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087.お正月

 左手にチェロを抱え、右手には通学途中読んでいた本。
 冬休みの間に読もうと図書館で借りた本は、残念なことに一冊だけ読み終えることが出来なかった。それが今手にしている本だ。本を開いたのも今朝のこと。
 そして何ページもいかないうちに、学校に到着してしまった。
 せっかくの休みに予定していたことが成し遂げられなかったのが勿体なくてならない。志水の計画では、とても充実した休みになるはずだったのに。
(おかしいな………)
 呟きは声にならずに白い息となる。
 ふわふわ。
 立ち上ぼって、冬独特の冷たい空気に溶け込んでいく自分の息をじっと目で追っていた志水は、軽く背中を叩かれながら名を呼ばれた。
「おはよう」
 志水の背中を叩いた後、横に並んで笑顔を見せたのは香穂子だった。志水もつられて笑みを浮かべる。
「おはようございます、先輩」
 ほこっと、自分の中心から暖かくなる。この心地よいぬくもりを志水は未だよくわからない。
 自分の思いどおりの音を奏でることが出来たときの喜びとも、誰かと音を合わせた時の気持ち良さとも違う。
 ただ香穂子の笑顔を見るだけでこんな気持ちになる。
「お正月どうしてた?」
 香穂子の問い掛けにしばし悩む。
 正月は本を読んだり作曲をしてみたり、好きな演奏のクラシックCDを聴いたりした。
 一昨日はニューイヤーコンサートにも出かけたのだ。
 もちろん、チェロの練習も欠かさなかった。思う存分没頭することができた。
 改めて考えると、かなり充実した正月だったと言えよう。確かに本をすべて読むことはできなかったけれども、心残りはそれくらいだ。
 だが、満たされない気持ちになっているのはなぜなのか………。
「僕、お正月は好きでした」
 志水の言葉は、唐突だった。
 けれども、それは志水の今の心情をはっきりと表していた。
「お年玉をもらって、それを持って楽器屋さんへ行って新しい楽譜や欲しかった演奏家のCDを買ったり、こたつで本を読んだり、本もいっぱい読めるし、ニューイヤーコンサートをテレビで観たりして―――あ、特に今年のコンサートは一度は生の演奏を聴いてみたいと思っている指揮者で、観ていたらやっぱりいつかは生の演奏を聴いてみたくなるくらいだったんです。先輩にも、あの演奏を聴いて欲しいと思うから、だから、いつか一緒に―――」
 そう言って、ようやく気がついた。
 正月が好きだった、という理由。
 充実していたと思うのに満足していない理由。
「志水くん?」
 黙ってしまった志水の顔を、香穂子がのぞき込んでくる。
 その視線をまっすぐに受け止めて、志水はふわりと微笑んだ。心なしか頬が紅潮しているのはもちろん寒さのせいだけではない。
「いつか一緒に行きましょう。僕、先輩とあの演奏を聴きたいです」
 それだけじゃない。
 もっと一緒にいて、感じたこと、思ったこと、すぐに話をしたい。分かち合いたい。
 いや、隣に香穂子がいてくれるだけでいい。
 満たされなかったのは、何かが足りないと思ったのは、そのせいだ。
「うん」
 志水の誘いかけに、香穂子は笑顔で頷いた。
「いつか、一緒に行こうね」
 香穂子の笑顔とその言葉は、志水を暖かくさせる。さっきの比ではない。
 寒さが気にならなくなってしまうほどの、暖かさ。
 そして、香穂子はさらに志水の温度を上げる。
「その指揮者の人の演奏じゃないんだけど、来週の日曜日に市民ホールでニューイヤーコンサートがあるんだけど、一緒に行かない? ちょうど、チケットを二枚貰ったの」
 即座に返事をしていた。もちろん、首を縦に振っている。
(わかった………)
 香穂子の笑顔が志水の真ん中に残していく、心地のよい温もりの正体。なぜ、その温もりを香穂子からだけ感じるのか。
 志水にとって、香穂子が特別だからだ。
 ただ、特別なだけではない。
 そのことに気がついたら、伝えたくなった。伝えずにはいられなかった。
 白い息は、志水の気持ちも乗せて、言葉とともに口から飛び出す。
「僕、先輩のことが好きです」

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2009年コルダ第1作は水日のお話。ネタだけは去年のうちから出来ていたんですが、なかなか文章化できずにいたものです。新学期の始業式の朝が舞台ですが、本当は違いました。さすがにお正月は志水も実家に帰るであろうと思って、その間会えなくて寂しいです、という話にしようと思っていたのですけど、時間をおくうちにこうなってしまいました。
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