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春休みに入ってすぐの土曜日。
土浦は会場の壁際で、ジンジャーエールの入ったコップを片手に騒ぐ人々を眺めていた。
中学二年生の時のクラスメイトたちが、今日は一堂に会している。当時のクラス担任だった先生が今年で定年退職をするということで、先生を囲む会を有志で募った。その結果、ほぼ全員が参加するという大きな会となってしまったのである。
カラオケのパーティールームを貸し切り、会が始まって一時間。
恩師との話も済んだし、懐かしい面々と喋っていたところへ、女子の一人が土浦に声をかけてきた。話があるからちょっと来て、と。
そういって、壁際まで連れてこられたはいいが、その本人は「ちょっと待ってて」と土浦を置き去りにして去っていった。
それから五分。
ばか正直に待っているわけだが、本人はまだ戻ってこない。
「………なんなんだよ……」
目の前で皆楽しんでいる中で、一人隔離されたような気分。
そもそも、こういう集まりはどちらかと言えば苦手で、今日は恩師のためだからと思って参加したに過ぎない。カラオケという場所も落ち着きが悪いし。
それに。
今日は香穂子の誘いを断って来ている。
それが、ますます面白くない気持に拍車をかけている。恩師には悪いと思いつつ。
「土浦君」
もういいか、と勝手に判断して、誰かに断って先に帰ろうかと思っていたところだった。
ようやく待ち人が来た。
が、それは土浦を呼び出した女子とは違った。
顔を見て、僅かに苦い想いが胸の裡に広がる。
「……………よう」
来ていたのか、とは聞かない。
既にその姿は会場に入った時に見つけていた。
かつて、付き合ったことのある彼女。付き合った、というにはちょっと語弊があるかもしれないが。
過去のことだと香穂子に言った割に、まだ自分の中で燻り続けているものがある。それは想いを引きずっているということではなく、わだかまり、と言えば一番近い表現になるだろうか。
上手く接することが出来ずに、お互いにしこりのようなものを抱えたまま別れてしまったようなものだから。
「久しぶり。……元気そう」
「ああ………」
遠慮がちな笑みを浮かべる彼女に、間の抜けた返事。
三年以上の時間が経っているのに、やっぱり上手く喋ることが出来ない自分に嫌気がさす。
何も、変わっていない。
「サッカー、今もやってるの?」
「ああ。一応はな」
サッカー部にはまだ所属している。コンクールの後、少し迷ったのだが、やっぱりサッカーはサッカーで好きだし、そのまま続けることにした。ピアノはピアノで練習もしている。
「ピアノは?」
「そっちも続けてる」
「………………そう」
土浦の横の壁にもたれた彼女を目で追う。
視線に気付いた彼女は、困ったように笑った。
「今更言ってもしょうがないんだけどね」
手にしていたコップを口元に近づけながら彼女は言う。
「私、本当に土浦君のことわかってなかったんだなぁって思って」
土浦は黙って彼女の言葉の続きを待った。内心、彼女の発言を意外に思いながら。
「ピアノ。弾けること、私知らなかった。そっちの学校に行った子に聞いたんだ…………コンクールの話。すごく上手いんだってね」
「すごくって程ではないと思う。もっと上手いヤツは他にもいるし。敵わないヤツだっているからな」
言いながら思い浮かべるのは香穂子の姿。
ふと気付くと、彼女がこちらを向いて笑っていた。
さっきとは違う、遠慮がちではない、まっすぐな笑顔。
「楽しそうな顔してる」
「え?」
「今、彼女のことを考えていたんでしょ?」
言い当てた彼女にぎょっとする。それがそのまま顔に出たのだろう。くすくすと声を立てて彼女が笑った。
「コンクールに一緒に出場した女の子が、今の彼女だって聞いたの。ヴァイオリン弾く人なのでしょう」
「なんだ………筒抜けなんだな」
「そんなものよ」
土浦は天を仰いだ。
「今みたいな表情、私ではさせてあげられなかったな。それがすごく悔しい」
「悔しい?」
思いがけない発言だった。訊き返す。
「そう。だって、土浦君を好きだったのは事実だもの。………あのね。別れる時に私が言った言葉覚えてる?」
「…………ああ」
忘れようにも忘れられない一言だった。風化させるにはまだ時間が足りなくて。いつも引っかかっているわけじゃないけれど、ふとした瞬間に思い出してしまう言葉。それは香穂子といる時でも。
「私といるより男の子たちといる方が楽しそうって思ったのは、今でも変わらないの。あの時は本当にそうだったから。でも、それは土浦君のせいだけじゃなかったんだよね」
土浦は手の中にあるコップを意味もなく回す。
「土浦君のことがわからない、なんて私もすごく傲慢だったんだ。今ではすごくそう思う。だってね、土浦君のこと、勝手なイメージ作って、それに当てはまらなかったってだけのことなの。わからない、んじゃないくてわかろうとしなかったの。それを全部土浦君のせいにしてた」
正面を見つめて話していた彼女の視線が再び土浦を向く。
「ごめんね」
はっきりと謝られて、咄嗟に何を返したらいいのかわからなくなった。「ああ」とか「うん」とか意味のない言葉とも言えない言葉が口から漏れ出る。
「あー、すっきりした!」
大きな声。
「ずっと謝りたかったんだ。良かった」
何の迷いもない笑顔。
それを見ているうちに、土浦の口から自然に「ごめん」と出た。
ちょっと目を瞠った後、彼女はやっぱり微笑んだ。
「じゃあ、お互い様ということで」
「…………ああ」
ようやく土浦の口元にも笑みが浮かぶ。
「あー………、今の笑顔反則」
「は?」
「ううん。独り言! それじゃあ、彼女によろしくね!!」
軽く手を挙げて、土浦の返事も待たずに去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、土浦は「ああ」と頷いておいた。
「…………香穂?」
一応疑問形ではあるが、今建物の陰にさっと身を隠したのは間違いなく香穂子である。
一次会を終え恩師を見送った後、二次会へ向かう連中とは反対方向へ歩き出した矢先だった。
「何やってんだ………」
そちらへ近づくと、香穂子はおたおたと退路を探し始める。
だが、上手い逃げ道がないとわかると、香穂子は上目遣いで土浦を見てへにゃっと笑った。
「で? 何やってんだ? そんなところに隠れて」
「え、えと。べ、別に何もしてないよ!? たまたま、偶然通りかかっただけだよ! ちょっとこっちの方に用があっただけだし!! あ、会えて嬉しいな!!」
わざとらしいにも程がある。
「…………別に心配するようなことは何もないぞ」
「え? な、何のことかなっ」
まだとぼけようとするので、その頭を片手で掴んで指で力一杯押した。
「痛い痛いっ」
香穂子は手を振り回す。やがて「ごめんなさい」と謝った。
「何でごめんなさいなんだ?」
「えと………別に、つけまわすとかそういうんじゃなくて…………ただ、ちょっと…………」
土浦は指先から力を抜く。そしてその手は香穂子の頭の上に載せたまま。
「だから。心配するようなことは何もなかったって」
中学二年生の時のクラスメイト達と会うことはちゃんと話しておいたから、香穂子なりに気になっていたのだろう。それは容易に想像がつく。もし、香穂子の元彼がいるクラス会に香穂子が参加するとなった場合、土浦だって気になってしょうがないだろう。それは香穂子のことを信用しているとかいないとかいうのとは、また別の問題だ。
「うん、わかってるんだけど…………」
視線を落とした香穂子の頭を、ぽんぽんと軽く二回叩く。
「帰るか」
「…………うん」
二人並んで歩き出す。
以前は、ついうっかり自分のペースで歩いてしまうことがあり、香穂子が必死で後をついてくるなんてことがあったが、最近では香穂子のペースに合わせて歩くことが意識しないで出来るようになった。
こういうのもあいつにはしてやらなかったな、と少し昔を振り返る。
「彼女によろしくね、だそうだ」
「え?」
「ちょっと、話した。お前のこととかも」
土曜日の夜。九時を過ぎたのに駅前はこれからを楽しもうとする人で溢れている。
「楽しそうな顔をしてる、とも言われたな」
「?」
きょとんと香穂子は土浦を見上げる。
土浦は苦笑する。
「わからないんならいい」
「え? 何が!? わかんないよ。何?どういうこと?」
がしっと腕を掴まれた。
「だから、いいって」
「そんなのダメだよ! ずるい! 教えてよ!」
「……………………………自分から言えるかよ」
「え? 何!?」
意地悪やら人でなしやらなんだかんだと言っていたくせに、相変わらず耳聡い。
「いいんだよ、知らなくても。お前はこうして今のままいればいいんだってことなんだから」
楽しそうな顔をしてる。
もちろんだ。
何故なら香穂子といるときは確かに楽しいのだから。
ずっと一緒にいたいと思えるほどに。
本人には言わないけれど。
「余計わかんない! ちゃんと教えてよ!」
香穂子が腕を引っ張るのに任せたまま、土浦は笑みを浮かべて歩き続けた。
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