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穏やかな昼下がりの屋上。
あっという間にお弁当を平らげた火原は、デザート代わりのメロンパンを頬張りながら横に座る香穂子を見る。香穂子は食べ上げた火原のお弁当箱と自分のお弁当箱をまとめて自分のバッグにしまいこんでいる。
その口から微かな音が届く。
「最近」
火原の短い言葉に香穂子は口ずさむのを止めて、火原を振り向いた。口に含んでいた一欠片のメロンパンを飲み下してから、続きを言う。
「その歌、よく歌ってるね」
「えっ?」
「よく耳にするフレーズだなって思ったんだけど」
「私、そんなに歌ってました?」
恥ずかしそうに香穂子は少しだけ頬を赤く染める。
「たぶん。気付いたのは今だけど」
「実は、最近気に入っててよく聴くんです。曲がすごく好きで」
「へぇ。なんて曲?」
「洋楽なんですけど」
そう前置きして、香穂子はスラスラと曲のタイトルを言う。それほど長いものではなかったが、火原は一度だけ聞き返した。
「そっか。じゃあ、今日の帰りにCD屋に寄ってその曲探してみよう」
「え?」
「香穂ちゃんが好きな曲だから、俺もどんなのか知りたいからさ!」
「それだったら、私が持ってるCD貸しますよ」
火原が同じCDを買ってまで香穂子の気に入っている曲を聴きたいと言ったことが、香穂子にとってよほど嬉しかったらしい。満面の笑顔になって申し出てくれた。
「ホント!? あー………でも、その間、香穂ちゃんがお気に入りの曲聴けなくなっちゃうね。やっぱり自分で買うよ」
手の中に残っていたメロンパンをぽいっと口の中に放り込む。それをもぐもぐと噛みながら次のパンの袋に手を掛ける。その中にはチョコレートがたっぷりのコロネが入っている。パンの形がラッパに似ていると前から思っていた。
「半分食べる?」
香穂子が火原のことをじっと見つめているので、提案してみた。
「そんなつもりじゃなかったんですけど………。でも有り難く頂きます」
「はい! 半分こ」
真ん中で割って火原はチョコレートがたっぷりなほうを香穂子に渡した。
「美味しい」
香穂子が二口目を口にしたときには火原は一口でコロネを平らげていて、また次のパンに手を伸ばしていた。
火原が全て平らげるのを待っている間に、香穂子はもう一度さっきの曲を口ずさんでいた。しかもさっきと同じところだ。その部分がよほど好きなのだろう。
「ねぇ、今のところなんて言ってるの?」
「今のところ、ですか?」
「さっきも歌ってた」
「サビの部分なんですけど、ここしか歌詞を覚えてなくて」
「それで、なんて言ってるの? どういう意味?」
ばくっとあんパンにかぶりつく。
少し考えていた香穂子は、かあっと頬を上気させる。さっき無意識で口ずさんでいたことを指摘された時に頬を赤らめたのよりももっとはっきりと。
二口目にかぶりついたまま、火原は目を丸くしてさっと顔を背けた香穂子を見つめる。
「香穂ちゃん?」
「あ、えっと、私もよくわからないんです! あの、曲が気に入っているだけだから」
香穂子の声が慌てているのがよく解ったが、何故慌てているのか解らない火原は少し首を傾げると、残ったあんパンを一気に食べ上げた。
「へへっ。楽しみだなぁ」
火原の手の中にはCDが一枚。香穂子と一緒にCDショップへ寄って手に入れてきた一枚だ。香穂子が持っているのと同じCD。香穂子が好きだという曲がどれなのかも教えて貰っている。
制服から着替えるのも何もかもを後回しにして、CDを包んでいるパッケージを開封し、オーディオコンポにCDを入れ、香穂子の好きな曲を真っ先に再生する。
スピーカーから流れてきたのは静かなスローテンポの曲。女性ボーカリストの声がそれに乗る。その歌詞は英語で、何と歌っているのかちゃんとは聞き取れないし、何と歌っているのかもわからない。
曲はサビの部分に入っていた。
「あ、ここだ!」
香穂子が口ずさんでいたところだ。
ブックレットを取り出して、曲の歌詞を確認する。
「ええと………」
読んでみた。
が、意味がわからない。
悩んでいるうちに次の曲へと移っていた。慌てて、曲を戻す。
今度は曲に合わせて歌詞を目で追う。だが、英語はあまり得意といえない火原にはそうしたところで歌詞に書かれていることがわかるわけでもなく。いくつかの単語は分かるけれども、それじゃあ文章は繋がらない。
「辞書、辞書」
ブックレットを片手に勉強机へ駆け寄る。机上の隅へ押しやられている英和辞書を引っ張り出した。
ともかくまずは香穂子がよく歌っていた部分を訳してみる。
曲は二曲先まで行っていたから、慌てて戻って今度は一曲リピートを選択しておく。
香穂子の好きな曲を延々とリピートしながら、歌詞と英和辞書とに齧り付く。
こんなに真面目に英語と向き合ったのはいつ依頼だろう。
苦しげな呟きが口から漏れるが、根を上げるなんて出来ない。
香穂子が好きだというものを火原も知りたい、解りたい、好きだと思いたい。
(そう言えば、何で香穂ちゃん顔を赤くしたのかな、あの時)
サビの部分の意味を聴いたときの香穂子。
可愛かったけれど。
(って、いやいや、今はこの歌詞を読まなきゃ)
とりあえず、一つ一つの単語は調べた。だが、いくつも意味があるものがあったりしてややこしい。
それでも、あとはこの言葉を繋げて文章の意味を読み解くだけだ。
「ええっと………、『私は』………」
「何してんだ、お前?」
返ってきた途端、部屋に籠もってしまった火原の部屋からどすんと音が響いたので、兄が顔を覗かせた。呆れた声を出す。
火原は椅子から転げ落ちた姿勢でのたうち回っていた。
その顔が真っ赤だ。高熱が出たのかと思わせるほどだ。
「俺、なんてこと香穂ちゃんに訊いちゃったんだろー!!」
「おい、和樹?」
叫びながらのたうち回り続ける火原を、兄は止める術もなく見守っていた。
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