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「お待たせ!」
背中を軽く叩かれた。
いつも同じところを叩かれるし、その声からも振り向かなくとも香穂子であることが解る。そもそも待ち合わせをしている相手が香穂子なのだから、「お待たせ」と言ってくるのは香穂子以外にいないわけだが。
「おう」
返事をしながら振り返って、半端に香穂子のほうを向いた状態で動きが止まる。だが、それを気取られないうちに土浦は動きを再開した。
土浦の目の前には、いつもと様子の違う香穂子がいた。
にこにこ笑っているのは変わりないが、その格好が土浦の見慣れているものとは違っていたのだ。
私服姿を見るのは初めてではない。白と紺の細いボーダーシャツに白のふわっとした膝丈のスカート、足下はサンダルという、いかにも夏といった服装は確かにこれまでに見たことのないものだったが、それについては反応したのではない。
土浦を一瞬戸惑わせたのは、その髪型だった。
服装と気候に合わせたのだろう。
ポニーテールだった。
香穂子は普段、伸ばしている髪を背中に流したままにしているから、こうして髪を上げているのを初めて見た。
髪型一つで、こうも印象が違って見えるとは。
大人しいとは言えない香穂子だけれど、こうしていると活発な女という感じが全面に押し出されている。
「どうしたの?」
香穂子が下から土浦の顔を覗き込んでくる。
それで、最初に一言発したっきりになっていることに気がついた。香穂子に一瞬動きが止まってしまったことを気取られないように配慮したのに、これでは意味がない。
「何でもない」
そう言ってみたが、あまり説得力がなかったと自分でも思う。
だが、香穂子は気にせずに覗き込んでいた顔を引っ込めた。
「じゃあ、行こっか」
「そうだな」
内心、ホッとしながら香穂子の言葉に頷いた。
待ち合わせした駅から電車を使って移動する。
土浦の隣に寄り添って立つ香穂子を、土浦は意識せずにはいられない。我に返ると視線がいつも香穂子のポニーテールに定められている。香穂子に視線を注いでいることに気付かれると大変気まずいので慌てて逸らしているのだが、いつの間にかまた香穂子を見ている。
(何だって、今更………)
香穂子と付き合うようになってから二ヵ月が過ぎようとしているというのに。
いつもと違う香穂子を見るだけで、妙に緊張してしまうなんて。
「土浦君、どうかした?」
困った表情で、香穂子が土浦を見上げていた。
「やっぱりこの格好、おかしい? 似合わない?」
吊革を掴んでいないほうの手でポニーテールの毛先を摘んで、その毛先を横目で見ている。
土浦が香穂子の格好に気を取られていることに、やはり勘づいていたらしく「やっぱり」と言ったことに気がついた。
「いや、そんなことは………」
咄嗟にそう返したが、まさに今気にしていることを問われて、土浦ははっきりと言えなかった。
そんなことはないのだ。
つい見とれてしまうくらいだから。
だが、そうだとは口には出来なくて。
香穂子の顔から笑みが消えていて、心なしか肩が落ちているように見えるのに。
(言えるかよ………)
似合っていると。
………可愛いと。
しかし、このまま香穂子を放置するわけにいかない。このままでは髪を解きかねない。
見慣れていなくて勝手に土浦が緊張しているだけで、似合っていることに間違いはないのだから、髪を解かれたら勿体ない。
少し考えて、土浦は手を伸ばした。
ポニーテールを摘み続けている香穂子の指先から、そのポニーテールを掬い上げる。そして軽く引っ張った。
驚いて土浦を振り向いた拍子に、ポニーテールはするりと土浦の手から逃げていく。
「気にしなくていい」
土浦が言ったことをすぐに汲み取れなかったのだろう。一度だけ瞬きをする。その間に土浦の言葉を反芻したらしい香穂子は、次の瞬間口を尖らせる。土浦が含ませた意味はやはり汲み取れなかったらしい。当然だが。
「なによー。気にするよ! 好きな人の隣にいるんなら可愛い格好したいし、似合う格好したいもん」
土浦と違って、香穂子は自分の感情をちゃんと口にする。こういう、土浦なら照れて言えないような言葉も、はっきりと口に出す。土浦が香穂子に敵わないと思うところの一つだ。
「わかってるって。だから、気にしなくていいんだよ」
今度は含ませているものがちゃんと香穂子に伝わるようにゆっくりと言った。
香穂子は何か言いかけて、止めた。
伝わったらしい。
頬に赤みが差した。
「うん。そうするね」
はにかんだ香穂子から、土浦はそっと視線を逸らした。
気恥ずかしくて香穂子が見られなくなったのだ。
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