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アンバランス

「ごめんね!」
 顔の前でぱんっと両手の平を合わせた後、香穂子は深く頭を下げた。そのまま動かなくなる。長い髪が前に全て流れている。
 香穂子のつむじを見つめながら、これで何度目だろうとぼんやり考える。
 だが、その答えが出る前に口が開いていた。
「気にすんな。今日しかないってんだから、そっち優先すんのもわかるしな。………顔上げろって」
 こう言わないと香穂子が顔を上げないのは、これまでの経験上よくわかっている。
 そろそろと顔を上げながら、香穂子は上目遣いで土浦を見る。まだ土浦の顔色を窺っている。
 言葉だけじゃ、信じない。
 ぐしゃっと片手で香穂子の頭を掴んだ。
「いたっ」
 乱暴にもしていないし、力一杯掴んだわけでもないから、実際には痛くないはずだが、香穂子はそう言う。気にしないで、そのままぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
「やだ、やめてよぉ」
 口ではそう言うが、笑いが含まれている。
 香穂子の手が動く土浦の手を追いかけ、捕らえる。それぞれの手を掴んで、頭から離す。手を繋いだまま、今度はまっすぐに土浦を見る。身長差があるからどうしても、見上げることは避けられないけれど。
「ホントに、ごめんね」
「そう思うんなら、後悔しないように楽しんでこい」
 口角を少し上げて笑みを作ると、香穂子もホッとしたように相好を崩す。
「うん」
 頷いて、香穂子は土浦の手を離した。
「じゃあ、行ってくるね!」
「おう」
 手を振り、背を向けて走り出した香穂子の後ろ姿を見送ってしまってから、土浦はようやくその場から動き始めた。
 既に笑みはない。
 香穂子のぬくもりがまだ残る手をジーンズのポケットに突っ込んで、当てもなく歩く。予定していたところに突然の空白。とりあえず何をするかを決めるまで、ぶらぶら歩こうと思った。
 自分の気持ちを落ち着けるためにも。
 さっきの自問の答えはまだ出ない。きっとはっきりとは答えられないだろう。数えていたわけじゃないから。
 逆を言えば、数えられないほど、ということになる。
 いちいち数えていられないほど、香穂子からドタキャンされている。
 高校最後の夏休み。土浦と香穂子が出会って二度目の夏休み。
 お互いに卒業後の進路を固めつつあった。
 香穂子はコンクール後、ヴァイオリンの道を本気で考え始めた。確かに才能はあるし、本腰を入れて練習してきた甲斐があって、下手な音楽科の連中より技術力も表現力もあると思う。何より、香穂子自身ヴァイオリンを奏でることをとても楽しんでいる。だから、ヴァイオリンの練習も、それについて勉強することも、心から楽しんでいる。
 そう、例えば、卒業した先輩が急に来て指導をしてくれるとなったら、何を置いてもそれを優先してしまうように。
 一方、土浦はピアノに専念することはなかった。コンクール後はサッカー部に戻ったし、ピアノはそれまで同様、積極的に弾くことはしない。もちろんピアノに対する気持ちは大きく変わったが。だから今は受験勉強をしながらの進学を考えている。志望校は決めている。既に香穂子にも伝えていることだが、外部の大学だ。家を出て一人暮らしをすることになる。必然的に香穂子とも離れることになる。香穂子はもちろん、そのまま星奏学院の音楽学部へ進学することにしているからだ。
 大学卒業後の就職については、まだはっきりとしたイメージを抱いていない。どこかの企業に就職するのだろうな、という朧気なものしか。
 先にあるものが違う二人。
 共にする時間が、どんどん減っている。今日だってようやく一緒に過ごす時間を取れたのだ。それも昨日になって。
 だが。
『先輩がヴァイオリン教えてくれるって』
 その一言で全てを理解した。今日の約束はなかったことになってしまう、と。
 知らず知らずのうちにため息が漏れる。
 これから先も、今日のようなことは度々あるだろう。学校が違ってしまえば、距離が離れてしまえば尚更のこと。
 香穂子が頑張っていることは十分承知しているし、理解している。
 けれども、感情はまた別の問題だ。好きな女にドタキャンされて、面白くないと思うのが当たり前だ。だが、質の悪いことに好きな女であるが故に、理解していることを全面に出してしまう。
 今日もかよ。
 そう言えたら、どんなにいいだろう。
 言えないことがわかっていて、そう思う。香穂子が困った顔をするのが目に見えているから、言えない。
 土浦はまた一つため息をついた。


「ね、ちょっと見てもいい?」
 香穂子が土浦のTシャツの袖を引っ張った。
「おう」
 前回のドタキャンから、十日。今、土浦と香穂子は並んで歩いている。この間、見ることが出来なかった映画を見るために映画館へ向かう途中、ブティックのショーウィンドウに飾られた洋服に気を引かれたようだ。上映時間までにはまだまだ余裕がある。
 ショーウィンドウの前に立って香穂子はじっと、目に留まった服を見上げている。その横に並んで、土浦も香穂子の見ているものに目を向ける。
「可愛いなぁ………」
 少し首の角度を動かして、後ろのほうも見ようとしているのが少しおかしい。
「中に入って見れば」
「んー………そしたら、買いたくなっちゃいそうなんだもん」
「買えばいいだろ」
「駄目。今月はもうあんまりお小遣いに余裕ないの」
 硝子に映る香穂子の表情は残念さを隠していない。
「だって、今日のワンピースもおニューなんだよ」
 ウィンドウから手を離し、香穂子はちらりと横目で土浦を見た。口元に笑み。
「そうか」
 逆にそれまで香穂子を見ていた土浦は、香穂子から視線を外し正面のウィンドウへと移動させる。
「そうだよ」
 ウィンドウ越しの香穂子の視線が土浦を離れて、もう一度飾られている服へと向けられる。土浦はくるりとウィンドウに背を向けた。口元を片手で覆う。
 今日のために、新しい服を下ろしたということ。それが、非常に、嬉しい。
 けれど。
 その気分に水を差したのは、軽快な携帯電話の着信音。最初から携帯に入っていたという「愛のあいさつ」を着信音にしているのは香穂子だ。素早くかごのバッグから携帯電話を取り出すと、香穂子は話し始めた。
 土浦に背を向けて、小声で。
 それだけでもう、土浦にとってあまり良い内容の電話とは言えないことがわかる。
 だから、覚悟をした。
 今日もここで、別れることになる、と。
 だが、そうはならなかった。
「ごめんね。行こっか」
 電話を切った香穂子が笑顔で土浦に向き直る。
「………………」
 何も言葉が出ないまま、土浦は香穂子を見つめた。その視線の意味を理解したのだろう。香穂子は苦笑しながら、土浦の腕に自分の腕を絡ませた。
「今日は土浦君と一緒にいるって決めてるの!」
 その腕で、ぐいっと香穂子は土浦を引っ張る。引っ張られるままに土浦も歩き出した。
「今の、先輩とかからじゃなかったのか?」
「そうだけど、いいの! 土浦君は気にしないで」
 ねっ、と下からのぞき込まれて念を押されてしまえば、それ以上何も言えない。それに一緒に居てくれるというのだから、それに甘んじておきたいのが正直なところだ。これ以上デートの邪魔をされたくない。
 それから映画館までの道のりを香穂子は喋り続けた。これまでゆっくり時間が取れなかった分を埋めるように。
 それが余計に何かあるのだと、土浦に思わせる。
「香穂」
 だから、映画館に着いたところで土浦は香穂子の喋りを遮った。
「なあに?」
 笑顔で振り向いた香穂子の表情が、土浦の表情を見て僅かに崩れる。それでもまだ笑顔は落ちていない。
「行けよ」
「え?」
 少しずつ剥がれ落ちる笑みから、土浦は視線を逸らさない。
「先輩からだったんだろう、電話。練習を見てくれるんだろう?」
 その言葉を聞いて、香穂子の表情からすっかり笑みは消えてしまった。土浦の視線を避けるように俯いてしまう。
「行ってこいよ。気になってるんだろう」
 土浦はいつの間にか、自分でも気付かないうちにその口元に笑みを浮かべていた。
 香穂子と一緒にいたい。二人きりでいたい。邪魔されたくない。会える時間は少ないのだから。
 しかし、それが香穂子の無理をした笑みと共にあるのなら。
 それを下地にして、一緒にいる時間は欲しくない。心から楽しめない時間を共有までして、一緒にいたいとは思えない。
 ありのままに、気持ちのままに、香穂子には笑っていて欲しい。
「だって、今日は土浦君と一緒にいたいって、そう思って………」
「わかってるから」
 最後まで言わせない。
 香穂子が、彼女なりにこれまでのことや、土浦と過ごす時間を余りもてないことを気にして考えてくれているのも、わかったから。わかっているから。
「行こう」
「えっ?」
 さっと香穂子が顔を上げたのを見て、土浦も自分の口から出た自分の言葉に僅かな驚きを覚える。
 それとは関係なしに土浦の口は動く。
「久しぶりに、お前がヴァイオリンを弾くのを見てみたいしな」
 言ってしまって、その言葉が土浦の中にすとんと落ちてくる。
 そうだ。
 心から楽しんでいる香穂子を見たいのなら、最初からそうすれば良かったのだ。そうすれば彼女と同じ時間を共有も出来る。
「土浦君」
「ほら、行こうぜ」
 今度は香穂子のその手を、土浦が掴んだ。さっさと歩き出す。
「つ、土浦君!」
 慌てて香穂子が土浦の歩調に合わせる。
 歩調が合う頃には、香穂子はいつもの調子を取り戻していた。
「ねぇねぇ、土浦君!」
「何だ」
「一緒に来てくれるなら、折角だから、合奏しようよ!」
 思わず歩みを止めるところだった。すんでの所で留まって、首だけを香穂子に向ける。
「何!?」
「私も土浦君のピアノ聴きたい! ねぇ、一緒に弾こうよ!」
 きゅっと香穂子は土浦の手を力強く握り返した。
「ねっ!」
 香穂子の顔には笑みが戻っていた。その笑みに―――。
 間違いなく、答えてしまう自分が容易に想像できた。

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