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006.掃除

「あんまり進んでないわね」
 部屋の入り口から聞こえてきた声に、香穂子は瞬きを何度か繰り返してから振り向く。
 開け放ったままのドアの傍に立っていたのは姉だった。
「うん。なかなか」
 苦笑を浮かべながら応える。
 来週の土曜日、香穂子はこの家を出る。海外留学をするためだ。
 高校二年生の時に、ひょんなきっかけから参加した学内コンクール。それは、香穂子の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。それからの香穂子は音楽の道を歩み始めた。大学はもちろん付属の大学へと進学したし、大学院にも進んだ。そして、あと半年で卒業だというこの時期にフランスの音楽学校からの要請を受けて、そちらで音楽の勉強をすることになったのだ。
 片づけはなかなか進まなかった。昼食を取った後から始めたのだが、太陽はもう姿を隠そうとしているのに、香穂子の部屋は足の踏み場もないほどだ。
「先にご飯食べよう」
 そういえば、さっきからいい匂いが階下からのぼってきていた。香穂子の好きな母親特製のビーフシチューの匂い。
「うん。すぐ行く」
 姉はもう一言二言言いたそうにしていたが、結局何も言わないまま去っていった。
 軽やかに階段を下りていく足音が充分遠ざかってから、大きく息を吐き出した。それから今し方まで眺めていたものを、再び見つめる。
 視線の先にあるのは、何枚もの写真。その全てに共通して映っている人がいる。
 火原和樹。
 学内コンクールで出会ってから、たくさんの時間を共にしてきた人。
 愛しい、人。
 そしてもう会えなくなる人。
 香穂子より一つ年上で、一昨年の春から社会人として頑張っている。お互いに忙しいことを理由に合える時間が減ってきていた。
 だから―――。
 気持ちに変わりはないけれど。
 簡単に切り替えられるものだとは思っていない。思えるわけがない。
 いつだって支えにしてしまうほどに、心の中に住み続けている人なのだ。
 瞼を閉じればすぐにその笑顔を思い出せる。名前を呼ぶ声を思い出せる。
 写真を手に取った。
 最近はデジカメで撮ってばかりだったから、こうしてプリントアウトしているものは少ない。ここにある写真は高校生の時のもの。カメラを持ち歩いていた天羽が撮ってくれた。それから、コンクールの途中から火原も写真を撮ることに興味を覚えたようで、それでいつのまにか増えていた。
 一つ一つに想い出が詰まっている。写真を撮ったときのことをはっきりと思い出せるものばかりだ。
(いけない、いけない)
 軽く首を左右に振って、香穂子は手の中の写真を一つに束ねる。
 そして一つに束ねたそれを、ダンボールの一番下に押し込んだ。
 二度と、引っ張り出すことのない、奥深くに。
 交わした言葉も笑顔も涙も全てと共に。
 代わりに一つの決意を胸に抱く。揺るがないように、強く。
 押し込めた想い出。
 残した、決意。
 指先で目尻を拭って、香穂子はその場に立ち上がった。

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「おわりとはじまりの言葉」を書く前に書いていたもの。もともとはこっちで取り扱おうとしていたネタでした。けれども、書きたかったのが別離のシーンになってしまい、こちらは捨てることに。しかしながら、未練たらたら。結局前振りとして書き上げてしまいました。嫌な話です。今から別れますよー、という………。こんなん読んでも楽しくないよなー………。単独で読むとそれが倍増。でも書いちゃったし。ちなみに「掃除」の真っ最中です。気持ちのお掃除もしちゃいました、というふうな………。お題的にはちょっと厳しいか?それにしても、最近どんどん話が短くなってる。シーンをメインに書くことが多くなったからかなー。

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