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060.芸術

 本当は、美術展には興味なんてなかった。
 美術館自体、苦手である。何故かこの空間はとても静かで、静かでしていなければならないという緊張感を強いられる気がするのだ。黙っていること自体はさほど難しいことではないのだが、それが義務になると途端に辛くなる。
 だから、これまでにも美術館に足を運んだことなど、一度か二度くらいだ。いずれもいい思い出はないし、何を見たのかも覚えていない。
 火原にとっての美術館とはそういうものだ。
 香穂子と一緒じゃなかったら来なかった。
 そもそも、香穂子と一緒に来ることが出来たのも、美術展のチケットを母親がくれたからだ。それで、香穂子を誘ったら、香穂子が行くと言ってくれたから。
 正直なところ、火原にはそれでもう目的は果たされていた。どこでもいい、香穂子と一緒に出かけられるだけでそれだけで満足なのだ。
(でも、出来れば早く外へ出たいなぁ)
 そう思って窓の外に広がる青空を仰ぎたかったが、残念なことに展示ホール内は窓の一つもないので、火原の横でゆっくりと絵画に目をやっている香穂子の頭頂部を見下ろす。
 たぶん、ここへ入ってから、火原は目の前の絵画よりも横の香穂子へ視線を向けていることのほうが多い。
 その香穂子が、一つの絵画にじっと視線を注いで、歩みを止めた。この展示の目玉とは言えない、小さな額に入れられた絵。実際、他の観覧者はすっとこの絵の前を通り過ぎてしまう。
 その時間が長かったので、火原はそろそろと香穂子に顔を寄せて小声で尋ねる。
「どうかしたの?」
 声を潜めなきゃと考えすぎて、ほとんど吐息を吐いただけにものになってしまったが、香穂子には届いたようだ。香穂子は微笑んで、火原のほうを見る。
 ギョッとした。ものすごく、香穂子の顔が近くにあったからだ。こんな間近で見ることなんて滅多に無くて、戸惑う。だが、香穂子はそれに頓着していないのか、そのまま声を落として火原に応えるから、顔を話すわけにいかない。だが、香穂子の顔の近さにばかり意識が向いて、あまりうまく香穂子の言葉を捉えられない。
 ただ一つ、そこに「火原」という言葉だけが耳に届いて、そこから香穂子の声がすんなりと入ってくる。入ってきたけれども、そこから聞いただけでは何のことやらわからなくて、結局「え?」と聞き返すことになった。
「この絵、火原先輩っぽいなぁって」
 香穂子は呆れた顔もせず、もう一度言ってくれた。ただし、その顔には少し赤みが差していたが。
 繰り返し言われた言葉に火原は、香穂子が熱心な視線を注いでいる絵画をまともに目を向けて見る。
 オレンジで背面を塗りつぶして、そこに赤や黄色や緑でカラフルに彩られたいろいろな大きさの水玉がたくさん重なり合っている。
 ポップで可愛いとは思うが、それ以上のこともそれ以下のことも感じられない。
 だが、これを香穂子は火原っぽいという。
(おれ、水玉? これ、人でもなんでもないけど………)
 見れば見るほど困惑するばかりだ。
「行きましょうか」
 今度は香穂子から火原に顔を寄せて、声を掛けてくる。
「あ、うん………」
 困惑したまま、火原は香穂子の後を付いていく。そこからの展示については、それまで以上に何の印象も残らなかった。


「あのさ、おれっぽいってどういうこと?」
 展示ホールを出るや否や、待ちきれずに火原は香穂子に問いかけた。
 香穂子は火原を振り仰ぐと、目を丸くして驚いた表情を見せてから、ふわっと微笑んだ。照れを含んだその笑みが、火原の心を鷲掴みする。
「火原先輩がみんなに元気をくれるのは、火原先輩が明るくて元気なところを見せてくれるからなんですよ。オレンジって元気な色だし、カラフルな水玉は火原先輩から飛び出してくる明るくて元気なものだなって思ったんです」
 べた褒めである。そんなに言われると火原のほうが照れる。
 だが、あの絵をもう一度見たくなった。あれは、つまり香穂子の目に見える火原のイメージということだ。火原のことを香穂子がどう観ているか、ということ。
 そうして、初めて、展示物に興味が沸いた。
「でも、これって勝手な解釈なんですよね。描いた人はそんなことを表現したかったわけじゃないと思うし。実際、絵の下にあった説明文にはそんなことは描いていなかったし。でも、それでもわたしには火原先輩のイメージにしか見えないんだけど」
 火原は香穂子に何も言えなかった。
 絵を見て感じること、それは音楽を聴いて感じることと変わりがないんだと、気づいたのだ。絵画といった芸術品は自分と隔たっているものだと思っていたのに、そうではないのだと、そう気づいた。
「香穂ちゃん、ありがとう」
 唐突に礼を言われて、香穂子が面食らっている。だから、言葉を継いだ。
「おれ、本当は美術館とかそういうの全然興味なくて、今日もたまたまチケットを貰って、それで香穂ちゃんと一緒に出かけられたらいいなぁって、それくらいしか考えてなかったんだ。もっと正直に言うと、美術館って苦手だったから、まともに展示物とか観たことなくて、今日も本当はあんまり熱心には観てなかったんだ。けど、香穂ちゃんの今の話で、初めて絵を見るのに興味が沸いたんだ」
 香穂子はやっぱり面食らったままだった。そんなことで礼を言われるなんて思ってもいなかったのだろう。
 だが、香穂子が面食らっていた理由は少し違っていた。
「先輩、わたしも正直に言わなくちゃならないことがあります」
 真剣な表情なので、火原は戸惑う。とんでもないことを香穂子から言われそうな気がしたのだ。もしかしたら、真面目に美術展を観ていなかったことを咎められるのかもしれない。
 落ち着かない気持ちで言葉の続きを待つ。
「実はわたしも今日まであんまり美術展に興味はありませんでした」
 そう言って、香穂子はいたずらを見つかった子供のように笑った。
「先輩が誘ってくれたから行こうって思ったけど、そうじゃなかったらなかなか自分からは行こうって思わなかったんです。でも、今日あの絵を見てこういう見方って面白いなって思って、そうしたら、楽しめたから。火原先輩とじゃなかったら、こんなに楽しめなかったと思います。だから、わたしからもありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げられて、慌てるがそのうちおかしくなってきて笑い出す。
「香穂ちゃんもおれも同じだったんだね!」
「そうですね」
 香穂子も笑う。
「あのさ、また一緒に行こうね」
「はい」
「そしたら、今度はおれが香穂ちゃんみたいな絵を見つけるから」
 そう言ったら、香穂子は更に笑った。

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美術館に対するこの二人の認識は、まんま私の認識です。絵画を始めとする美術品にはあんまり興味を抱けないので、このテーマをどうするかを長いこと懸念していました。結局、私の認識をそのまんま文字にしただけでしたけれども。あと、うまく書けなかったんですが、今後火原にとって美術館というのが必然的に香穂子に接近出来るイイ場所として認識されるのもアリです。
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