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058.合唱

 講堂の重い扉を押し開いて、火原はその隙間から舞台の上に一人ぽつんと立っている香穂子を見つけた。香穂子はまだ舞台衣装のままだった。僅かに足を開いて手を両脇に下ろし、観客席のほうを向いて立っている。
 ほんの少し前まではその観客席にたくさんの人が座っていて、そして火原も香穂子も、今香穂子が一人で立っている舞台の上で演奏をした。拍手喝采がすぐに耳の奧に蘇ってくる。だが、今は静寂に包まれていて、たった一つの僅かな音も大きく響いてしまいそうだ。
 扉に手を掛けたまま、火原はそのまま立ち止まってしまった。その場所から動くことも、香穂子に声を掛けるのも、何だか躊躇われた。
 静かに立つ香穂子の邪魔をしてはいけないような気がした。
 だが、扉が開いたことに気付いていた香穂子が先に火原に声を掛ける。
「火原先輩!」
 香穂子の声は遠く離れている火原の耳にもはっきりと届いた。その声で、火原は再び動き始める。扉の内側に身を滑り込ませて、扉は勝手に締まるのに任せたまま、自身は舞台にいる香穂子へと近づいていく。
「日野ちゃん、まだ帰らないの?」
「もう少しだけここにいたくて」
 二人しかいない講堂に、声は良く響く。それでも、香穂子の傍まで火原は移動した。横に並んで、香穂子と同じほうを向く。
「終わったね」
「はい」
 最終セレクションをもって、学内コンクールは終わりを迎えた。あっという間の数週間だった。こんなにもたくさんのことを考え、悩み、喜びを感じたことはなかった。濃密な時間だった。楽しい気持ちだけで参加したコンクールだったけれど、終わってみると楽しいだけではなくなっていた。一生忘れられない思い出になった。
「ちょっと寂しいね」
「火原先輩もそう思います?」
「うん。また、やりたいなって思うよ」
「私も………やってるときは、大変だったけど」
 香穂子が少し笑ったのが気配でわかる。
 それからしばらくは二人とも無言で並んで立っていた。火原がそうであるように、香穂子もまたコンクール期間中のことに思いを馳せているのだろう。
「私、初めて人前で音を出したとき、火原先輩に助けて貰ったんですよね」
 不意に香穂子が話しかけてきて、火原は香穂子のほうを振り向く。香穂子が笑って、火原を見つめていた。
「そ、そうだっけ?」
 香穂子の視線を何だかまっすぐに受け止めるのに照れを覚えて、火原は慌ててごまかすように返事を返した。
 本当は、ちゃんと覚えていた。声を掛けられる直前に思い出していたのがそのことだったから。香穂子と初めて合奏した曲がガヴォットだったことを。香穂子と音を合わせたとき、たった二つの音しかなかったのに、とても楽しくて賑やかに思えたことを。
「そうですよ。私、あの合奏がきっかけで、音を出すのが楽しいって初めて思えたんですから」
「そうなの!?」
 今度は演技ではなく本気で驚いた。
 いつだって、聴いているこちらが楽しい、もっと聴きたいと思わせてくれるような音を出していた香穂子だった。だから、香穂子があの時初めて音を出すことを楽しいと思ったということが俄には信じがたい。
「それまでずっと、どうやったらいいのか、どんなふうに弾いたらいいのか全然解らなくて。どんなに弾いても、何か違うとしか思えなくて、でも何が違うのかも解らなかったから。あの時、火原先輩と合奏できて良かった。そうじゃなかったら、今こうして、コンクールに参加して良かった、コンクールが終わって寂しいなんて、思っていないと思う」
「おれ、そんなに大したことしてないよ!」
 香穂子は笑った。
「でも私には大したことでした。ありがとうございました」
 体を火原のほうに向けた香穂子は深々と頭を下げた。
「えっと、そんなお礼言われても………おれだって、あのときは楽しかったし、日野ちゃんと一緒にコンクールに参加できて嬉しかったし、だからおあいこだよ!」
 頭を上げた香穂子はまた笑う。
「うん。あのときは本当に楽しかった」
 香穂子の笑顔につられるように、火原も笑顔になって言った。
「ね、日野ちゃん」
「はい?」
「合奏しようか、ガヴォット」
「いいですね。じゃあ、私、控え室からヴァイオリン持ってきますね」
「あっ、でもそれだと、おれ教室までトランペット取りに行かなきゃならなくなるから、時間が勿体ないよ」
 それに、今ここから離れてしまったら、この今の嬉しいようなくすぐったい気持ちが無くなってしまいそうで、惜しい。今の気持ちのまま、香穂子とそのまま一緒にいたかった。
「でも、それじゃ合奏できないですよ」
「うん。だからさ、楽器じゃなくて口で合奏するっていうのはどう?」
「はい?」
 香穂子が思い切り怪訝そうな顔をする。
「うーんとさ、上手く言えないんだけど、とりあえずやってみようよ。日野ちゃん、主旋律を歌ってみてよ」
 火原が意図したいところをちゃんと理解しないままでも、香穂子は言われた通りにガヴォットを口ずさみ始める。火原もそれに合わせて、香穂子とは違う音を口ずさみ始める。それで香穂子はすぐに火原の意図を解ったらしい。笑顔になって、火原に合わせてくる。 それは、合奏というより、合唱。二重奏ではなく、二重唱。
 いつの間にか音は重なり、それはユニゾンとなる。
 楽しい。
 その気持ちが溢れてくる。もっともっと―――欲張りな自分を自覚する。
 二人の声が講堂内に響き渡る。講堂の高い天井に吸い込まれるように消えていく二人の声を追いかけて、更に声を上げる。
「楽しい!」
 一通り歌い終えて、香穂子は真っ先にそう言った。
 ヴァイオリンやトランペットで奏でるように複雑な音は出せないけれど、単純である故に簡単に引き込まれる。
「うん、楽しいね!」
 香穂子と笑い合った。香穂子が楽しそうに笑っているから、火原もまた楽しくて笑う。それはいつまでも続いた。
 今、香穂子と同じ気持ちを共有している、そのことが火原には嬉しい。
 コンクールは終わった。だけど、香穂子との付き合いはこれからも続いていくだろう。
 いや、そうじゃない。
 これからも続けていきたい。これで終わりにはしたくない。
 もっと、一緒にいたい。
 だから。
「日野ちゃん―――」

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ラブくない火日のお話です。新しいドラマCD聴きながらぼんやり書いていました(ぼんやりって何だ?)。コルダは「合奏」の話なので、合唱といってもネタが浮かばないと思っていたんですわ。歌うのって金やんだけだしさ。そんなわけで、こういう苦し紛れ的なお題消化になりました。シチュエーションは好きなんだけどなー。ちなみに合唱は複数で行うものですから、これまたお題ズレしているんですけどね。くどいように二重唱とか書いてみた。ちなみに尻切れトンボ的な終わり方は得意の「続きは想像してね♪」です。とりあえず、これからな二人なのは間違いありません。

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