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026.紫陽花

 小雨が降り続いていた。
 梅雨だから仕方がないのだが、もうそろそろ晴れて欲しいと切に願う。傘を傾けて見上げる空は、まだまだ柚木の願いを叶えてくれそうにない。
 まとわりつく湿気もまた鬱陶しいことこの上ない。ことあるごとにつきまとってくる自称柚木ファンクラブのほうがまだマシだ。
 それなのに、こんな天候の中を歩いて帰ろうなどと香穂子は言う。気が知れない。
 だが、結局のところ、それに付き合っている柚木自身、気が知れない。
 別に「雨の日には雨の日なりのいいところもありますよ!」なんて、理由ともいえない理由に説得させられたわけではない。ただの気まぐれだ。
 当の香穂子は、柚木の数歩先を歩いている。狭い路地だからしょうがないとはいえ、縦にならんで、そして大した会話もなく一緒に歩いていることに意味を見いだせない。言葉を交わさなくても一緒にいるだけで幸せ―――そんなことを思えるほど、柚木は今の状況に満足していない。
「おい、香穂子―――」
「あ、紫陽花!」
 柚木の呼びかけは、それより大きな香穂子の声でかき消されてしまった。まったく苛立たしい。
「柚木先輩! 紫陽花ですよ!」
 一度だけ香穂子は柚木を振り返ってそういってから、自分だけ先に紫陽花の方へと駆け寄った。足下の悪さは気にしていないようである。
 香穂子の駆け寄った先には確かに、路地に面する民家の庭に植えられている青紫色が群生していた。
 細い雨に打たれて、いくつもの水の玉を弾いている。
 いろいろ言う気も失せてしまって、柚木は腰をかがめて紫陽花に見入っている香穂子の横に並んだ。
 まぁ、紫陽花に罪はない。雨に打たれながらも、いやむしろ雨に打たれているからこそか、青紫が鮮やかで目を奪う。傘の先から落ちた雨粒が、紫陽花の花びらに当たって跳ねて葉へと飛び移り、下を向いた葉の先へと伝い落下する。
「何だ。お前は紫陽花が好きなのか?」
「好きというのとはちょっと違うかもしれないですけど、今しか見られない花だから、見ておきたいな、って」
「今しか見られないなんていうのは、何も紫陽花に限ったものではないだろう」
「そうですね」
 どうやら紫陽花が特別に好きというわけでもないらしい。
 ただ、花に興味を示している点においては―――好ましい。
「紫陽花は咲いてから朽ちるまでに色が変わったり、土のph値………なんて言ってもわからないだろうが、そういった要因を受けても色が変わることがある。そういう意味では珍しい花だな」
「あ、その話聞いたことがあります」
「へぇ………意外に物知りだね」
「………意地悪な言い方しないでください」
 少し拗ねた言い方をした香穂子に、唇の端を上向ける。
「じゃあ、そのせいで紫陽花の花言葉が『移り気』だってことも知っているか?」
「そうなんですか!? あんまりいい意味じゃないんですね。紫陽花が可哀想。こんなに綺麗なのに」
「綺麗なものには毒があるものだよ。何だってそうだろう。それに実際に紫陽花には毒性がある。食べるのはやめておいたほうがいい。それはさすがに寝覚めが悪い」
「言われなくても食べませんよ!」
 ムキになる香穂子に笑いを抑えられない。
 今まで苛立たされてばかりだったので、その反動もあるかもしれない。つい、意地悪なことばかり言ってしまう。
「他にも紫陽花には『高慢』や『あなたは美しいけれど冷たい』という花言葉もある」
「………なんだか、柚木先輩みたい」
「ほう………」
 柚木は目を細めた。
「よく言ったな。俺のどこが高慢で冷たいんだ?」
「い、今、冷たいじゃないですか!」
 香穂子が一歩後ろに引きながら、抵抗を試みる。
 しかし、これくらいのことは抵抗にも何にもならない。
 柚木のほうから、一歩香穂子へと詰めた。
「むしろ、俺はお前みたいだと思っているがな」
「酷いです! 私、移り気でも冷たいわけでもないです!」
「その酷いことをお前は俺に向かって言ったんだろう?」
 どうやらぐうの音も出なかったらしい。香穂子がぐっと口を噤んだ。その表情には柚木に対して申し訳なかったと思う気持ちも見えている。
 からかうのも今日はここまでにしておくことにした。
「他にも紫陽花には花言葉がある。『辛抱強い愛情』や『元気な女性』」
 香穂子の目が瞠られるのを見てから、今度は柚木が先に立って歩き始める。
 辛抱強い愛情とは、移り気と真逆の言葉であるが、これは花の色によって違う言葉を持っているからである。今、香穂子と見ていた紫陽花の花言葉がまさに『辛抱強い愛情』である。
 柚木は自分でもやっかいな性格の持ち主だとわかっている。これはもうどうしようもない。柚木梓馬という男はそういうものだと付き合ってもらうしかない。
 そして、香穂子はその柚木によく付き合ってくれている。
 だからこそ、その花言葉だ。
 そして、もう一つ付け加えておこう。
 柚木は香穂子が追いつくのを待って、口を開いた。
「紫陽花の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ」
「え?」
 香穂子がきょとんとした。
「意味を知りたかったら、自分で調べるんだな」
 それ以上の問いかけを許さず、柚木はまた香穂子の先に立って歩き始めた。

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ようやく書けました。紫陽花=柚木で話を書きたい! というのはかなり前から決めていたのですが、何をどう書いたらいいのかさっぱりだったので放置していたら、最後の方まで残ってしまいました。結局また花言葉のお世話になっちゃいました。
それにしても、柚木はなかなかいい性格ですね。意地悪っぽいところしか書いていない(^_^;) これでも、時期柄を思えばそれなりに二人は仲良くなっているんですけどね。付き合っているのかそうでないのかもわからないですね。
ちなみに「あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲(しの)はむ」というのは、万葉集に載っている橘諸兄の歌です。意味は「紫陽花の花が八重に咲くように、何代も栄えておいで下さい、わが君。私は花を見るたび、あなたのことを思いましょう」です。ちょっと恋人に贈る歌とは言えないんですが、「見つつ~」だけのために取り入れてみました。強引。
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