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最近ちょっとオーバーワーク気味かもしれない。
土浦は森の広場の芝生の上に仰向けに転がった。両手を頭の下に差し込んで、広がる枝の間から零れる陽光に目を細める。
学内コンクールは二日後の最終セレクションで終わりを迎える。とんでもない理由でこのコンクールに出場する羽目になった土浦は、音楽科に負けないため、そして素人ながら奮闘している普通科の女子生徒に劣らないようにと、ピアノの練習に明け暮れていた。その彼女が最近土浦を頼らなくなったのも、ピアノの練習に励む一つの要因になっていた。
これまでもまったく触らなかったわけではないが、これほどまでに練習したのは小学生の頃以来だ。サッカーも今は止めている。サッカー部員から、コンクールが終わるまではサッカーをするな、と強く言い渡されているからである。確かに指に怪我でもしたらコンクールどころではない。だが、そろそろサッカーボールに触れたい。ボールを追って思い切りグラウンドを駆け回りたい。
土浦は目を伏せる。
彼女は素人とは思えないスピードで上達しているのはわかっていた。もう土浦を頼る必要もないのだろう。最初は本当に大丈夫なのかと心配になるほどだったから、この上達ぶりは喜ぶべきものだ。だが、それと同時に僅かに寂しさを感じてもいる。
ざわざわと風に葉を擦り合わせる木々の音。広場のどこかで誰かが練習をしているクラリネットの音。人のざわめき。
それらがごちゃごちゃになって土浦の耳に届く。
コンクールのために選曲した曲の最後の仕上げにかからないといけない。わかってはいたが、どうにも体がそれに応じてくれない。
やがて全ての音が遠ざかっていく。緩やかに、静かに。
「土浦君?」
香穂子は木陰に横たわる巨体を見つけて、その顔を覗き込んだ。
練習しやすそうなポイントを探して森の広場をウロウロしていると、にょきっと伸びている足を発見した。足から順に視線を体の上のほうへずらしていくと、そこに寝ていたのは土浦だった。
声を掛けてみても反応はない。どうやら眠っているようである。
「寝てるの?」
眠っているとわかっていても、つい口に出して質問してしまう。
もちろん返事はないから、香穂子はそこで話しかけるのを諦めた。代わりに土浦の傍らに腰を下ろした。
鞄の中から楽譜を取り出す。
最終セレクションで弾くのは「ラ・カンパネッラ」。第二セレクションの前に、土浦がこの楽譜を持っているのを偶然見た。あまりいい思い出がないような口ぶりだったから、余計に気になった。あれから自分で楽譜を見つけてみたけど、どうにも弾けそうに思えなかった。
でも、最終セレクションまできて、ファータたちが用意してくれている楽譜の中にこの曲を見つけた時、迷わずこの曲を弾くことを決めた。
土浦の前でこの曲を弾いたら、土浦はどんな反応を返してくるだろう。思い出したくもないような過去のことを、吹っ切ってくれるといい。楽譜を見た時、土浦の表情は険しくて、それでいてどこか辛そうに見えたから。ピアノを弾くことを嫌っているようには見えない。むしろ好きでなければ今まで続けてくることも無かったと思う。そんな土浦なのだから、いい思い出のない曲があるなんて寂しい。
セレクションの日に聴かせたくて、ここ数日は土浦の前で練習することは止めていた。それまでにこの曲を完成させなければならない。だが、やはり難しくて何度も途中で躓く。たった一分半しか演奏時間はないのに。
本来ならばこうして土浦の横に座って楽譜を眺めている場合じゃない。ただひたすらに練習あるのみだ。
わかっているけれど、土浦の眠っている姿もそうそう見られるものではない。それに最近は練習のために近寄らずにいたから、こうして土浦の顔をゆっくり見るのも久しぶりなのだ。
香穂子の視線は楽譜から土浦の顔へと注がれている。
(疲れてるのかな………。大変だもんね、やっぱり)
香穂子は身を乗り出して土浦のほうへと顔を寄せる。もっと間近で見ていたくて。
(寝てるのに)
眉間に皺が寄っている。何か夢でも見ているのだろうか。
そうっと、指先で眉間を突いた。その程度では皺が取れることはない。
「頑張ろうね」
香穂子はそこだけ声に出す。
そして静かに顔を更に土浦に近づけ、眉間に軽く口づけを落とした。
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