忍者ブログ
  ▼HOMEへ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

キミのサンタクロース

 足音を忍ばせて寝室に入る。
 微かな寝息が聞こえる。良く、眠っているようだ。
 火原はその寝顔を見ようと、ベッドへと近づいていった。
 ドアに背を向けて寝ていたから、足下から回り込む必要があった。
 布団を肩までしっかりと掛けて、その縁を掴んで少しでも隙間を作らないようにしている。冷気が中へ入ってくるのを僅かでも防ごうとするためだ。香穂子はあまりエアコンが好きではない。どんなに寒かろうともエアコンを付けたりしない。もちろん、眠るときには暖房器具は一切使用しないから、暖かく眠るには今のように布団できっちりとガードするしかない。今借りている部屋は交通の便や間取りは良いのだが、冬は冷え込むし夏は暑すぎる。火原も家に帰ってきたが、冷え切った部屋の中でまだコートを脱げずにいるくらいだ。
 寝顔は穏やかに見えた。眠るまではどうだったかわからないけれど。
 だが、きっと怒っていただろう。面白くない気持ちでいっぱいだったはずだ。
 事の発端は、昼休みに火原から掛けた電話だった。


「今日、遅くなるよ」
 急な接待が入った。大事な取引先だったし、断るわけにもいかない。何でこんな日に急に、と思わないでもないのだが、忘年会が重なるこの時期、この日しか取れなかったのだと上司から説明されては納得するしかない。
 数年前までの火原なら、出来るだけ香穂子を優先しようとしただろう。だが、火原は社会人である自分を自覚していたし、個人の我が儘がまかり通るほど社会は甘くないのだということも理解していた。良くも悪くも火原は大人になっていた。
『えっ』
 香穂子は他に言葉が見つからないようだった。
「急に接待になったんだよ。どうしても断れなくて。だから、先に寝てていいよ」
 香穂子は無言だった。その無言の時間が長くて火原は少し不安になる。
「聞いてる?」
『………聞いてる………』
 低い、香穂子の声。
 怒っているときの声だ。
『じゃあ、レストランもキャンセルしなきゃならないのね』
「あ、そうか。そうなっちゃうね」
 言ってしまってから、まずい、と気付いた。
 香穂子が怒っていることはさっきの声で解っていたのに。この言い方はダメだ。
 だが、遅かった。
『何度目だと思ってるの!? ねぇ? この間のあなたの誕生日だって、急に飲み会になっちゃってって、レストラン、キャンセルしたのよ! イブは大丈夫よねって何度も念を押して、それで予約したのに! また、急な接待って!』
 香穂子が爆発した。
「しょうがないよ。仕事なんだから」
 出来るだけ穏やかに返そうと思ったが、少し剣のある言い方になってしまった。
『そうね。仕事ばっかり! だから、少しでも一緒にいられるようにって一緒に暮らし始めたのに、ちっとも一緒にいられないじゃない』
「好きでそうしているわけじゃないよ」
 火原も気付いていた。十二月はともかくとしても、どんどん忙しくなっている。それは火原の営業成績が良くなっていることと同義だが、香穂子と一緒に過ごす時間が取れないこととも同義だ。家に帰ったら香穂子がいる。それが火原に安心感をもたらしているせいでもある。別々に暮らしていた頃には会う時間を作る必要があったが、今はその必要がない。家に帰れば会える。
 それは、香穂子と一緒に過ごそうとする努力を怠っていることだと、うっすらとは気がついていた。
 解っていることを指摘されること。それが、かんに障った。いつもなら気にしないことかもしれないが、忙しさで気が立っているのもあった。
『好きでされてたらたまんないわ!』
「そんなに怒ることないじゃないか。仕事だってちゃんとわかってるくせに」
『解ってるわよ。でもそれとこれは別なの!』
「別って何!? 言ってることがわからない」
『わからないんじゃなくて、わかりたくないんでしょう!?』
 それからは互いに言葉をぶつけ合い、そしてささくれ立った気持ちで電話を切った。それはしばらく尾を引いた。接待会場に向かうタクシーの中で上司に指摘されたほど、火原は誰から見てもわかりやすく苛々を表に出していた。普段の火原からは余り想像できないことだった。
「悪かったな。こんな日に。彼女を怒らせたんだろう」
「いえ」
 上司の言葉を短く否定したが、それでは完全に否定出来ていないことに気付いて言葉を足す。
「僕こそすみません。こんな顔で接待に行ったら、先方にも失礼ですね」
 火原は大きく深呼吸をした。
「大丈夫ですから。気にしないでください」
 接待は上手くいったし、問題もなかった。時計の針は日付を越えてしまったが。
 もう香穂子は寝ているだろう。
 帰りのタクシーのシートに身を沈めて、火原は香穂子のことを思った。接待が始まる前まで残っていた苛立ちはなかった。クリスマスのイルミネーションも今日までだ。車窓を流れる光を目にすると、イブの夜はイルミネーションを見ながら、香穂子と歩いていた去年までのことを思い浮かぶ。
 寒いねといいながら寄り添って歩くのは、実はそれほど寒くはなかった。わざと片方だけ手袋を外して、手を繋いだ。最初は冷たかった香穂子の手が火原の手のぬくもりで暖かさを取り戻していくのが嬉しかった。冷たくなった頬を火原の腕に擦り寄せた香穂子。急に降り出した雨に濡れてしまった夜もあった。急激に冷え込んでホワイトクリスマスになった日、ケーキを買った帰り道で踏み固められた雪の上で滑って転んで、箱の中で白いクリームが散乱していたこともあった。ケーキの上に飾られていたサンタクロースがめり込んでいた。ちょっと気張ってワインを飲んだら悪酔いして、気付いたら介抱されていた。初めてクリスマス・イブを一緒に過ごしたときにプレゼントした指輪をしてきているのを見つけて思わず公衆の面前で抱きしめたこともある。
 いつだって香穂子を好きだという気持ちが溢れていた。喧嘩なんてしたことなかった。喧嘩なんてするはずがないと思っていた。
 冷静になってくると、自分が香穂子に放った言葉を思い返して冷やっとする。なんて考えなしに言ってしまったんだろう、香穂子を傷つけてしまうようなことをどうして言ってしまったのだろう、と。そんなこと本望じゃないのに。
 火原は自分が今抱えている鞄の中身にも思いを馳せた。
 今日、外回りに出たときにこっそり買ったクリスマスプレゼント。本当は早くに買って用意しておきたかったが、家に置いておくのは香穂子に発見される可能性があるから、買いたい物に目をつけておいたのだ。
 早く帰って、そして早く香穂子が喜ぶ顔を見たかった………。


 外を走っていった車のヘッドライトの明かりが部屋の中をさっと照らしていった。その一瞬で気がついた。
 香穂子の目元から下に伸びている筋に。
 涙を、流した後に。
 肌を通った涙はすっかり乾いているが、そっと人差し指を伸ばして触れたシーツには若干の湿り気が残っていた。
 急激に感情が大きなうねりを伴って火原の中からせり出してこようとする。愛しいというだけでは追いつかないほどの愛しさに、泣きそうになる。それを堪えて、火原は香穂子の目尻に軽く口づける。少し、しょっぱい味がした。
 顔を離すと、そのまま香穂子からも離れた。このまま傍にいると香穂子をたたき起こして抱きしめて、何度もキスをしたくなる。
 入ってきたときと同じように足音を立てずに部屋を出た。リビングへ戻るとソファーの上に放り出してきた鞄の中を探る。部屋の明かりは付けずにいたから、本当に手探りだ。
 目的のものを手に取ると、一度だけ凝視してからまた寝室へと戻った。
 香穂子は変わらない姿勢で眠っている。それを確かめて、今度は背後から手を伸ばしてその頭上にプレゼントの包みを置いた。
「ごめんね」
 小声で、口にした。
「メリークリスマス。………良い夢を」
 寝るまで泣いていたのなら、せめて夢の中は楽しい、香穂子を喜ばせるものであって欲しい。
 そう言い残して、今度こそ火原は寝室を後にした。
 今日はリビングのソファーで眠ることにしよう。朝になって目覚めた香穂子が、枕元のプレゼントの包みに気がついて飛び起きて、火原を揺り起こすまで眠っていよう。そうして、目が覚めたら真っ先に謝ろう。ありったけの愛しい気持ちを伝えよう―――。

拍手[1回]

PR

Copyright © very berry jam : All rights reserved

「very berry jam」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]