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このところ、月森が口を開いては、閉じてしまうというところを何度か目にする。
それが気になって仕方がない。
何かを言いたいのだろうが、結局何も言わずに終えてしまう。
一度「何?」と訊いたら「何でもない」と、頬を少しだけ赤らめて返されたので、それ以降は質問していない。何でもないわけがないと思ったが、答えてくれそうに無かったので諦めたのだ。
だけど、こうも気になるのならやはり強気で訊いておけば良かった。
「あのさ、月森君」
目の前の棚から本を一冊引き抜こうとしていた月森は、香穂子の小さな呼びかけにその動きを止めた。
「私に何か言いたいこと、あるよね?」
上目遣いに月森の横顔を見ながら、香穂子はゆっくりと訊ねた。
月森は正面を見つめたまま、抜き取ろうとしていた本を手に取る。それから、ようやく「いや」と香穂子の言葉を否定した。
だが、それは嘘だ。
以前一度だけ訊ねたときと同じように、月森の頬はやや紅潮していたからだ。
だから、今度は諦めなかった。
「だって、何か言いたげにしてるんだもん。………気になるよ」
月森は香穂子のほうを向く。少し笑っていた。
「気に障ったのならすまない。だが、君が気にするようなことではないんだ。気にしないでくれ」
そうできないから言っているのに、わかっていない。
香穂子を見て、何か言いたそうにするのに。
「そう………」
結局、香穂子は追及するのをそこで諦めた。月森から視線を逸らし、自分が借りる分の本を探すことを再開する。
だから、月森が笑みを引っ込めた後に固く口を閉ざして、だがもの言いたげに香穂子を見ていたことに気がつかなかった。
教えてくれないのなら、観察し続けて探るまで。
その日の帰り道には、香穂子はそういう結論に達していた。
月森の横を歩きながら、気付かれないように月森を観察する。月森と顔を合わせるのは平日だと登下校時及び昼食時くらいのものだから僅かな時間でしかないが、その僅かな時間で月森が何か言いたそうにしていることに気がついたのだから充分だろう。
だが、その日は香穂子の観察も虚しく終了した。月森は何かを言いたそうにすることなく香穂子を家まで送ると帰っていってしまった。
今日、香穂子が質問したことで月森も気に掛けているのかもしれない。もしかしたら、このままなかったことになってしまうのかもしれない。
(だからって、まだ諦めたりしないんだから)
そうやって根気良く観察を続けていったが、一週間のうちに何かを言いたそうにする月森を見ることは出来なかった。
こうなると俄然知りたくなる。
(ええっと。大体、どんなときだったっけ………月森君がそんなふうにするの)
今見られないのなら、かつてのことを思い返すことにすればいい。これに関しては自分の記憶に頼るだけになるから、頼りないことこの上ないが今出来るのはそれくらいしかないのだから頑張るしかない。
喋っている途中ではなく、香穂子がひとしきり話し終わったところでそういう仕草を見せていたように思う。大体、人の話の間に割り込むことはしない人だから当たり前ではあるが。
(ってこれじゃ何の手がかりにもならないわよ………)
香穂子はぎゅうっと目をつぶって、眉間に皺を寄せる。
(何かの話に対する反論、とかではないんだろうし)
それなら、口にするのを躊躇うこともないし、ましてや毎回毎回同じ話をしているわけでもない。もし、毎回違う話のたびに反論したいことがあったとしても、それを我慢する人ではないのだから。
(私に言いたいこと、か)
頬を少しだけ赤くするようなこと───。
「………何があったんだ、香穂子」
声を掛けることを一瞬躊躇ったような声に、ぱっと目を開けて声の主を仰ぎ見る。
香穂子の座るベンチの傍に月森が立っていた。
「何がって?」
「やけに難しそうな顔をして考え込んでいたから」
月森は香穂子の横に腰を下ろした。
昼食の時間。風に秋の匂いを感じるようになってきたから、屋上で昼食を取ることを再開した。夏の間は暑くて避けていたのだ。
「うん。とっても難しいこと」
「そうか」
それぞれにお弁当を膝の上で広げる。
「俺はその助けになることは出来ないか?」
一口目を含んだところで受けた質問に、香穂子は小さく首を振った。
「うん。大丈夫」
だって、言ったって話してくれないでしょう?
その言葉は口には出さず、胸の中だけで付け加える。
「そうか」
少し残念そうな顔をしたように見えるのは、香穂子の気のせいだろうか。
「ねぇ、月森君!」
幾分か沈んでしまったような空気を盛り上げたくて、香穂子は声の調子を上げた。
だが、それは失敗に終わる。
玉子焼きを咀嚼していた月森の動きがほんの僅かの間だけぎこちなくなっただけ。
「月森君?」
「何?」
答えた月森はいつもと変わらない。さっきのは香穂子の見間違いか。
「ううん………何でもない」
香穂子は膝の上のお弁当に視線を落とした。
手助けをしてくれようとした月森に否定で答えたから、それが気に障ったのだろうか。
(そんなわけない)
今までだって同じようなことは幾度もあった。まずは自分で何とかしよう、香穂子はいつだってそう思っているし、月森もそれを理解してくれている。
この短い間に交わした月森とのやりとりを反芻する。
だが、どこも引っかからない。
手助けのことを差し引くと、あとは名前を呼んだだけ。
(まさか! でも、もしかして………)
答えが見えたような気がした。
「香穂子。スカートの上に落ちている」
「えっ?」
指摘されて慌ててスカートの上に目をやると、箸で挟んでいたはずのから揚げがそこに転がっていた。
自分でもいつまでもずっと同じままなのはどうだろうと、最近思っていたのだがきっかけもなければ、慣れ親しんだものを手放すことも出来なくて、ずるずるとそのままでやってきた。
だが、いい加減覚悟を決めなくてはならないようだ。
正門前で、香穂子は月森を待ちながら決意する。
香穂子が見つけた答えが間違っていないことは、先ほど証明された。
月森と二人並んで図書室から出てきたところで、逆方向から歩いてくる天羽と遭遇した。
「香穂に月森君じゃない。相変わらず一緒にいるのね」
その言い方に月森は少しムッとしたようだった。天羽としては冷やかし半分で面白がって言っただけに違いないので、いちいち腹を立てることもないのに。だが、そのことを口には出さなかった。天羽と仲のいい香穂子に遠慮しているのか、以前よりは人間が丸くなったのか。いずれにしても香穂子としてはありがたい。
「菜美はどうしたの?」
「ちょっと調べ物。昔の文献を調べなきゃならなくなったのさ」
「そうなんだ」
「というわけで、急いでるからまたね」
「うん」
天羽と別れてから、再び月森と並んで歩き出す。
何故か、無言のまま。
月森が何かを考えているようで、邪魔できなかったのだ。
沈黙を破ったのは当の月森。だが、それは香穂子に聞かせるつもりのない、呟きのようなものだった。それでも静かな廊下をただ二人きりという状態では、それを聞き逃すわけがなかった。
「友達は名前で呼ぶんだな」
月森は確かにそう言った。
聞き返すことは出来なかった。失言だったと自分でも解ったのだろう。月森は口元を片手で押さえていた。
答えが解ってしまえば、それまで解らなかったことが不思議でならない。
ずっと、月森はそれを言いかけていたのだ。
何度も言おうとして、だけど恥ずかしくて、照れくさくて、止めていた。
その気持ちがよく分かって、月森蓮という人が、どんな想いでそのことを願って、口にしようとして何度も止めてしまうその気持ちが分かって、香穂子は改めて思う。
なんて、愛しい人だろう、と。
不器用で、愛しい。
言えないのなら、気づかないふりをしてそれに応えようと思う。
もうすぐここへやってくる月森を迎えて。
そして言うのだ。
「今日は寄り道して帰らない? 蓮」
その時、どんな顔をするだろう。
顔を真っ赤にするだろうか。
それで、照れ笑いをするだろうか。
嬉しさを含んだ笑みを見せてくれるのだろうか。
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