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038.奇跡

「終わったねー」
 香穂子が笑う。
 その表情が泣き笑いのように見えるのは、月森の気のせいではないだろう。
 今、香穂子の胸の内に去来しているものが何であるのか、月森にはわからない。
 最終セレクションを終えて、今はコンクールの順位が出るのを待っているところだ。控室へ戻ることもなく、参加者は皆舞台袖でそれぞれに何かを思いながらその時を待っている。
 月森は充足感に満たされていた。自分で思っていた以上の演奏が出来た。
 このコンクールではベストを尽くすべくやってきたが、自身の思惑とは違う事態に直面することが多かったし、あまつさえそれに振り回されてしまうこともあった。そんなふうに簡単に揺さぶられてしまうのは自分の至らなさのせいだ。
 今は簡単に揺らぐことはない。何があっても。
 しかし、隣にいる香穂子はどうなのだろう。
 香穂子の今日の演奏は決して良かったとは言えなかった。これまでの演奏が嘘のように、技術が衰えていた。それでも、香穂子が奏でた曲に込めた想いがあったから、彼女の音は心に届いた。だからこそ、その想いに技術が追いついていればと思わずにはいられない。
 香穂子も同じように思っているのだろうか。だからこそ、泣き笑いのような表情になっているのだろうか。
 香穂子は言う。
「言い訳するつもりはないんだけど………もっと時間があったら良かったな」
 そうしたら、もう少しマシに弾けたかもしれない。
 呟く声は誰に聞かせるつもりのものではなかっただろうが、月森には届いていた。だがもちろんそれについて、月森は何も返さない。
 それに、そう思うことは必ずしも悪いことではない。その悔しさは次へと繋がる布石となるから。
 しかし―――。
「でも、そもそも私が最終セレクションに出ることが出来たのだって奇跡みたいなものだもんね」
「君は、自分の演奏をその程度のものだと思っているのか?」
 香穂子の言葉に、即座に返していた。
 返してから、香穂子の顔を見てたじろぐ。
 泣きそうに顔が歪んでいた。それでも口元は笑おうとしている。
 さっきの言葉は、強がりで口にしたもの。
 月森でも誰でもない。他でもない、香穂子自身が一番わかっているのだ。
「すまない」
 月森は目を伏せて、謝罪の言葉を口にする。
「ううん」
 香穂子は覇気のない声で、何でもないことのように首を振る。
 落ち込む必要は無いのだと、伝えたかった。せめて泣き笑いをしなくてもよくなるように。
「君は、努力をしていただろう。最終セレクションにも諦めずに毎日練習していた。その姿を俺は知っている。練習していたからこそ、最終セレクションにも出場できた。それは、奇跡などではない。君の努力の結果だ」
 香穂子の口元から笑みが消えた。
 続いて、ぽろりと目の縁から透明な水滴が零れる。パタパタと何度か交互に左右の目から零れて、止まる。
「………ありがとう」
 そして、微笑んだ。
 目はまだ涙に濡れていたが、それは泣き笑いではなかった。
「セレクションの結果が発表になるぞ。全員ステージに並べー」
 金澤の声が舞台袖に響く。
「行こう」
 短く香穂子を促した。
 冷静に考えて、香穂子の順位は最下位であろうと思う。
 だが、それはさほど重要ではないのだ。
 香穂子が香穂子なりに頑張って出した結果なのだから。その姿勢は優劣とは関係がない。
 結果が全てだと思ってきた。どれほどの練習を積んできたとしても、結果を出せなければ無意味だと。
 しかし、それだけではないことを、月森はこのコンクールに参加することで、香穂子を見つめることで知った。
 恥じることはない。胸を張っていい。
 そう言おうと思った。
 だが、今更、香穂子にその言葉は必要がないようだ。
 ステージへと向かう香穂子はまっすぐ前を見つめて背を伸ばしていたから―――。

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ラブの話ではなくて、なんとなくライバル度が高いままED突入しそうな感じです。どちらかというと、アニメコルダを意識しながら書いたもの。しかし、アニメコルダの最終セレクションは今現在まだ見ておりません。書きたかったのは、月森が香穂子の演奏は奇跡ではないと言うところ。お題の「奇跡」を逆手に取ってみました。しかし、奇跡よりも月森の内面の成長みたいなほうへ話がスライドしていて、しかも内面を書くには少々短すぎて、ちゃんと書けたのか不安が残るところもあります………。書きたいことは書けたけれども。

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