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(何で、こんなことに………)
頭からシャワーの湯を浴びながら、呆然と香穂子は思う。
さっきまで道端で土浦と口論をしていた。そこへ、突然の土砂降りの雨。瞬く間に制服は雨を含み重たくなった。モスグリーンの上着が更に濃い色に変わっていた。
それからは土浦に引っ張られるままだった。
土浦の家に連れてこられて、問答無用とばかりにバスルームへ押し込まれた。土浦の母親の力業である。ついでに、土浦の姉が代わりの服さえも用意してくれた。
秋の冷たい雨で冷えた体は、温かい湯を浴びることでぬくもりを取り戻した。
そのおかげだろう。すっかり落ち着いていた。雨が降るまで昂ぶっていた感情が完全に引いている。
確かに本気で怒っていた。だが、こうして落ち着いてみると、なんて馬鹿なことを言っていたんだろうと自分の小ささが情けなく思える。
自分勝手に怒って怒鳴ってしまった。かなり理不尽だったと自分でもちゃんとわかっている。
それに気がつくと、土浦に顔を合わせるのがとても気まずい。これが一晩経ってからならだましも、今香穂子がいるのは土浦の家なのである。すぐに顔を合わせないわけにはいかない。
(ちゃんと、謝らなきゃ………)
脱衣室にある洗面台の鏡には、情けない顔の香穂子が映っていた。頭にタオルを被っているその自分の両方の頬をぴしゃりと叩く。叩くのに合わせて閉じた瞼を開けて、もう一度鏡の中の顔を見ると、さっきよりはマシに見えた。
(よし!)
「香穂ちゃん、シャワー終わった?」
ちょうど気合いを入れたところで、出し抜けに脱衣室のドアをノックされて驚きの声を上げそうになる。
「は、はい!」
なんとか堪えて、それでも少し甲高い返事をすると、ドアが少し引き開けられてその隙間から土浦の姉が顔を出す。
香穂子が着替えまで終えていることを確認すると、今度は堂々と中へ入ってきた。
「あの、洋服、ありがとうございます」
「どういたしましてー。ね、リビングへおいでよ。温かい飲み物用意したから」
「あ、はい」
気合いは入れた。覚悟もした。
ぐっと、香穂子は下腹部に力を込める。
リビングへ行けば、土浦もいるわけで。
(ともかく、真っ先に謝らなきゃ)
決意を新たに、土浦の姉に先導されてリビングへ足を踏み入れる。
鼻先をくすぐったのは、ふわりとただよう、少し甘いいい匂い。
暖かい空気が香穂子を迎える。
そして、香穂子は脱力せざるを得なかった。
予想に反して、リビングには土浦がいなかったからである。
(せっかく覚悟したのに)
けれども、その一方でホッとしている自分もいた。
先延ばしになっただけだとわかっている。それでも。
「こっちきて座って」
土浦の母親がキッチンからマグカップを手に出てくる。
香穂子がリビングのソファーに腰を下ろすのと同時に、マグカップが目の前のテーブルに静かに置かれた。
マグカップからは、さっきリビングへ入ってきたときに鼻先をくすぐった匂いが暖かい湯気と共に立ち上っていた。
「飲んで。温まるわよ」
「はい。………いただきます」
両脇を立ったままの母親と姉とに挟まれて、居心地が悪い。
(な、なんで、こんな状況に………)
土浦がいなくてちょっとホッとしたところだったが、この状態もあまり歓迎したくない。
ともかく、目の前のマグカップを手にとって香穂子は口を付ける。
黄色い、とろりとした、それはコーンポタージュ。
コーンの甘さが口の中に広がる。
飲み下すと、身体の中心を通っていくのがわかる。そこから体中に熱が伝わる。
「美味しい………」
口を突いて、そう言葉が自然に漏れ出てきた。
「良かったわ」
それを聞くと満足したのか、母親も姉も香穂子のそばから離れていく。母親はキッチンへ、姉はリビングを出て行ってしまい、リビングは香穂子一人になった。
キッチンとリビングはカウンターでしか仕切られていないので、完全には一人ではなかったが。
「おかわりあるから」
キッチンからの声に頷こうとして、続いた土浦の母親の声に言葉を無くす。
「ね、梁」
傾けていたマグカップを慌てて口から離した。
(どどどどどこに!?)
慌てて首を振って、土浦の姿を探す。
リビングの入り口に立っていた。
ぶわっと、一気に体温が上がるのがわかった。シャワーで雨を流してさっぱりした身体にじわりと変な汗が浮かぶ。
土浦は仏頂面を隠すことなく、そのままリビングを通ってキッチンへと移動していった。
その際に香穂子の背後を通ったのだが、香穂子は土浦の動きを目で追うことが出来なかったから、手の中のマグカップに視線を向けたままでその気配を感じていただけだ。
(な、なんか、タイミング逃した………かも)
顔を見たら真っ先に謝ろうと思っていたのに。
マグカップに口を付けて、こくこくと喉を鳴らしてコーンポタージュを一気に飲む。
一口飲んだときにはそう思わなかったのだが、結構熱かった。
「おかわりする?」
「ははははい!」
びしっと背筋を伸ばして頷くと、勢いよく立ち上がった。マグカップに新たに注いで貰う為だ。
ぎくしゃくとキッチンへ向かうと、カウンター越しに母親の手が伸びてきてマグカップを渡す。マグカップは隣の土浦に渡された。
(もしかして………)
土浦がお玉杓子を使って、一筋も溢すことなくマグカップにコーンポタージュを継ぎ足していく。
「土浦君が、作ったの?」
疑問がそのまま出てきた。
「ああ」
短い返事は、確かに肯定のもの。
「ほら」
今度は母親を介することなく、直接土浦から香穂子に手渡される。母親はキッチンを後にしていたからだ。
「ありがとう………」
素直に礼を言って受け取る。
暖かいマグカップを両手で包み込み、その場で口を付ける。
一口だけ飲んだ。そこから広がるのは暖かさと、穏やかな気持ち。
土浦が作ってくれたという、コーンポタージュ。身体だけじゃなくて、心まで温かくなったような、そんな気がする。
今なら言える。
香穂子は目を上げて、土浦を見た。土浦も香穂子の視線を受け止めてくれる。
雨に打たれる前、香穂子が土浦に強い言葉をぶつけていたときとは違って、土浦のその目には大きな感情は浮かんでいない。そして、今の香穂子もまた、激しい感情をそこには浮かべていない。
お互いが、お互いの瞳の中に自分の姿を見ている。
今、きっと同じ目をしているんだ。
理屈じゃなく、そう感じた。
「ごめんね」
短く、それだけ。
それ以上の言葉はいらない気がしたから、言葉は重ねなかった。
「俺も、悪かった」
そう言う土浦の口元にはもう笑みが浮かんでいた。それを見て、香穂子はようやく心からホッとすることができた。
香穂子はまたマグカップに口を付ける。
俯き加減だった為に気がつかなかったが、そんな香穂子の様子を土浦が、目を細めて見つめていた。
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