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014.時間

 君と過ごす時間がどれだけ穏やかで大事なものなのか、君は知らないだろう。



「月森君!」
 耳に心地よい、聞き慣れた声に振り返ると、額を全開にして息せき切って廊下を走ってくる香穂子の姿が視界に飛び込んでくる。
 練習室に向かっていた月森は足を止め、香穂子が追いつくのをやや振り向いて待った。
 廊下には月森以外にも音楽科の生徒がうろついている。そのすべてが走ってくる香穂子の勢いに道を空けていた。
「月森君、今日誕生日なのっ!?」
 追いつくやいなや、そう叫んでから香穂子は膝に手を当て、はあはあと荒く肩で息をしている。
「そうだが………なんだ、知っていたのか」
「しっ………」
 何かを言い返そうとしたらしいが、呼吸を整えている途中だった香穂子はそのまま喉に言葉を詰まらせ、その代わりに激しく咳き込む。
「………何をそんなに慌てているんだ」
「慌てたくもなるよ!」
 回復した途端、まず怒鳴られた。
「知ってたんじゃなくて、さっき聞いたんだよ!」
「………………」
 何故自分のプロフィールが出回っているのかは甚だ疑問だったが、それを香穂子にぶつけたところで大した答えは返ってこないだろうから、おとなしく胸の裡にしまっておく。
「そりゃ、知らなかった私も私だけど! 他の人から聞くなんて、もう、すっごく悔しいよー!」
 廊下で大声を上げて叫ぶ香穂子に、通行人は不躾な視線を投げかけていく。
 そういった視線から逃れるため、香穂子に落ち着く時間を与えるため、月森は練習室へ行くことを促したのだった。


 悔しいと叫んだ香穂子の気持ちは、月森にもわかる。
 他ならぬ香穂子の、月森が知らなかったことを他人から聞くのは、とても面白くないだろうと、容易に想像がつく。
 わざわざ口にして、香穂子に同意するのは憚れるが。
「ねぇ。何か欲しいものある?」
「は?」
 二人して練習の準備を始めながら、香穂子が訊いてきた。
「だって誕生日だから。やっぱり何かプレゼントしたいし。でも今日初めて月森君の誕生日知ったことがバレてるからびっくりさせる計画は成り立たないし。それなら月森君が欲しいものを上げたほうがいいでしょ」
「………………」
 真剣な表情で、真面目に訊いてくる。
「別に、欲しいものはない」
「えー!? ホントに!? ホントにないの!? 遠慮なんかしなくてもいいんだよ!?」
「遠慮もしていないが」
「うそぉ………」
 半目で上目遣い。
 どうやら、欲しいものを言わなければ、練習すら始めることが出来ないようだ。
「…………それなら」
「何っ!?」
 途端に香穂子の顔が喜色満面となる。
 誕生日のプレゼントを貰うのは香穂子ではなく、香穂子はプレゼントするほうなのに、何故そんなに嬉しそうに笑うのだろう。
「一曲弾いて欲しい」
「え?」
 笑顔が固まった。
「君の得意な曲でいい。最近君の音をじっくりと聴く機会もなかったから」
「そ、そそそそんなの、そんなの駄目だよッ」
 香穂子の笑顔はさっと引っ込んでしまい、慌てた香穂子は激しく首を横に振る。
「そんな月森君に聴かせるなんて、そんなこと出来ないよ! そんなのプレゼントになんか出来ないよ!」
「欲しいものをくれるんだろう?」
「そうだけど! だってそんなの恥ずかしいよ! 月森君の音を聴いていたら、私、まだまだ努力が足りてないなって思うのに、そんな音聴かせられないよッ」
「それほど、卑下する必要はないと思うが、君の音は」
 今度はかあっと頬を赤く染める。
 くるくると変わる香穂子の顔色に、おかしさが込み上げてきたが、笑みが浮かぶのは押し殺す。
「香穂子の音、俺は好きだから」
 月森には到底真似の出来ない香穂子の柔らかい音。同じ曲でも二人の解釈の仕方は違う。香穂子の解釈を聴いて、衝撃を受けることが今もある。
 月森は、ピアノの椅子に座って、香穂子がヴァイオリンを構えるのを待った。
 そこまですると、香穂子も覚悟を決めたのだろう。
「じゃ、じゃあ………」
 まだ頬は赤いままに、ヴァイオリンを構える。
 少し音を出し、それから深呼吸をして。
 香穂子の指先から音が紡ぎ出された。
 柔らかく、どこまでも高く上っていきそうな伸びやかな音。
 既に香穂子の頬に赤みはない。口元にはいつしか微笑み。目は伏せられている。
 音を奏でる香穂子の様子を見ていた月森は、つられて微笑み、そして自分も目を閉じた。
 月森の中に滑り込んでくる音に身を任せる。
 開けていた練習室の窓から入り込んでくる、春の風が前髪を揺らす。その爽やかな風と香穂子の音が綺麗に重なる。
 他の誰でもない、自分のために奏でられている音楽。
 緩やかに流れる時間。
 優しく、暖かく。
 香穂子が、指を動かすのを止めて、ほぅっと息を吐いた。それと同時に月森は瞼を開く。
 穏やかに止まってしまったかのようなこの雰囲気を壊してしまうのが少しもったいない気がしたので、軽く拍手をした。
「お粗末様でした」
 ぺこりと香穂子が頭を下げる。
「懐かしいな」
「えっと………そらで覚えてる曲はこれくらいしかなくて……他にもっと綺麗な曲があったんだけど………」
「いや、いい」
 再び瞼を閉じると、今の香穂子の音を反芻する。
 しばらくそのままで動かないでいたら、恐る恐ると言ったふうに近寄ってくる香穂子の気配を感じた。
「月森君?」
 一度呼ばれたが返事をせずにいると、様子を窺うような間があって、もう一度名前を呼ばれた。
「月森君…………寝ちゃったの?」
 それもいいかな、と思う。
 適温の暖かい水にたゆたうような、そんな心地よさ。
 とん、と腕に当たる軽い衝撃。
 静かに目を開くと、隣へと視線を動かす。
 ピアノの椅子は横に長い。詰めれば人二人は座れる。
 香穂子が月森に背を向け座っていた。
 月森から見られていることに気づいたのか、視線を月森のほうへ転じる。
「お誕生日、おめでとう」
 言われて、月森は少し照れたように微笑み、そして腕を香穂子のほうへと伸ばした。膝の上に載せられていた香穂子の手を握り、小さく言葉を返す。
「ありがとう」
 窓の外からは、隣の練習室や外で練習している、楽器の音が風と共に入ってきていた。だが、それでも今二人がいる場所は他のところとは時間の流れを異にしているかのように、静かだった。
 もう一方の香穂子の手が月森のそれの上に載せられ、きゅっと握ってくる。
 それを合図にしたかのように、お互い顔を寄せ合い、そしてそっと唇を重ねた。

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最後の一文を書いてからしばらく再起不能に陥っておりました。こういう初々しいというか、プラトニックというか、清々しいシーンを書くのがこんなに恥ずかしいなんて、もう駄目な大人でしょうか。そんなわけで(どんなわけだ)、月森君のお誕生日創作です。うちのサイトでもよくやくラヴな月森君が見られるようになりました。この調子で甘いお話が続くといいですね、月森君。火原っちの時は、本当にギリギリだったのに、月森君は一週間も余裕がありますヨ! ふえー。自分でびっくり。まぁ、ネタが浮かぶのも早かったですが。月森君一人のための香穂子ちゃんの演奏会(一曲だけですが)を書きたくて、お話を創りました。これってきっと月森君にはとても贅沢で幸せなことだろうなぁ、と思って。彼氏の誕生日当日に他の人から、今日が誕生日だって事を聞くのは、彼女としてどうかとも思いますが。なんとなく月森君は自分の誕生日とかに頓着してそうにないなーと思って。きっとだから自分から言うことはないんだろうな。ところで、書き終わって気づきました。ラストは火原っちの時と同じじゃん! 発想力が貧困ですみません~~~~~。(でも、この際、これをパターン化してやろうかとも思っている)
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