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047.暑中見舞い

「会いたいよぅ………」
 窓枠に腕を載せて、更にその上に顎を載せた香穂子はぽつりと呟く。
 小さく呟かれたその言葉は、夏特有の青く突き抜けるような空へと吸い込まれていった。従って、香穂子の言葉は独り言となる。
「はぁ………」
 幾度となく漏れてくるため息。自分でもこんなに陰気なのは望むところではないが、無意識に出てしまうものを止めることは出来ない。
 香穂子は自分の言葉が吸い込まれていった空へと視線を転じる。港の方向に真っ白な入道雲がある。ジィジィと蝉の鳴き声が、森の広場から届く。この時期の森の広場はうるさくて敵わない。暑いせいもあってあまり人が近づかない。香穂子とてそうだ。
 練習室の一つを陣取って、何をしているかと言えばため息の連発。ヴァイオリンはピアノの上に置きっぱなしだ。練習をしてみても、ちっとも身が入らない。
 開け放った窓から滑り込んでくる熱気が室内の冷房とせめぎ合っている。今のところ軍配は熱気のほうにあるようだが、香穂子はそんなことを気にもとめていない。窓際でぼうっと空を見上げているだけだ。
 香穂子がこうなってしまった原因はただ一つ。
 もう、二週間も月森と会っていないからだ。
「はぁ………」
 香穂子はまた一つため息をついた。
 夏休みに入るまでは毎日のように会っていたから、こんなに会わずにいるのは知り合ってから初めての事だ。
 月森と喧嘩していて顔を合わせづらいというわけではない。会いたくても会えない場所に、月森が行ってしまったからである。
 夏休みに入るとほぼ同時に月森はウィーンへと行ってしまったのだ。
 何でも、父親の知り合いが居て、夏休みの間その知り合いに師事してヴァイオリンの練習をしてくるのだそうだ。
 その話をしているときの月森は本当に嬉しそうだったので、香穂子もつられてニコニコ話を聞いていた。夏休みに会えないのは残念だと思いはしたが、夏休みなんて毎年あっという間に終わってしまう。だからちょっとは寂しいけど、大丈夫だと思っていた。
 なのに。
 夏休みが始まって二週間で、音を上げてしまうなんて。
 香穂子はくるりと身を返して、ピアノのほうへと歩み寄った。椅子の上に置いた鞄の中から一枚の葉書を取り出す。
 香穂子が会いたい気持ちを募らせてしまったのには、この葉書にも一因がある。
 月森からの、暑中見舞いだった。
 文章は「暑中お見舞い申し上げます」から始まって、香穂子の様子を訊ねる一文を挟んでウィーンでの月森の様子が簡単に綴られていた。絵葉書なので文字を書くスペースも限られているから、簡潔にならざるを得なかったのだろう。それでも、月森が充実した毎日を過ごしているのは伝わってくる。
 遠い遠い空の下で、月森は頑張っている。だから、香穂子も頑張ろうと思う。
 でも、実際は月森のことばかり考えて、練習にも身が入らない有様。
「呆れちゃうよね、月森君………」
 情けない自分に。
 絵葉書の写真は、ウィーンの町並みを撮ったものらしい。行ったこともない香穂子には想像することしか出来ない場所。
 月森は少しでも自分の求める音に近づくように力を尽くして励んでいる。そんな月森を香穂子は尊敬するし、香穂子自身そうありたいと思っている。月森の横に並んでいくためには、香穂子はよりいっそうの努力が必要なくらいだ。
「返事、書かなきゃ」
 月森特有の少し角張った細い字から目を離すと、香穂子は再び窓の外へと視線を向けた。


「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、レン」
 ウィーンでの滞在先である父親の友人は非常に気さくな人だ。そしてその奥さんもまた然り。それに加えてかなりおおらかである。今回初めてこの人に会ったのだが、誰かを思い出させて初対面という感じがしなかった。
「あなたに手紙が届いているわよ」
「俺に?」
 手渡された一枚の葉書。日本語で書かれたのを見ただけで、差出人がすぐにわかる。自然と口元に笑みが浮かんでいた。
「ガールフレンド?」
 月森の表情を見て取って、そう訊いてくる。
「ええ………大事な人です」
 葉書の裏を返し、真っ青な空の写真を眺める。白い雲が左下に入っているだけの、青い写真。
「あらまぁ。それじゃあこんなに離れていては寂しいのではないの?」
「寂しくはないですが………」
「もう! レンはそうでも、ガールフレンドはそうとは限らないでしょう。きっと寂しいと思っているわよ」
「そうでしょうか」
 斜め読みした短い文章には、相変わらずの毎日を送っていること、そして月森への励ましが書かれていただけだった。
「そうよ。好きな人に放っておかれて寂しくない女の子がどこにいますか。せめて電話でも掛けておあげなさい。それだけでほっとするものよ」
 強い口調で言われて、月森はただ頷くしかなかった。
 あてがわれている自室に引っ込むと、荷物を机の上に置き、葉書だけを持った状態で窓際へと移動する。開け放たれている窓から風が舞い込んでくる。窓の外に広がるのは、夕焼けに照らし出された町並み。今頃日本は真夜中だ。
 もう一度葉書に目を落とす。「私も頑張ってるよ!」と声が聞こえてきそうな言葉が並んでいる。
 寂しくはない。だが、こうして一人外を眺めていると会いたい、と思うことがある。こんなふうに葉書が来れば尚更。
(同じ気持ちでいるのだろうか)
 遠く離れた空の下にいる香穂子を想う。
 こちらから葉書を送る前に、電話をすることも考えた。だが、会いたい気持ちが強くなるばかりだと自制したのだ。会いたいと思ってすぐに会える距離じゃない。それにここへは勉強のために来ているのだ。生半可な気持ちでヴァイオリンに向かいたくない。
 だが。
(このままじゃ、どっちにしたって半端だな)
 さっきの会話で香穂子のことを強く認識してしまった。
(情けない………)
 口元に自嘲の笑みが浮かぶ。


「香穂子ー。電話よー」
 その声に、自分がうたた寝していたことに気づく。がばっと上半身を起こす。机の上に突っ伏していた。夏休みの宿題をやっていたのだ。腕に開きっぱなしのノートの一ページがぺとりと肌に張り付いていた。
「香穂子ー」
「は、はあい!」
 先ほどから呼んでいたのは、どうやら姉のようだった。慌てて返事をして部屋の子機を取る。
「はい、香穂子です!」
 何の予備知識もなく出た電話からは、すぐに返事が返ってこなかった。
「香穂子?」
 やや遅れて確かめるような声に、今度は香穂子の声が出てこない。
「そっちはこんばんわかな」
「つ、月森君………!」
 思いがけない声は、確かに月森のもの。
 だが、そうとわかってもいまいち状況把握がうまくいかない。月森と喋っているという実感すらない。
「久しぶりだな………こう言うのも、なんだか妙な気もするが………」
 戸惑う香穂子などお構いなしに、電話口からは月森の声が続く。
「葉書、ありがとう」
「あ………ううん、こっちこそ、わざわざありがとう」
 ようやくまともに言葉を返すことが出来た。
「元気か?」
「うん、元気だよ! 月森君は?」
「俺も変わりない」
「そっちは今何時?」
「朝の八時だ。出かける前にちょっと声が聴きたくなったから」
 その言葉に香穂子は、月森が遠くにいることを改めて認識する。
 急に涙が込み上げてきた。どうしてなのかわからない。ただ、泣きそうなのを月森には悟られてはならないと思った。涙を堪えようとすると、必要以上に大きな声になった。
「私も月森君と話せて嬉しい」
 電話の向こうで、月森が微かに笑ったのがわかった。
「すまない。あまり時間が無いんだ。………また、連絡する」
「うん。電話、ありがとう。月森君、頑張ってね」
「ああ。香穂子も。………それじゃ」
「またね」
 僅かな時間の通話を終えて電話は切れた。
 子機を下ろし、香穂子は机に再び突っ伏した。
 心臓がどきどき高鳴っている。不意の出来事は香穂子を驚かすのに充分で、そして香穂子を喜ばせた。
 会えたわけじゃない。言葉を交わしただけだ。
 だが、それだけでも香穂子の心がほんわか温かくなっている。また頑張れそうな気がする。我ながら単純だと思うけれど。
「よぉっし!」
 香穂子は体を起こすと、そのまま腕を上に伸ばした。

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暑中見舞いというのは年賀状ほど浸透していないと思います。だから暑中見舞いを出すシチュエーションってどんなだろうというところからこの話はスタートしました。夏休みに会わずにいたら暑中見舞い出したくなるかな、と。じゃあ会わないってどんな状況か。近くにいれば頻繁に会いそうだし、夏休みだって練習に学校へ行ったりしますよね。すれ違いはあるけど、そこまでじゃない。徹底的に会わないとなると、そりゃ会いたくても会えない場所に相手がいるときだろうってことで。相手を外国へ行かせることにしました! では誰が外国へ行くのに適任かというので咄嗟に浮かんだのは柚木様。でも恐ろしくて書けないので却下(すみません)。では誰だ~? ってことで白羽の矢が立ったのは月森でした。勝手に父親の知り合いが外国にいるという設定まで作りましたよ。でも、いそうですよね?そんな感じで出来上がったお話。ちっとも甘く無いどころか、香穂子さんがちょっと辛そうかも。

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