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068.ランドセル

 感傷という言葉を、その頃の香穂子はまだ知らなかったが、あと二月ほどで卒業してしまうこの小学校のことを、なんとなくゆっくり見ておきたくて、毎日放課後に少しずつ見回っていた。
 今日は、体育館を経由してグラウンドを見て回ることにしていた。
「バカじゃないわよ! 正々堂々と勝負しなさいよね!!」
 甲高い声が聞こえて、香穂子は思わず足を止めた。声は今まさに向かおうとしていた体育館の中から聞こえて来た。広い空間の中に響き、反響している。何事かと、入り口から中を覗き込んだ。
「あたっ」
 足が何かに引っかかったので見下ろしたら、黒いランドセルが三つ無造作に転がっていた。
 思わず声が出たのだが、誰も香穂子には気がつかなかったようだ。
 無理もない。中にいる人たちは皆、香穂子がいる体育館の入り口の真正面、ステージの上に集結していたからだ。
 ピアノの傍に六人いる。男の子が三人と、女の子が三人。ここからでは誰の顔も見えなかった。
「くっだらねぇ」
 答えた男の子の声は苛立ちを隠していない。
 それが誰なのか、香穂子のところからは男の子の背中しか見えない。しかもその背後に二人の男の子がくっついているので、その間から後頭部が見えるだけだ。
(わぁ………意地悪な言い方)
 それでは女の子の神経を逆撫でするだけだろうに。
 実際、女の子は神経を逆撫でされたらしく――もともと激昂していたようではあるが――更に声高に怒鳴り返す。
「やる気もないくせに、しゃしゃり出てこないでよ! この子が伴奏って最初から決まってたんだから!」
「んなこと、俺に言うんじゃなくて先生に言えよ。俺がやりたいっていったわけじゃねぇんだから。俺だってやりたくてやるわけじゃないんだからな」
 今のやり取りで、香穂子はこの二人が何を言い争っているのかわかった。
 卒業式の日、卒業生全員で合唱をすることになっている。各クラスで練習は始まっていたが、まだ全体で合わせたことはない。
 その伴奏をどちらがするのかということで揉めているのだ。
(今の言い方だと、男の子のほうが上手いってことかな………?)
 珍しい、と思った。
 これまでに参加した卒業式は全て女の子が弾いていたし、そもそも男の子でピアノが上手い人など、香穂子の周りにもいなかった。テレビでは男性ピアニストが出ていたりするのに、おかしな話だが、実際にピアノが弾ける男の子がいるということには、全く思い至らなかった。
「いーじゃん、梁。勝負すればはっきりするじゃん、お前がうまいって」
「そーそー。こんな小うるさい女たち、ぎゃふんと言わせてやれよ」
「お前らなぁ………」
 後ろを振り返って、「梁」と呼ばれた男の子はため息と共に溢している。少し顔が見えたが、香穂子の記憶にはない。同じクラスにも隣のクラスにもなったことはないのだろう。
「何よ! ぎゃふんと言うのはそっちなんだからね!! ほら、見せつけてやろうよ!!」
 勝負をするのは、一歩進み出て「梁」と言い合っていた女の子ではなく、その後ろで小さくなっていた女の子のようだ。オロオロしているのがここからでもわかる。
(あ、あの子―――)
 一昨年、同じクラスになった。確かにピアノが上手だった。何でも幼稚園の頃から習っていて、発表会でも優秀な成績を収めたことがあるらしい。
 多分、本当は乗り気じゃないんだと思う。けれども、勇ましい友人に引っ張られて、引くに引けなくなっているだけなのだ。
 それでも、卒業式という大舞台で弾きたいと思わないわけではないだろう。香穂子は楽器を自慢できるほどに鳴らすことは出来ないけれども、その場所が華々しい場所だとは想像出来る。合唱する大多数に含まれるのではなく、一人だけ特別な居場所。
 だから、彼女はピアノの前に座った。
 そっと鍵盤の上に指を置いたかと思うと、滑らかに動き出した。
 曲は香穂子も知っていた。
『エリーゼのために』
 作曲者が誰なのかまでは知らないけれども、有名な曲だ。テレビで見たのか、はたまた音楽の授業で聴いたことがあったのかも定かではないけれども、知っている。
 流れるような綺麗な音で、一つの間違いもなく――例え間違いがあっても、香穂子は気づかなかった可能性が高いが――演奏は終わった。
 友達二人が過剰な拍手をしてから、どうだとばかりに「梁」たちに胸を張る。実際に貼るべきなのは演奏をした女の子だと思うのだが。
「やっちゃえよ、梁!」
 まるで喧嘩をふっかけるような言い方で乱暴だ。
 それにまたため息で答えて、「梁」はしぶしぶピアノの前に移動する。
 何か呟いたようだが、香穂子のところまでは小さな呟きなど届くわけがない。
 ポーン………と、一つ鍵盤が叩かれた。
 それだけなのに。
 香穂子は自然と背筋を伸ばしていた。何故か、空気が変わったような気がしたのだ。目が覚めるような、すっきりとした、けれども少し冷たい、気持ちを改めさせられるような、そんな感じに。
 その変化についていけないでいるうちに、「梁」は音楽を奏で始めていた。
 曲は同じ、『エリーゼのために』。勝負をしやすいからという選曲なのだろう。
(同じ曲だけど………全然違う………)
 さっきの女の子も上手かった。綺麗な音だと思った。
 だけど、この音は違う。
 耳に流れ込んできて、そのまま体内で反響していく。確かに上手い。だけど、それ以上にこのピアノは香穂子を捉えて離さない。上手いとか下手だとか、そういうレベルを超えている。
 震えが来た。
 こんなピアノを、香穂子はこれまでに聴いたことがない。音楽のことなんて授業以上のことはわからないけれども、音楽でこんなに感動したことはない。
 そうだ。これは感動というものだ。
 心が突き動かされる。
 深く、香穂子の中に沈み込んでいく、音の塊。
 気がつけば、演奏は終わっていたが、体育館の中は静まり返っていた。きっとみんな、今の香穂子と同じように、呆然としているのだ。
「んだよ………ぼーっとしてんなよ」
 弾いた本人だけが、冷静だった。その声に、全員が我に返ったが、暫く誰の口からも言葉は発せられなかった。
 香穂子はふらふらと、体育館を離れた。来たばかりの道を戻っているのだが、それは無意識の行動だ。
 演奏が終わった今も、香穂子の耳の中で、身体の中で、演奏は続いている。
(すごい………)
 勝負になっていない。
 どちらが上手いなんて選ぶべくもない。


 その後の全体練習で、香穂子はようやく伴奏者の名前を知ることになった。
 土浦梁太郎。
 ピアノの音と共に記憶されたその名は、時と共にいつしか香穂子の記憶の隅に追いやられてしまうことになる。
 それが、記憶のど真ん中に引き戻されてくるのは、あと五年後のこと―――。

拍手[2回]





コルダとコルダ2でのイベント二つ合わせたもの。コルダで土浦と一緒に帰るとき、公園でサッカーボールが転がってくるイベントで、選択肢によっては小学校が同じだったことが判明し、卒業式では土浦が合唱の伴奏をしたのだということが明かされます。で、土浦は俺のこと覚えてないだろうと言うわけですが、そこで「覚えてるよ」という香穂子のモノローグが浮かんだのが、この話を書くきっかけ。そもそも「ランドセル」というお題自体、土日で使おうと思っていたし、卒業式の伴奏云々はネタにしたいなーと思っていたんですけど、なかなか形にならず早数年。コルダ2にて、土浦ルートだと香穂子の思い出の曲が「エリーゼのために」というのが判明して、今になって「これはイケる!」と書けるようになったのでした。香穂子のモノローグは一切無くなって、回想という形も踏まずに、小学生の頃だけに焦点を絞って書いてみました。
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