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100.ありがとう

「あ」
 それは唐突に香穂子の口から零れた。
 口を開いた香穂子は足を止めたため、自然と土浦のほうが先へ進んでしまうことになる。三歩ほど進んでしまってから足を止めて香穂子を振り返る。
「何だ?」
「ねぇねぇっ、気づいた!?」
 少し離れた土浦との距離を香穂子が軽い足取りで詰めてくる。
「何を」
 ゴールデンウィークが明けて、少しだるいなと思いながらの登校である。休みの間も部活はあっていたから学校へは出ていたが、授業があって学校へ行かなくてはならないのと、部活をしに学校へ行くのとでは大きな違いがある。授業は受けなくてはならないものであって、必然だ。だが、部活は自分がしたいものであり、任意だ。強制されるかされないか、それだけで気の持ち方に違いが出る。
 同じようなことを香穂子も言っていた。香穂子は部活に参加しているわけではないが、休みの日もヴァイオリンの練習をしに学校へ来ていた。ヴァイオリンを練習するために学校に来るのは平気だけど、勉強するためには率先して来たいと思わないな、と。
 ただ、その後に「土浦君に会えるんなら、学校もいいと思うけどね」なんて付け加えて、土浦を閉口させたが。
「土浦君と知り合ってから、一年になるんだよ!」
 横に並んだ香穂子が土浦の顔を下から覗き込む。
「そうか?」
 あまり興味がないような口ぶりで答える。
「そうだよ! コンクールからもう一年になるんだねー………」
 土浦から目を離して、香穂子の視線は中空に向けられる。一年前のことを思い出しているに違いない。香穂子の横顔を見つめながら、土浦の思考も一年前へと遡っていく。
 あのコンクールはとんでもないものだった。コンクール自体はさほどおかしいものではない。学内でどんな楽器にせよ実力のある生徒が選出され、その中から更に優秀な生徒を選び出す、というものだ。言葉にしてしまえばなんということもない。だが、土浦が(何も土浦に限ったことではないと思うが)自分が参加したコンクールがとんでもないと言うのにはちゃんと理由がある。まず、なんの実力もない素人の香穂子が参加していたこと。それはまだなんとか許容しよう。だが、一番とんでもないと土浦を思わせたのは、コンクールを開催する原因が羽の付いた小さい生き物のせいだ、ということだ。
 学内コンクールのことも土浦は興味がなかったから、詳しくは知らなかった。普通科の生徒は似たり寄ったりだったと思う。だから、まさかそんな正体の知れない、現実味のないものがいて、こともあろうにそれが学内コンクールの開催と出場者を選出していたのだと知ったときには、それはもうただただ驚愕した。
 初めて羽付きを見たときのことを土浦は一生忘れないだろうと思う。
 香穂子がどうしたらいいのかわからずに途方に暮れていたから、ほんの軽い気持ちで助けてやろうとそう思ったのが運の尽きだった。見えてしまったのだ、羽付きが。人前ではピアノをと弾かないと、そう決めていた土浦までもがコンクール参加者に仕立て上げられてしまったのを思えば、運が悪かったとしか思えない。
 その後、コンクールに参加するようになってからもいろいろと気苦労は絶えなかった。校内を歩いていると突然現れる羽付きたち。虫の好かない出場者。音楽科生徒からのやっかみの視線。
 こう並べ立てると、本当にろくなことがなかった。
「大変だったけど、楽しかったよね」
 香穂子から声を掛けられて土浦の回想は中断する。
 気づけば正門近くまでやってきていた。
 あっけらかんと笑って言う香穂子こそ一番大変じゃなかったかと思う。ヴァイオリンのことなんて一つも知らない状態で、やってのけたのだ。
 その香穂子が笑うから、土浦もつられて口元を緩めた。
「そうだな」
 確かにろくなことはなかった。
 だが、そればかりじゃなかった。
 コンクールに参加したことで、もう一度積極的にピアノに向かい合うことが出来るようになったのもその一つだった。これに関しては隣を歩く香穂子がいなければ、今もまだ過去の嫌な思い出を引きずっていただろうが。
 正門を抜け、まっすぐに歩く。
 入学した時からずっと疑問だった正門の妖精像。今ではなんでそんなものが建っているのかよくわかる。
 散々だった。でも悪い思い出じゃない。むしろこうして香穂子と一緒にいる現状があるのだから、良かったと、そう思える。
「………サンキューな…………リリ」
 妖精像の傍を通り抜ける時、言葉を口に乗せた。
「何か言った?」
 香穂子が土浦を見上げる。口の中だけで出した小声は香穂子には届かなかったようだ。
届いても困るのだが。
「気のせいじゃないか」
「そう?」
 香穂子はあまり深く考えずに、そのことについて土浦に質問するのを止め、別の話題を持ち出す。
 香穂子の言葉に傾けようとした耳が、ふと違う音を拾う。
 ―――こっちこそありがとうなのだ、土浦梁太郎。
 それは本当に微かな音で、幻聴と思ってもおかしくない。
(……………本当に幻聴かもしれねぇな)
 幻聴だとしたら、それは自分の願望が聞かせたものということになる。
(ま、それもいいか………)
 土浦は声を立てずに口元だけで笑った。その笑みは苦笑にも近かったけれど。

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「金色のコルダ」発売1周年記念ということで書いてみました。一年後の土日カップル。でも実際は火日でも月日でも良かったかなぁと思っています。ただ「ありがとう」となかなか口にしそうにない人をということで土浦になりました。しかし、実際は「サンキュー」で済ませた土浦。うん、でも全然甘くも何ともないですね! ただの回想小説だし。自分の中では、土浦が初めてリリの名前を口にして、感謝の意を述べたという設定を持っていますけども。それだけを書きたくて書いたんですけどね。ええと、内容が短い分、特記することもなく………。

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