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「たんたららーん、たんたららーん、たんたららったたんたたたん、たんたららーん、たんたららーん、たららららったた、たん♪」
次のセレクションの曲を口ずさみながら、火原は屋上への階段を上っていた。
今日はとても天気がいいので、青空に向かって思いきりトランペットを鳴らそうと思った。この学院内で一番高い練習場所は屋上だから、ホームルームが終わるやいなや、教室を飛び出して一目散に向かった。
「たーんたんたーたたたんたんたーん、たたんたんたんたーんたーんたん、………っと!」
屋上へ出るドアは鉄扉なので重い。力を入れて押し開ける。
ドアを開くと、さあっと風が流れ込んできて、火原の髪を撫でていく。
「うーん! 気持ちがいい!」
背後でドアが閉まる音を聞きながら、火原は腕を斜め後ろに伸ばし胸をせり出す。
まだここへは誰も来ていないようだ。少し考えて、火原はドアの横にある階段へ足を向けた。更に高いところへ上がろうと思ってのことである。
階段を上りあがって、火原はそこでようやく、屋上に既に来ていた人がいたのを知った。
ぱあっと、火原の顔に笑みが浮かぶ。
「香穂子ちゃん!」
グラウンドのほうを見ているのでこちらに背を向けて立っているが、香穂子であることには間違いがない。
このコンクールで知り合った、普通科の女の子。ヴァイオリンはまったくの素人だという話だが、音楽科からの出場メンバーに劣るどころか、圧倒する勢いである。
いつも一生懸命で、見ているほうも頑張らなくちゃ、と思ってしまう。
その香穂子が火原の声に、何拍か置いた後振り向いた。
火原は僅かに首を傾げた。普段の彼女なら、さっと振りかえるところなのに。
そして気付いた。
香穂子の目が赤いこと。目元を急いで拭ったようだが、その目はまだ潤んでいること。
火原はぴたっとその場に足を止めてしまった。
ドキリ、と自分の心臓が音を立てた。
とても不謹慎だとは思うが、これまでに見たことのない表情を見ることが出来て、少しだけ得したなんて考えている自分がいた。
「どうしたの?」
大声を上げたら、なんだか香穂子が壊れてしまいそうなくらい儚げに見えたので、そっと訊ねる。
「何でもないです。大丈夫です」
香穂子は微笑みすら見せているが、それはよりいっそう悲しげにしか火原の目には映らない。
「何でもないのに、普通泣いたりしないよ」
「でも、大丈夫ですから。心配しないでください」
そう言いながらも香穂子の目にはじわじわと透明なものがせり上がって来ていた。
「ねぇ、香穂子ちゃん。おれ、先輩だし、香穂子ちゃんが困ってたら助けてあげたいよ。力になってあげたいって思う。でも、香穂子ちゃんはおれじゃ頼りにならないって思ってる? 相談してもしょうがないって」
「そんなことないです!」
火原の言葉を遮るようにして、香穂子は強く否定した。
「じゃあ、何があったのか話してくれる?」
「でも、それとこれとは別のことで、これは私自身の問題だから自分でどうにかしなきゃならないんです。だから………」
「けど、困ってるのは事実だよね。話くらいならおれだって聞けるよ」
「そんな先輩の手を煩わせるようなことは………」
「何でそんな難しいこと言うのかな。おれがいいって言うんだから、いいんだよ」
後半の言葉を強めに言ったら、とうとう香穂子は黙ってしまった。その隙を逃さず、火原は言葉を重ねる。
「ね、何があったの?」
香穂子は静かに視線を、もと向けていたほうへと巡らす。
その目から、ぱたり、と透明な水滴が頬を伝って、遥か下の地面へと落ちていった。
「う~~~~~~ん………」
香穂子から話を聞き終えた火原は腕組をして唸った。
グラウンドのほうを向いて並んで立ったまま。いつしか下のほうには、屋上で練習をする音楽科の生徒が集まってきているようで、ぱらぱらと彼らが奏でる音が聞こえ出していた。
「そっかぁ。魔法のヴァイオリンかぁ………」
「いきさつはいろいろあったけど、ほとんど偶然みたいにして魔法のヴァイオリンを手に入れて、それであっさりとセレクションで入賞してるんだから、幼い頃から真剣にやってる人からすれば、確かに腹も立つことですよね」
香穂子の目元からは、綺麗に涙は拭われていた。まだその跡は残っていたけれども、もう泣くことはないだろう。すっきりした表情になっている。
「でも、おれ、香穂子ちゃんがいっぱい練習してるの知ってるし、努力してるのも知ってるよ。だから、腹が立つなんて思わないけど」
「ありがとうございます」
火原のほうに顔を向けて、香穂子は軽く頭を下げた。
「腹が立つよりも、羨ましいなって思うよ。おれたちコンクール参加者は、妖精を見られるってだけでも特別でそれが嬉しいけど、香穂子ちゃんは更に魔法のヴァイオリンだって貰ってるんだもん。香穂子ちゃんはものすごく特別なんだ」
その言葉に香穂子は控えめに笑っただけだった。
「でも、そんなひどいこと言うなんて、その人、香穂子ちゃんの音がどんなに素敵か知らないのかな? そうだ! なんなら、おれその人に言ってあげようか。香穂子ちゃんがどんなに頑張ってるのか、どんなに素敵な音を奏でるのかって」
「い、いいですよ!」
香穂子は慌てて顔の前で手を振った。
「そう?」
「はい! 先輩に話を聞いてもらって、嬉しい言葉を言ってもらって、それだけでもう充分ですから。だからいいんです」
「……………香穂子ちゃんって」
火原はそこで言葉を一旦切る。
「何ですか?」
「人を喜ばせるの、上手だよね」
香穂子が目を瞠り、絶句しているのを見て、火原はへへっと照れたように笑った。
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