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初めて香穂子と海へ行ったときのことを思い出していた。
あの時の香穂子は、まっすぐ見ることが出来ないくらい可愛かった。今でもしっかり覚えている。黒地に大きな白い水玉模様のビキニ。眩しすぎて、目を逸らしてばかりだった。それで香穂子を怒らせたりもして。
そういえば、肩を寄せて携帯電話で写真を撮った。
二人とも満面の笑みを浮かべていて、これ以上ないくらい楽しそうな顔をしていた。だって、その写真を撮ったときには、本当にこれ以上ないくらい楽しかったから。
あの写真はとても気に入っていて、ずっと待ち受け画面にしていた。
だけど、今はもうない。
無くしてしまったから。
今の携帯電話に機種変更したときに、操作を誤って消去してしまったから。
その時の落ち込みようは無かった。実は今も少し落ち込んでいる。何で無くしてしまったんだろう、と。それが自分の失敗で無くしたものだから、余計に。
香穂子は持っていなかった。恥ずかしがったから。火原の携帯電話で撮ったから転送しようかと言ったけど、いいです、と恥ずかしがったから。
その時、照れていた香穂子も可愛くて、携帯電話を手にしていた火原はその表情も携帯電話に取り込みたいくらいだったことも一緒に思い出す。
あれから、何度も海へ行った。
だけど、初めての時はやっぱり特別で。
「和樹君?」
すぐ横から名前を呼ばれた。火原が好きな声で。
火原を呼ぶときにいつの間にか「先輩」が取れていて「君」になっていた。二人はもう学生ではないし、これで二人が対等になったような気がして火原は嬉しいと思っている。年の差はたった一つだけど、学生のうちはこのたった一つが結構大きな壁だった。火原が先に大学生になったときには、特に感じた。気持ちは対等でも、その一学年の差を大きく感じてばかりだった。何で、同い年じゃないだろうと何度も思った。今だって年の差が一つあるのは変わらないけれど、でも学生の頃とは違う。きっと香穂子もそれを感じて呼び方を変えてくれたのかも知れない。
いつしか「君」を取って呼んでくれると、もっと近しい感じがするだろう。
その前に、まずは火原が「香穂」と呼ぶことに慣れなくてはいけないけれど。
「何?」
下から覗き込んでくる対の瞳を見つめ返しながら、自然に笑みを浮かべていた。
いや、これはもう既に浮かんでいたものかも知れない。
夕日を背中に感じながら、手を繋いで海沿いの道を歩いていた。海水浴場から少し離れただけなのに、今いるところはとても静かで、二人の足音さえ響かない。潮騒は聞こえているのに、それはもう景色と一体化していて、音として捉えていなかった。
「長い、考え事だと思って」
ぽつりぽつりと言葉を交わしているうちに、物思いに耽ってしまっていた。
「ごめんね」
「ううん」
香穂子は小さく首を横に振った。
「何を考えてたのか訊いてもいい?」
「初めて香穂ちゃんと海へ行ったときのことを思い出してた」
香穂子が緩やかに目を瞠る。
ゆっくりと驚きの表情に変わる香穂子を見ながら、火原は言葉を継いだ。
「水着姿を見て照れちゃったこととか、それでちょっと喧嘩しちゃったこととか、水掛け合ってるうちに夢中になりすぎちゃったこととか………写真を撮ったこととか」
言葉にしてしまえば他愛もないことになってしまうけど、それは火原にとっては大事な大事な思い出。
「写真を、無くしちゃったことも?」
「うん」
繋ぐ手に少しだけ力が加わった。
「でも、これからだっていっぱい撮れるから。………あの時の写真はあの時にしか撮れなかったけど、ちゃんと覚えてるし忘れてないから大丈夫」
言葉を選びながら、火原の考えを素早く先回りして優しく言ってくれる香穂子が嬉しい。
「うん」
さっきよりも少しは明るく応えた。
ちゃんとわかっている。
香穂子は今もこうして火原の隣にいて、変わらず笑ってくれる。
それが一番大切なこと。
思い出も大事。だけど、今も大事。
香穂子の言うとおり、火原の中に思い出はちゃんと残っている。写真を撮ったことも、その写真のことも。
「和樹君」
また、香穂子が火原の名を呼ぶ。
「何?」
同じ答えを返す。
「さっき、私も同じ事考えてた」
「え?」
香穂子が言ったことの意味を捉え損ねて短く聞き返した。
「私も、最初に一緒に海に行った時のことを思い出してたの」
火原のほうを向く香穂子の横顔には夕日が当たっていて、赤く染まっている。だがそのせいだけじゃない。うっすらと香穂子の頬は赤くなっていた。それは火原と同じ事を考えていたという喜びから生じたもの。
「一緒に思い出があるだけで、こんなことが出来るのね」
同じ事を、同じ場所にいて、何の示し合わせもせずに、一緒に思い浮かべている。そんなことが。
「俺たち、すごいね」
もう何年も一緒に過ごしてきて、海へ行った回数も多い。なのに、その中で同じ時を思い出していることが。
火原の頬も喜びで熱を持つ。
「うん」
香穂子が一際眩しく微笑んで、火原の腕に身を寄せた。
火原は繋いだ手を強く握り直した。
きっと、これからもこんなことは何度も起こるだろう。以前のことをそれぞれが思い出して今こんなふうに会話をしたことを、ふとした瞬間に二人で一緒に思い返すかも知れない。
それは、素晴らしい未来だ。
だからもっと思い出を作ろう。
もっとたくさんの思い出を。
二人の思い出を。
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