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火原は指折り数える。
「海にも行ったし、プールにも行った。水族館に遊園地、それから二人きりじゃなかったけど旅行にも行ったでしょ」
火原が数えているのは、夏休みに香穂子と出かけた場所。デートをしたところ。
平日は半日学校へ行ったり、合宿があったりしてちょっと買い物に出かけるとか、甘いものを食べに行くとかというくらいのものしかできなかったけど―――それでも充分火原には楽しいことだが―――夏という開放的な気分になる季節、土日のたびに計画を立てては二人で一緒に過ごした。朝から晩まで一緒にいられるというのは、最高に幸せなこと。夏休みでなくとも、土曜か日曜には一緒に過ごしていたが、いつも、というわけにはいかない。何かと忙しい高校三年生なのである、一応。
それもあって、夏休みにはみっちり香穂子と過ごしたいと意気込んでいた。その意気込みは見事に果たされた。
大満足である。
夏らしいことも、充分に出来た。
明日で夏休みも終わり。香穂子と会う予定はないけれど、学校へ行くつもりである。夏休みもオケ部の練習はある。学校へ行けば、香穂子と会える確率がとても高い。香穂子は香穂子で自主練習のため学校へ出てきているからだ。
こんなに充実して幸せだった夏休みは初めてで、火原は思い出すだけで嬉しくなる。これまでの夏休みも楽しかったけれど、その比じゃない。
「先輩!」
予想していたとおり、香穂子も練習しにきていたらしい。残暑厳しい夏の日射しをファータ像の影で遮りながら、火原を待っていた。
「香穂ちゃん!」
予想していても、嬉しいものは嬉しい。
「今から帰るんだよね」
「はい」
「じゃあ、どこかでケーキ食べて帰ろうか」
「はい! ………と言いたいところなんですけど」
香穂子が遠慮がちに笑う。
「約束があるの?」
膨らんだ気持ちがしゅんと萎んでいくのが自分でもわかる。
「約束は今から先輩とするんですけど」
「俺?」
香穂子が言っていることの真意がわからなくて、問い返す。
「先輩、今夜お暇ですか?」
「うん」
あんまり深く考えずに応えたが、誰と約束しているわけでもないし、香穂子の誘いを断るなんていう選択肢もない。
「じゃあ、六時半に公園のバスケットコートの傍で」
「バスケットコート?」
そんなところで待ち合わせるなんて、初めてのことだ。
「あとは、その場でのお楽しみってことで」
ただ、約束だけを取り付けて、香穂子は火原と別れた。
いったん家には帰ったものの、落ち着かなくて、約束よりも一時間も早くに約束のバスケットコートへと向かった。
コートには誰もいなかった。太陽は少しずつ傾いてきているようだが、空はまだ青いままだ。一時間後には朱が差したものに変わっているだろうが、夜にはまだ早い時間。
夏は明るい時間が長くて、その分長く一緒に居られるような気がする。もともと夏が好きな火原だったが、今年はもっと好きになった。
コートの隅にボールが一つ転がっているのを見つけて、火原は一人でシュートを延々と繰り返していた。没頭していて、名前を呼ばれるまで約束の時間になったことに気がつかなかった。
「火原先輩!」
声に振り返って、そのままの形で火原は体の動きを止めた。
香穂子がコートを取り囲むフェンスの外に立っていた。
浴衣姿で。
夕暮れの、朱く染まる公園の中に溶け込まず、一足先に夜の色になっている香穂子。紺地に白の花が鮮やかに散っている。後頭部で髪をまとめ上げているから、首元がすっきりしている。
火原はぽかんと香穂子を見つめていた。バスケットボールがするっと手を滑ってコートにバウンドしてようやく我に返った。
ボールはそのままにして、フェンスの外にいる香穂子に駆け寄った。
「浴衣だ! 可愛い!! どうしたの!?」
思ったことをそのまま並べる。
「これ」
香穂子は応える代わりに、手に持っていたものを目の高さに持ち上げた。
「花火とバケツ?」
一つは、色々な種類の手持ち花火がパックになったもの。
もう一つは、青いバケツ。
「はい。夏の最後の思い出作りをしましょう。昨日、この夏のこと思い出してたら、花火だけ見に行ってないなって気付いて」
火原が指折り数えて思い出していたように、香穂子も同じように夏のことを振り返っていたというのが嬉しくて、香穂子の後半の言葉を聞き逃していた。
「え?」
「見に行くつもりでいた花火大会が中止になっちゃったり、別の花火大会もちょうど合宿中だったりして行けなかったりして、花火だけ忘れちゃってたから。もう花火大会もないし、だったら自分たちでするしかないから、これ」
「そっか………そうだったね」
言われて火原もようやくそのことに思い至った。そして、香穂子の提案に乗る。
「じゃあ、おれたちだけの花火大会開始!」
香穂子の手からバケツを引き取って、空いた手を繋いで花火が出来そうな場所を探した。
ひとしきり花火を散らせると、残るのは線香花火だけになった。やはりこれは最後にするものだろうと、取っておいたのだ。線香花火に火をつけるまでは、はしゃいでいたのに、線香花火になると何故かしんみりする。ぱっとあでやかに火花を散らすそれまでの花火が火原はどちらかといえば好きだった。
だけど、今、香穂子と肩を並べて、線香花火の静かな火に照らされている横顔を見ていると、派手な花火より線香花火をもっと綺麗だと思えた。
ちりちりと少しずつ、だけど精一杯に線香花火は花を散らしていく。
「先輩………花火を見てください」
黙って線香花火を見ていた香穂子が、視線はそのままで火原に話しかける。
「ええっと。うん。けど、どうしても香穂ちゃんに視線がいっちゃうんだよね」
香穂子の手がぶれた。
小さな種を作ろうとしていた線香花火の先が、落ちた。
二人を暗闇から浮かび上がらせる明かりが、ロウソクの炎だけになる。それでも、香穂子の表情はよく見えた。目の縁を赤くして、火原を上目遣いに睨んでいる。本当に起こっているのではなくて、照れ隠しなのだとわかる。
「もう。落ちちゃったじゃないですか」
「ごめんごめん」
だけど、本気で悪かったとは思っていない。火原が口にしたことは本当のことだから。
「もう一本あるし。はい」
火を付けて線香花火を手渡そうとしたら、そっと押しとどめられた。
「今度は先輩が最後まで大事にしてくださいね。私、見てますから」
「………わかった」
香穂子がする線香花火を見たかったのだが、しょうがない。
火原はじっと手元の線香花火を見つめる。
それでも、香穂子のほうを見たくて顔を動かしたら、香穂子と視線が合った。香穂子がさっきよりも顔を赤くする。
衝動的に身体を香穂子のほうに寄せていた。香穂子が何か言いかけたが、言葉を封じてしまう。
唇を重ねただけの短いキス。
「………花火、終わっちゃいました」
至近距離で、香穂子はそう言った。視線は火原の手元に。
火原もそちらへ目をやると、線香花火は種を作る間もなく落ちていた。
「終わっちゃったね」
だけど、あんまり残念じゃない。
花火は終わったけれど、その代わり得たものがある。
「夏休みの最後に、すっごくいい思い出が出来たね」
香穂子に視線を戻して、にっこり笑った。
「忘れられない夏休みになったよ。ありがと!」
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