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010.教室

「もぉぉ~~」
 口を尖らせて香穂子は校内を走っていた。
 練習室で練習していた香穂子は、六時のチャイムが鳴るとそこを出た。そうしたら、金澤と出くわしてしまった。見るからにやる気の感じられないこのコンクール担当教師は、その時もちょうど良かったと言わんばかりに、にんまりとした。
 嫌な予感。
「すまんが、これを月森に渡してくれないか」
 ちっともすまなさそうには思えない口調である。
「何故、わたしなんですか?」
 言いたくなるのも無理はない。
 香穂子は普通科、月森は音楽科。今でこそコンクールという接点がありはするが、それほど特別に仲良いわけでもない。この時間なら香穂子の他にも音楽科の生徒だって残っているのだから、そっちに頼んだほうが効率がいいのじゃないかと思う。
「それはだなー…………………月森と仲がいいのはお前さんだから」
 間が気になる。
「………それほどでもないと思いますけど」
「それほどでもあるんだよ。同じヴァイオリン奏者だし」
 それもあまり関係がないように思う。
「ま、何にせよ、あの月森がお前さんのこと気にしてるのは事実だな」
 香穂子の怪訝そうな視線を受けてか、金澤はそう付け加えた。
「そうでしょうか?」
「そらそうだろうよ。まったくのド素人がいきなり出たセレクションで優勝してるんだ。しかもニ連勝。月森じゃなくたって気にするさ」
 というわけで、と金澤は一冊の本を香穂子に押し付けた。いまいち納得がいかなかったが、突っ返すこともできない。結局金澤に押切られたかたちとなった。
「じゃー、頼んだぞー」
 ひらひらと手を振ってさっさと去っていってしまった。
 そして香穂子は月森を探して走り回っている、というわけである。
 月森がよくいる練習場所は全て見たが、いなかった。観戦スタンドにまで足をのばしたが、やはりいなかった。
「だいたい、もう六時を過ぎちゃってるんだから、帰ってるかもしれないよね」
 明日、渡すことにしようか。
 走るのをやめて歩き出すと、香穂子は腕の中の本に改めて目を向けた。
「…………………………教室。そこを見ていなかったら、メモ書いて置いてくればいいや」
 本を抱えなおすと、再び香穂子は走り出した。
 さっき金澤が言っていた言葉がふっと浮かんでくる。
 月森と仲がいい。
 そんなことない、と香穂子は思う。
 確かに、出会ったばかりの頃に比べたら、わからないことがあれば教えてくれるし、話もしてくれる。偶然正門のところで会えば、帰り道を共にすることもある。
 だが、それだけだ。
 それ以上仲良くなろうと思っても、月森は他人を入らせない壁を持っている。香穂子もそこから先へ踏み込んでいくことは出来ない。
 音楽科の校舎は既に明かりが落ちていて真っ暗だった。廊下の非常灯だけが点灯している。
 普通科よりも早くに造られた建物は、暗い中だとえもいわれぬ不気味さを感じてしまうのは香穂子だけだろうか。
 走るのは既に止めていた。早く行って帰りたい気分ではあったが、走るのは躊躇われた。
「う~。ホントに真っ暗だ………」
 今日はどんよりとした空模様だったので、いつもより暗くなるのが早いのもそのせいだろう。
 2年A組。
 暗がりの中でその表示を見つけた時は、やはりホッとした。
 だが、もちろん教室の中は暗いまま。
「………………いない、よね………やっぱり」
 教室の前方のドアが開いていた。ひょいっと中を窺う。
 そしてびくっと体を震わせた。のばしていた首を引っ込めドアの陰に隠れた。
 人影が見えた。
 暗がりのなかにポツンと座っている人がいる。
 動悸が激しくなった胸を宥めるように、胸に手を当てる。
 恐る恐る、もう一度中を覗きこんで、どうやらそれが香穂子の探していた人物だと認識する。
「あのぅ………月森君」
 ドアの中から呼びかけたが、返事はない。身動き一つしない。
「月森、君?」
 そうっと足を室内へ入れた。
 出来るだけ、足音を立てないように少しずつ少しずつ近寄っていく。近づくにつれて月森が眠っているとわかったからだ。
 月森の座っている席の前に立った。
「どうしよう………起こしたほうがいい、かな?」
 早くしないと正門が閉まってしまう。既に七時近くになろうとしている時刻だ。
 だが、香穂子は起こすのを止めた。
 月森の寝顔。
 それはとても珍しいもので、もっとじっくり観察してみたい、という欲求にかられたからだ。室内は暗くはっきりと顔の判別は出来ないほどだったけれども。
 椅子を引き、向かい合うようにして座る。ヴァイオリンケースを椅子の脇に、金澤から預かった本を机の隅に置き、肘をついた。
 いつも厳しい表情で練習している。ヴァイオリンの澄んだ音が月森の指先から紡ぎ出されているのに、当の月森の顔は無表情に近い。
 香穂子はこのコンクールに強制的に参加させられることになって初めてヴァイオリンというものを手にした。今も四苦八苦しているが、当初に比べたらだいぶ弾きこなせるようになっていた。
 もちろん、それは魔法のヴァイオリンあってこそ、だったけれど。
 最初は音が出ただけで嬉しくて、それが一つの曲になっていくのが楽しかった。戸惑うこともあったけれど、今では純粋に弾くことが楽しいと思えた。ファータたちから貰える楽譜の難易度が上がっていったけれど、だからこそ弾けるようになれば、もっともっと弾きたいと願った。合奏だって楽しくて、みんなと合わせたいから、おかしくないように練習した。
 音を奏でることが、こんなに楽しいことだと知らなかった。
 でも。
 月森は、彼が音を奏でることを楽しんでいないように見えるのだ。
「もったいないのにね」
 瞼を閉じたままの月森から返る言葉はもちろんない。
 静寂。
 月森と一緒にもっともっとヴァイオリンを、音楽を奏でることを楽しみたい。
 そのためには、香穂子自身がもっともっと頑張らないといけない。口だけじゃ、月森には何も訴えられないのだというのは、第一セレクションの間に学んだ。
 じっと座っていると、じわじわと疲労感が体に広がっていくのが感じられた。今日の練習はちょっと頑張り過ぎたかもしれない。
 ずるずると机に突っ伏した。
 窓の外に目を向ける。
 外灯のオレンジがぼやけていた。


「ふあっ?」
 変な声を上げて、唐突に香穂子は頭を上げた。
「寝てたっ?」
 慌てて机の向かいを見る。
 そこには変わらず月森が座っていた。口元に拳を当てて目を開けてる。香穂子が寝ている間に起きていたようだ。
「ごごごご、ごめんなさいっ」
 何故謝っているのかもわからずに、その言葉が口を衝いて出てきたが、それに対しての月森の反応はない。
「ああああの、わたし、金澤先生から本を預かってきて」
 そうして机の隅に置いていた本へ目をやろうとして視線を動かしたが、置いたはずの場所に本が見当たらなかった。
「あああああれっ。ないっ」
 ぶんぶんと首を振って辺りを見回す香穂子の耳に「ぷっ」という声。
 ぴたりと動きを止めた香穂子は、そろそろと声のしたほうへ首を巡らす。
 月森の肩が揺れている。拳は口に当てられたままだったが、その目が細められている。
 声を殺して、月森が笑っていた。
 笑われているのだから、本来香穂子は怒るべきだった。
 だが、実際はぽかんと見つめるしかできなかった。
「………この本だろう?」
 笑いをかみ殺しながら、月森は空いているほうの手に持っていた本を香穂子に見せた。
「あ………それ……」
「金澤先生に貸して欲しいと頼んでいたんだ。君が頼まれたのか」
「うん。なんというか………成り行きで」
 まさか、押し付けられたとは言えない。
「わざわざすまない。ありがとう」
「ううん………」
 またも香穂子の反応が鈍る。
「帰ろう。もうだいぶ遅い」
「あ、そうだね」
 慌てて香穂子は立ち上がった。
 そして、はた、と思い当たる。
「荷物!」
 月森を捜すことで一生懸命になっていて、鞄は教室に置いたままだ。
「あ、じゃあ、月森君! また明日!!」
 一方的に香穂子は月森に告げると、バタバタと教室から走り出た。
 月森を捜して音楽科の校舎に入ってきた時の感じをすっかり忘れ果てていた。
 それ以上に、香穂子の心を捉えて離さないものがあった。
 月森が笑い、ありがとうと言ったのだ。香穂子に。
 よくよく考えると、月森も人間なのだし笑うこともあれば、感謝をすることもあるだろう。だが、とても失礼なことに、それがとても意外に思えたのである。
 それと同時に嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
 足取りが自然と軽くなる。
 少しだけ、月森に近づくことが出来ただろうか。
「よおっし!」
 頑張ろう。
 香穂子は自分の教室まで走りながら、堅く拳を握り締めた。

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やー、楽しかった! 金やんと香穂子ちゃんのやりとり!(何でそこ)こちら、「008.放課後」と対になります。香穂子サイドです。合わせて読むと、お互いの空白の時間が埋まるようになっています。やっぱり小説を書くときには、目的を持って書かないとダメですね。いや、基本も基本だと思うんですが、情景を書きたいと思うこともあるので。でも、話の中心に据えるものがしっかりしていないと、ぼやけたものになってしまうんですよね。さて、今回は香穂子ちゃんが月森君と仲良くなりたいな~と思っているお話。だから別にラブでもなんでもないんですけど。ちょっとは進展したかな? くらいで。こちらのほうがそういうのはっきり書けたような気がします。うーん。これでますますその後を書きたくなってきた……(詳細は「008.放課後」のあとがきにて)
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