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「うっわあああぁぁぁ!」
叫び声だけが階段を駆け下りていく。それを追いかけるようにして、声を上げた本人が転がり落ちるかという勢いで下りてきた。
「また寝ちゃったよ!!」
至極わかりやすい理由を口にしながら、そのまま玄関まで突っ走る。
「和樹! 朝飯は!?」
その気配を察した兄がダイニングから叫ぶ。
「いらない!!」
「いらないって………」
息子が下りてきたから、彼の分の朝食を用意しようと席を立った父親と、兄とが顔を見合わせる。
こんなことは初めてだった。
何があっても朝食は欠かさない火原だった。遅刻しそうになっても、遅刻していても。
だが、今はまだ遅刻するような時間帯でもない。
ドアが閉まる音を聴きながら、兄は軽く肩を竦めた。
「おれのバカ~~~~~っ」
叫びながら駅までの道を駆け抜ける。
「あら、おはよう和樹君」
ゴミ捨てに出てきていた近所のおばさんへの挨拶も大声で返すものの、「おはよう」の最後の音の余韻を残すだけ。
何で二度寝してしまったのだろう。自分のバカさ加減に呆れる。毎朝、兄と一緒に走るり、その後はシャワーを交代で浴びて身支度を調えゆっくりと朝食を取って家を出るのが日課。だが、いつもは先にシャワーを浴びる兄が電話がかかってきたからといって火原に順番を譲ってくれた。シャワーを浴びて部屋に戻り学校へ行く準備を始めようとしたのだが、いつもより幾分ゆとりがあったため、ベッドの上でゴロゴロしていたら………寝てしまっていたのだ。
次の電車に乗らなければもう間に合わない。それがギリギリの電車になる。それだって、間に合うかどうかの瀬戸際だ。
駅が見えてくると、火原は更にスピードアップした。伊達に元短距離走者ではない。出勤や通学のために駅に入ってくる人たちの間をするりと抜けて改札口に飛び込んだ時、ホームに電車が入ってきた。
「うわーっ、待って待って!」
一段飛ばしで階段を駆け上がる。
ぴるるるる………と非常なベルの音。ドアが閉まり始める。
「それ、乗るよー!!」
一生懸命アピールして火原は閉まりかけたドアから間一髪、車内へと滑り込んだ。
「こらぁっ!」
ドアが閉まる直前に、外にいた駅員に怒鳴り声を上げられたが、「すみませーん」とだけ返しておいた。
ふと気付けば、大騒ぎで乗り込んできた火原を車内の人たちが注目している。少し恥ずかしくなって照れ笑いをすると、乗り込んできたばかりのドアのほうを向いて立った。
腕時計で時間を確かめる。
「あとは………下りてからまだダッシュすれば間に合うかな………」
電車の中では大人しくしている以外ないのがもどかしい。自分の足で走るとか、自転車だったら、このもどかしい感じもないのに。
はぁっと大きく息を吐いてから、足踏みしそうになる気持ちを抑えて、ドアの横の僅かな壁に肩を預ける。そのまま視線は窓の外へ。流れゆく景色を見つめる。
見慣れた風景。
反対側を向けば、今日のように晴れた日なら朝日に照らされた海がキラキラと輝いているのを見ることが出来る。
電車に乗っているのは十五分程度だが、車窓から見る風景が火原は好きだ。だが、今日はその景色にも目を向けている余裕がない。
頭の中にあるのは、電車を降りてから後のこと。ダッシュをしてから、更にその後のこと。
今日は、何を話そう。昨日見たテレビのこと? 今日ある授業のこと? コンクールで弾く曲のこと? 友達のこと? 話したいことがいっぱいある。とても学校までの距離では足りない。
(会えなかったら、意味ないんだけどね………)
沈んでしまいそうになる気持ちを何とか持ちこたえる。
視線の先に最寄りの駅のホームが滑り込んでくる。預けていた体を起こし、誰よりも早くドアの真ん中に仁王立ちする。ドアが開くやいなや飛び出す準備は万全だ。
電車の速度が徐々に落ち、車内アナウンスが駅に着いたことを知らせる。ホームに停車した電車のドアがアナウンスが終わってからゆっくりと開く。閉まるときよりも開くときのほうが時間がかかっているような気がする。
「早く、早く!」
ドアに言ったってしょうがないのだが、言わずに居られない。そして、ドアが完全に開くのを待つことが出来なかった。
隙間から体をねじ込むようにして、ホームに飛び出す。電車に乗る人たちが作っていた列を乱して、謝りながらも火原の足は止まらない。上ってくる人はいるけれども、下る人は火原以外まだいない階段を二段飛ばしで駆け下りる。最後は五段ほどを一気に飛び降りた。
駅から学院近くの交差点まではもうすぐだ。駅から流れる人並みを尻目に全力疾走。
かつて短距離走者であったこと、今も朝から走ったりしていることを、これほど感謝したことはない。
「まだ来てませんように」
神頼みをしながら走りついた交差点。横断歩道を渡る前に右手のほうへ顔を向ける。左右に流れる車の間から、反対側の歩道を歩く人に次々と目を向ける。背伸びをしたり少しかがんでみたり体を左右に揺らしてみたり。
「いないな………」
しばし探すのを止めて、腕時計で時間を確認する。際どいところだ。少しでも家を出るのが早かったら、もう学院へ着いているだろう。しかし、その逆もあり得る。
火原と同じく信号待ちをしていた人たちが横断歩道を渡り始めたのに気付いて、慌てて歩き出す。もう走ることはしなかった。
横断歩道を渡りながら今度は左側へ、つまり学院のほうへ目を向けてみる。学院の生徒達がぞろ歩く中にいないかと思ったのだ。同じ制服を着た生徒たちの中から見つけるのは容易なことだ。だが、目に届く範囲内には見当たらなかった。
「………少し待ってみようかな………」
若干肩を落として、横断歩道を渡り終えた火原は人の流れ邪魔しないように端のほうに立つ。
「火原ー、なにしてんのー?」
通りすがりの友達たちが突っ立って一点を見つめている火原に声を掛けてくる。
「や、うん、ちょっとね」
曖昧に笑いながら、先へ行く友達を見送る。
そうやって数人を見送ってから、火原はまた腕時計で時間を確かめた。
「もう行っちゃったのかな………」
ため息を吐き出すと、火原は学院のほうへ体を向けた。とぼとぼと歩き出す。
ここで何が何でも会わなくても学院内で会うことも出来る。だけど、朝一番で顔を合わせることは火原の一日の始まりをいつもと違うものにする。わかりやすく言えば、それだけでその日一日を幸せな気持ちで始めることができるのだ。
歩き出しながらも、未練がましく肩越しに背後を振り返って………つんのめるように足を止めた。急に立ち止まったため、後ろを歩いてきた女生徒が慌ててそれを避けた。
その事に対して、上の空で謝りながら火原はくるりと体ごと後ろを振り向く。口元には知らず知らずのうちに大きな笑みが浮かんでいた。
「香穂子ちゃん!」
大きく片手を振りながら、笑みが浮かんだ口で、火原は人の間に見え隠れする香穂子の名を呼んだ。
火原の声に応えて小走りに駆け寄ってくる香穂子が待ち遠しくて、火原も今歩いたばかりの道を戻る。
「おっはよう!」
「おはようございます」
香穂子も笑顔で火原の前に立つ。
「良かったよ~。おれ、今日寝坊しちゃって、今朝は会えないかと思ったよ」
「私も今日はちょっと寝過ごしちゃいました」
「あはは! じゃあ一緒だね!」
本当は一緒ではないのだが、火原にとってはそれは些細な違いでしかない。
「じゃ、急ごっか!」
「はい!」
香穂子の笑顔を見て更に笑顔になると、火原は香穂子と並んで歩き出した。
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