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ほどよく疲れた体に、電車の振動は心地良い。その心地良さに眠りを誘われたのだ、と眠りから目覚めた律はすぐに理解する。
それはすぐに理解できたが、自身の状態が少々理解できない。右のこめかみに何か当たって、自分の上半身がそちらに傾いでいる。どうやら何かにもたれていたらしい。
眼鏡の蔓がずれたのを直しながら傾いでいた体を起こすと、自分が何にもたれ掛かっていたかを確認する。
「………小日向?」
自分がもたれていたのは、年下の幼なじみだった。
「やっと起きた~」
にこにことかなでが言う。
律は瞬時に状況を思い出す。
かなでと二人で大会の会場の下見をしてきたところだった。律にとっては初めての場所ではなかったが、かなでは初めて訪れる場所になる。もちろん場内に入ることは出来なかったが、雰囲気だけでも掴んでくれれば、と思ったのだ。かなではもうすぐ大会だという緊張感に欠けている感がある。緊張感を持って欲しいという希望もあった。残念ながら、それには失敗したようだが。
律としては響也も連れてきたかったのだが、出かける直前に姿をくらました。仕方ないので、かなでだけ連れてきたのである。
寮まで帰る電車の中で、律は寝てしまったということだ。しかも、かなでの肩を借りて。
正直に言って、律らしからぬ失態だ。電車の中で寝てしまうことはまだ良しとしよう。しかしながら、年下の幼なじみに肩を借りるとは。
とはいえ、非常に不本意だが、かなでに負担を強いたことは事実だ。謝辞を口にしようとしたところで、車内アナウンスに阻まれる。いや、阻まれたのではない。自ら止めたのだ。
アナウンスが告げたのは耳慣れない地名。それはつまり、最寄り駅を通り過ぎた、普段は利用しない駅であるということだ。
「どこだ!?」
強い口調の律に、かなではのんびりと応える。
「よくわからないけど………降りる駅から、5つくらい先だよ。だから、そんなに遠くないよ」
「なんで起こさなかった!?」
練習を終えた後に会場まで足を運んだのだ。いくら夏の日が長いとはいえ、外は既に外灯がなければ歩けないほど、暗い。練習で疲れた体を寮に戻って一刻も早く休めたいところに、これは単なる時間のロスだ。
「だって、気持ちよさそうに寝てたから、起こしちゃ悪いって思って」
律は息を呑んだ。
その間に電車が駅のホームに滑り込む。
「………ともかく、降りるぞ」
「うん」
素直にかなでは律の後ろを付いてくる。
かなでを背中に感じながら、昔のことを思い出していた。
幼い頃、どこへ行くのにもかなでは後ろを付いてきていた。または、ついて来ようとした。どこでもかしこでも連れて行くわけにいかないから、半分くらいは置き去りにしたこともあるが、懲りるということを昔から知らなかったかなでは何度も後ろを付いてきた。
よもや、高校生になってまでも追ってくるとは思わなかったが。
ちなみに、かなでの後ろからは響也も付いてきていた。今現在は付いてきていないが、転校にまで付いてきて、全くもって面倒見が良い。だからこそ、律はかなでを置き去りに出来たわけだが。
反対側のホームへ上がって間も無く、上りの電車が入ってくる。
時間のせいか、空いていたため並んで座る。今度は、眠らない。眠気などどこかに飛んで行ってしまったし。
電車がホームを離れてしばらくしてから、律はさっき飲み込んだ謝辞を口にした。
「すまなかったな」
肩を借りていたこと。
眠ってしまったのは律なのに、思わずかなでを責める言い方をしてしまったこと。
そうとははっきり言わずに、ただ、謝った。
かなでのほうは一瞬なんで謝られたのかわからなかったようで、その顔をにっこりと笑顔に替えるまでに少々時間を要した。
律は、その笑顔に少しだけ心を緩ませる。
その緩んだ心に、するりとかなでの言葉が入ってくる。
「ちょっとだけ嬉しかったし」
「は!?」
かなでの顔を見ると、その顔には変わらない笑顔が浮かんでいた。律の怪訝な顔を見ても、それは揺るがない。
「だって、律くんに頼られたみたいだったから」
かなでは少ない言葉で嬉しさを表現したが、それは律の眉間に皺を増やしただけだった。
とはいえ、その皺が実は照れ隠しだったことは、律だけの秘密だ。
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