもちょっと違うかな」
 さあ、これから口にする言葉を聞いて、香穂子はどんな反応を見せてくれるだろう。
 照れるだろうか、呆れて笑うだろうか。それとも怒るだろうか。
「僕は今年運命の人に出逢ったんだ。ファンなんて言葉じゃ足りない。ずっと傍で見ていたい、一緒にいたいと思う人。音だけじゃなくて、その表情も、仕草も全て見ていたいと思うんだ」
 エントランスは人がひっきりなしに行き来をするような場所で、静けさとは無縁の場所だ。
 だが、今このとき、あらゆる喧噪は加地の耳に届かなくなっていた。そして、それは香穂子も同じだろうと、感じられた。
 香穂子の顔から赤味が消え、上目遣いだった視線はまっすぐに加地を見つめている。
 今この場所にいるのは二人だけ―――。
「ありがとう」
 香穂子は微笑んでいた。微笑んで「ありがとう」とだけ言ったのだ。加地が予想していたどの反応とも違っていた。
 息が詰まる。
 何も返せなかった。
 加地を見つめる香穂子の目の中に、自身の顔を見つける。
 こんなふうに香穂子を見つめたことがないことに思い至る。今、この空間で互いの中には互いしかいない。
 苦しくなって、加地は大きく息を吐き出した。それは、一瞬にして周りの喧噪を呼び戻した。
「………日野さん、ずるいよ」
 苦し紛れの言葉に香穂子は首を傾げる。向き合っていた視線はもう外れていた。
「何で?」
「今のは不意打ちだった………」
 心臓が今頃になって、苦しさで悲鳴を上げ始めた。
 たった一言で、香穂子は加地を絡め取ってしまう。
「やっぱり、敵わないな」
「何が?」
 胸を押さえて心音を抑えたいが、香穂子の手前、それは控えた。その代わり、苦笑を浮かべる。
「僕はもうどうあっても日野さんから離れられないみたいだよ」

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香穂子が香穂子じゃないみたい。惚れた弱みというより、香穂子のほうが悪女っぽい感じになってるかも。とりあえず、幸せな加地を書くことを目標にしてはいたんですが、やられてますね、加地。まぁこれも一つの幸せではあるんでしょう。少なくとも加地の真剣な気持ちは香穂子に届いたわけだから。それから、無粋を承知で補足すれば、最後の加地のセリフは「離れない」というモノローグを受けて、です。加地の「離れない」という決意は香穂子の前では無駄だってことです。「離れない」んじゃなくて「離れられない」ということです。………ホントに無粋なんだけど、本文にその辺りの説明を入れてしまうとそれはそれでなんとなく形が崩れそうな気がしたので。ここで書いている時点で崩しているのかもしれませんが。


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