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 目に映る自室の天井が滲んでいる。熱で目が潤んでいるからだ。
 吐き出したため息には熱が乗っている。
(あーあ………)
 火原は、ぼうっとする頭で今日の自分を嘆く。
 せっかくの誕生日だったのに。大好きな彼女と一緒に過ごす、初めての誕生日。どれだけ今日が来るのを待ち望んだことだろう。香穂子が「当日を楽しみにしててくださいね!」と言ってくれた日から、指折り今日が来るのを数えていたのに。
 昨日などは、嬉しくて嬉しくていつまでも眠れなくて、一度はベッドに潜り込んだのになかなか寝付くことができなかったから、起き出してベランダに出てそこから見える星空を眺めていた。今日のことに思いを馳せながら。
 つまりはそれが仇をなしたわけであるが。
(おれって間抜け………)
 さすがに自己嫌悪。
 これではせっかくの香穂子の誕生日サプライズも体験できなくて、本末転倒。元も子もない。
 今、何時なのだろうか。枕元の時計を確かめようと思ったが、動くのも億劫だった。
 そうこうしているうちにいつの間にか眠っていた。
 眠っては目覚めての繰り返し。
 家の中は静かだ。両親は共働き故に仕事に出かけている。今日は講義がないからと大学へ行かない兄が残っているはずだが、物音一つ聞こえないということは出かけているのだろうか?
 家の中に一人だと思うと、急に寂しくなる。一人置いて行かれたような気分になる。
 そしてまたいつしか眠っていた。
 次に気がついたときには、傍らに人の気配を感じた。
 ゆっくり頭を動かしてそちらを見る前に声が聞こえた。火原が身じろぎをしたことに気がついたからだろう。
「気分はどうですか?」
「か―――」
 香穂ちゃん。その名を呼ぼうとしたのに、声が掠れてしまった。
 香穂子がベッドの脇に座って、火原のことを見ていた。
「まだ、顔が赤いですね」
「だい、じょうぶ」
 そう言ってみたら、さっきまでだるかったはずの身体が本当に大丈夫に思えてきて、火原は身体を起こすことにする。
「寝ていてください!」
 香穂子が慌てて制止したが、聞かない。
「大丈夫だよ。きみの顔見たら元気になったから」
 笑ってみたけど、下がった香穂子の眉尻は元に戻らない。
「本当は、来ないほうがいいって思ったんです。寝込んでるところ無理させちゃ悪いって思って。でも、どうしても今日は会っておきたくて来たんですけど………やっぱり来なきゃ良かった」
「何で、そんなこと言うの!」
 少し強い声を出したら、視界が揺れた。
 どうやら身体も傾いでいたらしい。香穂子の腕が伸びてきて、火原の背中を支えていた。
「もう、横になってください。………私も、もう帰りますから」
「じゃあ、まだ寝ないよ」
「先輩!」
「だって、寝たら香穂ちゃん帰っちゃうんでしょ。だったら寝ない」
「先輩………」
 香穂子が困った顔をする。
 自分でも解ってる。香穂子を困らせることを言っていること。自分の言っていることはただの我が儘なんだと。
 それでも、言わずにいられなかった。
 せっかく逢えたのに。今日は逢えないと思っていたから。
 年に一度しか来ない特別な日に、少しでも香穂子と一緒にいたい。
「わかりました。帰りませんから、横にはなってください」
「本当に?」
「本当です」
 香穂子が苦笑している。多分、幼い子どもに接している気分になっているのだろうと思う。
 それがちょっと悔しい。
「やっぱりいやだ」
「先輩………もう! いい加減にしないと怒りますよ! ちゃんと休まなきゃ風邪も治らないでしょう」
「治るよ。香穂ちゃんが傍にいてくれれば治るよ」
「そんな言葉には欺されません。言うこと聞いてくれないんだったら、もう帰ります」
 香穂子はそう言って、本当に立ち上がってしまった。
「えっ」
 慌てる火原を余所に、香穂子は「それじゃあ、また明日」と言って部屋を横切って出ていってしまおうとしている。
「香穂ちゃん、待って………!」
 掛け布団をはねのけて、火原はベッドから降り立っていた。
 ドアの傍で香穂子の手を掴むことに成功する。
「先輩………」
 ドアの前で香穂子が火原を振り返る。驚きと呆れとが半分ずつ入りまじった表情。
「ごめん………おれ、香穂ちゃんを困らせるつもりじゃなくて、一人で寝ていたくなくて、もっと香穂ちゃんと一緒にいたかっただけなんだ………ごめんね」
 上手く言えないのがもどかしい。だけど頭の中にある想いを上手く言葉に出来ない。
 だが、香穂子は火原の気持ちを正確に汲み取ってくれた。
「先輩。風邪が治ったらたくさん一緒にいますから、今日は大人しく寝ててください。早く風邪を治して、そしたらその分早く一緒にいられるでしょう?」
 やっぱり香穂子は幼い子ども諭すような口調だったが、今度は火原も素直に受け入れた。
 香穂子に支えられるようにしてベッドに戻る。香穂子よりもずっと背が高いのに、香穂子よりずっと小さな子どもになってしまった気がする。
 恥ずかしいけど、嫌じゃなかった。
(おれ、変かな?)
 背中に回された香穂子の手は、パジャマ代わりのTシャツ越しでも解るほど冷たくて、熱を持った火原の身体には気持ちが良かった。
(やっぱり、もっと香穂ちゃんと一緒にいたいや………ちゃんと横になってるからって言ったら、もう少し一緒にいてくれるかな)
 我ながら未練がましいと思うが。
 そんなことをぼんやり考えていたせいだろうか。
 あと一歩でベッドだというところで、よろめいた。
 火原の身体を支えていた香穂子も、そのよろめきに耐えられなかったらしく、火原と共に崩れる。
「うわっ」
「わっ」
 重なったのは二人の声だけではなかった。ベッドに上下になって、火原と香穂子は重なり倒れていた。
「先輩、大丈夫ですか!? ごめんなさい、支えられなくて………」
 火原の上から声が降ってくる。
「大丈夫だよ。香穂ちゃんは、大丈夫?」
「私は平気です………」
 言いながら香穂子が笑い出した。
 わけがわからなくて、火原はきょとんと香穂子を見つめるばかりだ。
「前にもこんなことがあったなぁって思い出して」
「え?」
「ほら、覚えてませんか? 第二セレクションの前に合宿へ行ったこと―――」
 言われて思い出した。
 合宿の夜のアクシデントを。
 こんな風に香穂子とベッドの上に倒れ込んだことがあった。あの時は、今とは逆で火原が上になっていたのだけれど。
(そういえば………)
 初めて、香穂子を意識したのは、あの時だ。
 香穂子が女の子であるということを。
 甘くて柔らかい香りにぼうっとなった。
 一度にそれだけを思い出して、一瞬にして火原の気持ちはあの頃に同化する。
 だが、今はあの時とは違う。
 まだちゃんと香穂子を好きだとは思っていなかったあの時とは違う。今は、香穂子が好きだとはっきり言える。誰にも負けないほど、好きだ。毎日想いは募り、留まることを知らない。いつだって逢いたいと思うほどに。
「香穂ちゃん」
 無意識にその名を呼んでいた。香穂子からは返事がなかった。香穂子の返事を待たずに、火原は手を伸ばして香穂子の頭を引き寄せ、唇を重ね合わせていた。
「先輩………」
 唇が離れると、火原の熱が移ったかのような、熱の籠もった吐息を香穂子は言葉と共に漏らす。
「………大人しく、寝てなきゃ駄目ですよ」
「うん」
 香穂子が離れると、火原は素直に頷いてごそごそとベッドの中に戻った。
「今日は先輩の誕生日だから大目に見ますけど、こんな不意打ちずるいです」
 香穂子の顔も、熱を持って赤くなっている。
 だけど、それがとても可愛くて、火原は笑ってしまう。香穂子はそれを見て口を尖らせた。
「誕生日プレゼント、お預けです!」
「えっ!?」
「風邪が治ったら、改めてお祝いしましょう」
 焦った火原の表情に気分を直したのか、香穂子が笑顔になる。
「お誕生日、おめでとうございます。今日は言葉だけで我慢してくださいね」
「わかった。じゃあ、楽しみにしてる」
「はい」
 ベッドに横たわる火原の手を一度だけ握って、香穂子は今度こそ火原の部屋を出て行った。
 火原はしばらく香穂子が出ていったドアを見つめながら、最後に触れていった香穂子の手のぬくもりを感じていた。冷たかったはずの香穂子の手のぬくもりを。

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