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「おい、かなで!」
響也は隣に座るかなでの肩を揺すぶったが、かなでは広げたノートに頬を押しつけて穏やかな寝息を立てている。
菩提樹寮の食堂で、夜更けに二人。
何をしていたのかというと、夏休みの宿題だ。一緒に勉強すれば効率がいいよ、と言って誘ったのはかなでのほう。なのに、かなではノートを広げて暫くするとこっくりこっくりと船をこぎ出し、とうとう机に頭を付けた。
「勘弁してくれよ………」
ため息と共にそう吐き出して、響也は頭を抱える。
何が楽しいのか、横に向いているかなでの口元は緩んでいる。
「能天気すぎるだろ」
高校二年生の夏休み。
予想では、のんびりと楽しい時間を満喫するはずだったのに、どうしたことか、今横浜にいて、転校したての星奏学院のオーケストラ部に入部した挙げ句、全国学生音楽コンクールに出場するという、これまでの人生からは想像も付かない怒濤の勢いでスケジュールをこなしている。
それもこれも、きっかけは隣で暢気に寝ている幼なじみだ。
何があったのか、かなでは語らない。だが、かなでは本格的に音楽と向き合うことを決心した。最初は単身、転校するつもりでいたようだが、可愛い孫を一人都会へ出すことに恐ろしく不安を覚えたかなでの祖父から、お目付役とばかりに一緒に転校させられた。
口で言うほど、不満があったわけではないし、それなりに楽しいこともあるし、悪くはない。スパルタ気味の兄や軟派な副部長や生意気な後輩と一癖も二癖もあるメンバーに囲まれていると、窮屈だと思うこともあるが、その分達成感は大きい。
だから、今の状況は悪くない。
既に全国大会へ出場することが決まっていて、この寂れていた寮も至誠館のメンバーや神南の三人が押しかけてきて賑やかになった。鬱陶しかったりうるさかったりすることもあるけれど。
響也は机に右手で頬杖をついて、左手の人差し指で無防備なかなでの頬を突く。
相変わらず、呼吸を乱すこともなく眠っているかなでに対して、ちょっかいはエスカレートしていく。次には、頬をつまむ。柔らかいが弾力があってちょっと気持ちが良い。
少し力を加えると、かなでの表情が少し変わった。
眉間に皺が寄って、「う~~~」と低い声で唸る。
ギョッとして、さっと手を引っ込め、仰け反る。
かなではそれで起きるかと思ったが、そのまま寝続けている。
「脅かすなよ」
軽く悪態をついて、仰け反っていた体を元に戻す。
しかし、どうしたものか。
この調子だとかなでは目を覚ましそうにない。そもそもかなでは寝付きがよいし、一度寝たら簡単には起きないのだ。
となると、かなでが起きるまでここで付き合うか、女子寮まで運ぶかの二者択一ということになる。
明日も練習があるし、響也とて早く休みたい。だが、かなでをここに放っていくことも出来ないが、かといってかなでを抱えて女子寮に向かうには、流石に抵抗がある。それにそんなところをニアに見られでもしたら、しばらくはそれをネタにあれやこれや言われるに決まっている。そんなこと、全力で遠慮願いたい。
そして、こんな時に限って誰も通らない。律でもやってきてくれれば、なんとか打開できそうな気がするのに。
時計の針は間もなく零時を指そうとしている。何で、今日に限ってみんな寝付きがいいのだろうか。いつもなら宵っ張りの誰かがいそうなのに。
(しょうがねぇ………起きるまで付き合うしかねーか)
また幸せそうな顔で眠るかなでの顔に、苦笑が浮かんだ。こんな無防備でいい顔をしているのなら、付き合っても悪くないと思ったのだ。
だが、その時間はさほど長くはなかった。
男子寮のほうから足音が近づいてきた。誰かが起き出してきたのだ。差し詰め水でも飲もうかと考えたのだろう。
響也にとっては救いの神のはずだった。
「おや?」
顔を見せたのは、八木沢だ。
「まだ起きていたんですね。明日の朝も早いですから、早めに休んだほうが………」
そう言いながら八木沢は響也のほうへ歩み寄ってくる。
「あ、ああ! わかってる!」
それは、響也自身考えての行動ではなかった。
がたっと荒く椅子を動かして八木沢のほうを向くと、その背にかなでを隠した。
その不自然な動きが八木沢の首を傾げさせる。
「どうかしましたか?」
「何でもねぇよ!」
強い声が出てしまった。八木沢が驚いている。
八木沢からしてみれば、響也の行動は不審なことこの上ない。故に、何があるのか知りたいと思うのは当たり前だ。八木沢はちょっと首を伸ばして、響也の背後に目を向けた。
「小日向さんが眠ってるんですか?」
「………………」
響也は答えなかったが、どう取り繕ってもその事実は明らかでしかない。
「起こしてあげないんですか?」
「起こしたけど、起きねぇんだよ、こいつ!」
「そうなんですか………」
八木沢が更に歩み寄ってこようとする。それは単にかなでのことを心配してのことだと思う。響也の行動が不審だから、それもあって心配しているのかもしれない。
「だ、大丈夫だ!! そのうち起きるから、それまで待つから気にしないでくれ!!」
腰を浮かせて、少し下がり気味で更にかなでを背後に隠す。
その拍子に、肘がかなでに当たった。勢いがあったから、結構な力だったと思う。
「うん………?」
背後から声が上がって、飛び上がらんばかりになる。
「………あれ?」
人が動く気配。かなでがどうやら起きたらしい。
「寝てた?」
独りごちて、それからようやくこちらを向いたようだ。
「響也、何してるの?」
それを聞いて、どっと体から力が抜けた。へたり込むように椅子に腰を落とす。
何だか、妙な汗がだらだらと背中を流れているのがわかる。
「小日向さん、眠るときはちゃんとベッドで眠ったほうがいいですよ」
八木沢が優しい笑顔でかなでに話しかけているのをぼうっと聞いている。
「あ、はい」
「じゃあ、僕は水を貰ってから戻ります。響也君も早めに休んだほうがいいですよ」
「ああ………」
上の空で答えて、キッチンに入っていく八木沢を見送ると、それから盛大な息を吐き出した。
「どうしたの?」
暢気なかなでの声。
「どうもしねぇよ、バカ」
悪態をつきたくなってしょうがなくてそう言ってしまった。
「バカって何よー!」
がつっと背中にかなでの拳がぶつけられる。
「いってぇ!!」
仕返しだと、体を反転させるとかなでの両こめかみにそれぞれ人差し指の第二関節をぐりぐり押しつける。
「痛い痛い痛い痛い! 何なのよう! わたし、何かした!?」
それには無言で答える。
かなでは何もしていない。
「本当に仲が良いんですねぇ」
キッチンから戻ってきた八木沢が通り過ぎながら、笑いを含んでそう言い置いていく。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
響也の手から逃れたかなでが、笑顔を見せて八木沢を見送った。
「俺ももう寝る」
唐突すぎたのだろう。きょとんとかなでは響也を見上げる。
「お前も早く寝ろよ」
机の上に広げた勉強道具一式を手早くまとめると、小脇に抱え、その場を立ち去る。
「えー!? 何なのよー? 響也、意味わかんない!」
かなでの声が追いかけてきたが、無視した。
足音も荒々しく、寮の自分の部屋に戻ると、勉強道具を机の上に放ってから、自分はベッドにダイブする。
意味がわからなかったのは、響也だって同じだ。自分で自分の行動がわからなかった。
眠ってしまったかなでを持て余して、誰かが来てくれないかと思っていたのは他ならぬ響也だったのに。
だが、いざ人が来たときに、響也が取った行動は―――かなでを隠すこと。
どうして、あんな行動に出たのか、一人になって冷静になった響也にはわかっていた。
かなでの寝顔を見せたくなかったのだ。
誰にも。
無防備に眠るかなでの寝顔は、これまでに何度も見てきたし、珍しくともなんともなく、特別なものではないはずなのに。
だが、誰にもみせたくないと思ってしまったのだ。
そう気付いた響也の心臓が大きく波打つ。
(何で―――)
何故、誰にも見せたくないなど思ってしまったのだろう。
「わかんねぇ………」
俯せの体を、今度は仰向けにして、両腕で目を覆う。
「わかんねぇよ」
もう一度呟く。
響也の疑問はまだ解けそうにない。
だが、一つだけ予感していることがある。
かなでに対して、これまでどおりではいられないような、予感。
響也は目の上から腕を降ろすと、左手を、その指先を見つめる。親指と人差し指を合わせて―――そして、ぐっと拳を握り締めた。
実は、響也の寝顔ネタはずっとありました。ようやく形になったのですが、コレの前に書いているコルダ3の話って、火積がやっぱりかなでが寝ているのに遭遇するというもので、あんまりにもバリエーションのなさにちょっとげんなりします。でも、書いていて楽しかったのでいいやー。こういう些細なところから、ただの幼なじみという関係が崩れていくといいなぁと思いますv もちろん、最初に恋心を意識するのは響也のほうで。どう考えてもかなでは鈍チンだものねぇ。
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