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「ふざけんな! 人の気持ちを踏みにじってんじゃねぇよ!!」
「やだ、やめてったら!!」
同じ音楽科の二年生の男子。その後ろに華奢なこれも二年生の女子。
男子の方に憶えはないが、女子はついさっき見た。
「踏みにじったつもりはない」
月森は静かにそう返した。
激高する男子とは対照的にどんどん冷静になっていく自分がいた。初め、肩を掴まれて練習室へ向かっていた足を止められたときには、内心ムッと苛立ったものだが、相手が熱くなればなるほど、逆にこちらは醒めていくものである。
その冷静な態度を崩さないのも、醒めた目つきをしているのも、余計に相手の憤りを増しているのだとは月森も気づいていない。
「何だと!? こいつはな、お前に渡すんだって言って、昨日遅くまで頑張って作ってたんだよ!! それを………!」
事の起こりは、放課後になってすぐ。
教室を出たところで呼び止められた。制服のリボンの色が同学年を示していたが、あいにくと顔に憶えはない。
「受け取って下さい!!」
可愛くラッピングされたチョコレートが月森の目の前に差し出された。
今日はバレンタイン。朝登校すると机の中に六つ入っていたし、それ以降も何かと呼び止められてはチョコを差し出された。
だが、それらを月森は受け取らなかった。それは今目の前にいる女子も例外ではない。
「君からは受け取ることは出来ない」
月森はそう返した。
その言葉はこれまでに幾度となく繰り返した言葉で、中にはその程度では諦めなかった人もいたが、決して誰からも受け取らなかった。
目の前の女子は物わかりが良かった。それを聞くと、何も言わずその女子は走り去ってしまった。
身を翻す際、目元に光るものがあったような気がしたが、それ以上は考えないようにした。
ため息を一つついて、気を取り直し練習室へ向かうことにする。
そして、練習室のある階へと続く階段の下で突然肩を掴まれ、振り返るとそこには、怒りで眉を吊り上げている男子がいた。
「受け取ってやることが、誠実だとでも?」
いつの間にか周りには人だかりが出来ていた。遠巻きに事の様子を窺っている。
「お前にこいつの気持ちを踏みにじる権利はないだろう!! 受け取ってやればそれで済む問題だ!!」
「その方が、気持ちを踏みにじることになると思うが。むやみに受け取ってしまう方が、余程誠実ではないだろう」
「受け取って貰うだけで、それだけでいいってこともあんだよ!!」
男子の上着の袖を引っ張って引き留めている女子が、泣きそうな顔になっている。
「だが、そんな気休めなど俺はしたくない」
「このやろうっっ」
男子の手が伸びて、どんっと月森の胸を張り飛ばした。
予想以上に力があった。
月森はバランスを崩し、取り巻いていた人の輪の中に吹っ飛ばされてしまう。
「うわっ」
「きゃあっ」
「危ない!!」
いろんな声が混ざって月森の耳に届いた。
「……………っ」
尻を床にしたたか打ち付けた。周りにいた人たちは飛んでくる月森を避けてくれたようで、月森は冷たい床に受け止められることになる。
いや。
その背の下に、何か床ではないものがあった。
手を突いて体をゆっくりと起こす。
今度はその手が柔らかいものの上に載る。
首を回して自分の背の下にあったものを見る。
「香穂子!」
そこには床に俯せになってつぶれている香穂子の姿があった。
「………………あいたた………」
香穂子が身じろぎしたのを見て、ほっと息を吐く。
「すまない。大丈夫か?」
いち早く体勢を整えた月森は香穂子を向き、顔を上げた香穂子に手を差し伸べる。
「うん、なんとか………」
香穂子はその手を借り、体を起こした。床にぺったりと座り込んでいるが、大事はないようだった。
だが、次の瞬間、「ああっ」と悲壮な叫びが香穂子の口から飛び出す。
「チョコ………」
香穂子が伸ばした手の先。さっきまで香穂子が、そしてその上に月森が重なっていた場所に、潰れた箱。もとはきっちりとラッピングされていたのであろうが、箱が潰れるのに合わせて、水色の包装紙はずれて破れており、白のリボンも箱から外れようとしていた。
そっとそれを取り上げた香穂子は、項垂れてしまう。
その様子に、その場にいた全員が静まり返った。
真っ先に反応したのは、月森を突き飛ばした張本人だった。
「ぜ、全部、お前が悪いせいだからな!」
そんな子どものような捨てゼリフを吐いて、足早に去っていってしまう。それを契機にばらばらと輪になっていた生徒達も散っていき、最後には香穂子と月森の二人だけが残された。
「香穂子………」
月森は名前を呼ぶ以外にかける言葉を見つけられなくて、ただ香穂子の傍らにしゃがんでいることしかできない。
「折角、頑張ったのに………」
声が震えている。泣くのを堪えているような、声。
「すまない」
謝ることしか出来なかった。
香穂子はそれに首を振って返す。
「ごめんね………。これじゃ、月森君にあげられなくなっちゃった………」
「香穂子」
俯いたまま香穂子は目元を拭うと、ようやく顔を上げた。
無理して作った笑顔が、月森の胸の奥を抉る。
「それでいい」
「え?」
声が小さかったせいで、香穂子には伝わらなかったようだ。
「俺の為に用意したんだろう。それを貰うから」
香穂子の手の中にあった、潰れた箱を月森は抜き取る。
「でも」
「いいんだ」
たった一つ。
香穂子が月森のために用意した、それだけを月森は受け取る。
他はいらない。月森が欲しいと思うのは香穂子だけだ。応えたいと思うのも香穂子だけ。
だから、他の人に余計な期待は持たせたくないし、そうすることはとても失礼なことだと思う。
「いいんだ」
目をしばたいている香穂子に、もう一度言った。念を押すように。
「……………ありがとう」
そう言って香穂子は、僅かに涙の後が残る笑顔を月森に見せた。
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