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待ち合わせの場所へ向かう志水の足を止めたのは、一対の瞳だった。
真っ黒でつぶらなその瞳は、舗道の脇からじっと志水を見つめていた。
志水は、足先の方向を変えて、その瞳のほうへと歩み寄った。舗道を横断するかたちになったので直進してくる人たちの歩みを妨げることになってしまったが、目指すものしか見えていない志水はそれに気づかず、自分の意志のままに達する。
一対の瞳は、志水と同じ目の高さだ。だからこの瞳に気がついたのだろうか。
いや、そうではないとすぐに思い直す。
(香穂先輩に似てるから………)
志水の視線の先にある一対の瞳を持っているのは、真っ白なウサギの大きなぬいぐるみだ。
足の長い椅子に座ってはいるものの、それでも志水でも両の腕で抱え上げないといけないほどに大きい。赤と黒と白のタータンチェックのノースリーブのワンピースを着て、首には同じ生地のリボンを巻いている。
ウサギである。
ウサギのぬいぐるみなのに、どうしてだろう。香穂子に似ていると思う。
そう思ってしまうと、なかなかそこから離れられなかった。
香穂子ではない。ウサギのぬいぐるみなのに、この場において行くことができなかった。
だから、志水はおもむろにウサギのぬいぐるみを抱き上げた。そのまま、このウサギの背後にあった店の中に入っていく。
アンティーク雑貨を取り扱っている店だった。雑多に、としか思えないような陳列の仕方をしている雑貨たちに場所を取られて、通路も人一人がやっとで通れるほどの幅しかない。
そこを志水はゆっくりと進んだ。
志水の動きに合わせて、ウサギの長く垂れ下がっている耳が弾む。
毛足が以外に長くて、ふわふわと志水の肌に触れているのが気持ちいい。
「いらっしゃいま………」
志水が入ってきたことに気がついて、女性店員が声を上げたが途切れた。
店員のほうからすれば、ウサギの陰に隠れて志水の姿が見えない。ただ、ウサギの胴には人の腕と、プラプラ揺れているウサギの足の間から、人の両足が見えているのみ。
それに、このウサギを抱えて入ってくる人がいるとは想定していなかったのだ。
故に店員は度肝を抜かれたわけである。
「あの、これをください」
志水はウサギのむこうがわにいる人に話しかけたくて首を伸ばしたけれども、ウサギに阻まれてそれは達せなかった。
「あ、ええと。はい」
店員は慌てて自分の職務を思い出す。
「申し訳ございません。そちらは非売品なんです。お売りすることは出来ないのです」
「そう………ですか」
しかし、志水としてはこれをここへ置いていくつもりはない。
どうやって持って帰ろうかと考え始めた志水に、別の声が掛けられた。少ししゃがれた、老人の声である。
「そちらがお気に召しましたか」
「はい」
志水の横のほうから、声の主は現れた。店主のようだ。
頭髪も、伸ばしている髭も真っ白な男性で、色黒の肌には皺が多く刻まれている。喋ると髭が上下に動いた。
「どうやら、置いていくつもりはないようですね」
千里眼の持ち主なのか、それとも志水の顔に決意が表れていただけなのか、老人は志水の気持ちを察してくれた。
「ではお持ち下さい」
あっさりと許されて、真っ先に驚いたのは女性店員だった。
志水も最初は少しだけ驚いたが、すぐにこれは自然なことなのだと思う。
何故なら、このウサギが志水を呼んだのだ。この出会いは必然だったのだ。だから、一緒にこの店を出るのは当たり前のことなのだ。
「それは私が作ったものなんですよ。お客さんを呼んでくれればいいと思って、今日置いたばかりだったのだけれど、きみが呼ばれてしまったのだね。きっと運命の出会いだったんだろうね」
店主の言うことに、志水は頷いた。それを見て、店主が笑った。
笑顔に見送られて、店を出た。
一度だけ振り返ると、店主がにこやかな顔で手を振っていたので、ぺこりと頭を下げた。一緒にウサギも頭を下げた。
改めて、待ち合わせの場所へと向かう。時間に余裕を持って出てきたからまだ大丈夫だとは思うが、もしかしたらもう香穂子は待っているかもしれない。
そう思うと少し足の運びが早くなった。
待ち合わせの場所に香穂子の姿はまだ無かった。
駅前にある噴水の傍にあるベンチに座って、香穂子を待つ。隣にウサギを座らせた。座ったウサギはこてんと志水に寄りかかってくる。
ふわふわとした毛が、志水を撫でる。
その気持ちよさに、志水は目を閉じた。それは、香穂子と一緒にいるときに感じる心地よさと同じだ。
柔らかくて優しくて、胸の内がほっこりと暖かくなる。
(香穂先輩と同じだ………)
とろりとその暖かさに身も意識も委ねる―――。
香穂子が駅前で見つけたのは、ウサギの大きなぬいぐるみに寄りかかって眠っている志水だった。
(か、可愛い………!)
そろりそろりと近づいて、じいっと見つめた。
寝息までたてて、実に気持ちよさそうだ。その光景は微笑みを誘う。
志水の寝顔だけでも充分に可愛いというのに、それにウサギがプラスされているのである。
男子高生だというのに、こんなにウサギのぬいぐるみが似合うというのはいかがなものかと思うが、可愛いので良いことにした。
(起こすの、勿体ないなぁ………)
だが、その必要はなかった。
香穂子の気配を感じたのか、志水が目覚める。
「香穂、先輩………」
寝ぼけ声で香穂子の名を呼ぶ。
それすら可愛い。
「おはよう、ございます」
「おはよう。こんなところで寝てると風邪引いちゃうよ」
「大丈夫です………香穂先輩が暖かいから」
頭を起こすと、志水は香穂子を見上げ、それから横に据えているウサギのぬいぐるみを見た。
志水の言うことがいまいちよくわからなかったが、それは珍しくないことなので深くは考えない。
「あ、香穂先輩。お誕生日おめでとうございます」
おもむろに志水はショルダーバッグから、綺麗なラッピングをされた小箱を取り出して香穂子に渡した。
受け取った香穂子は礼を言いながらも、戸惑う。
今日は香穂子の誕生日で、プレゼントを渡したいから会いましょうと誘われていた。だからプレゼントを貰うことはわかっていた。そしてそのプレゼントはてっきり今志水の横にあるウサギのぬいぐるみだと、そう思っていたのだ。
香穂子の視線がウサギのぬいぐるみに向かっていることに志水も気づいた。
「ごめんなさい。これは、僕が持って帰るんです。だからあげられないんです。それにこれは香穂先輩だから、香穂先輩が持っていても意味が無いんです」
意味がないもなにも、そもそも、言っている意味がわからない。
困る。
しかし、志水は幸せそうに笑っている。
それにつられて笑顔になったが、何かおかしいと思い直す。
(ウサギのぬいぐるみが私?)
どういうことだろう。
志水は優しい瞳で、ウサギのぬいぐるみを見つめている。
何だか。
(面白くないかも………)
それは、明らかにウサギのぬいぐるみに対する嫉妬だった。
「香穂先輩?」
黙り込んでしまった香穂子の顔を、志水は下から覗き込んでくる。
(うっ………)
可愛い。
その顔を見ていると、香穂子の嫉妬心もしゅんと小さくなっていって、どうでもよくなってきた。
だから、結局香穂子も笑う。
急に香穂子が笑い出したので、志水はびっくりした顔を見せたが、すぐにホッと柔らかい笑みを浮かべた。
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