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071.保健室

「うわっ!」
「土浦!」
「土浦くん!」
 三つの声が重なり、その後にはざざーっという砂が何か重いものに擦られる音が続いた。バスケットボールがバウンドの音をたてながら少しずつ離れていく。
「………ってぇ………」
 咄嗟に体の後ろに手を付いて倒れこむのを防いだ土浦は、地面に座ったままの状態で手のひらの砂を払う。そのとき、小さく声を漏らした。
「土浦! ごめん!!」
「大丈夫?」
 土浦とぶつかるも何とかバランスを取って転がらずに済んだ火原と、二人のことを傍観していた香穂子が急いで、土浦に駆け寄る。
「少し手を擦りむいただけだから、大丈夫だよ」
 心配を顕わにした顔を二つ並べられた土浦は苦笑する。すくっと立ち上がると、二人に手のひらを晒した。
「手のひら! ヤバいじゃん!!」
「ピアノ弾けないよ!」
 今度はその二人の表情が痛いものを見る時のものになる。見るのは嫌だけど、見なくちゃならないというような変な緊張感を持っている。
「弾けますよ、これくらいの傷」
「でも、血が出てる」
 香穂子が指摘したとおり、土浦の手のひらは他より盛り上がっている部分にうっすらと出血が見られた。その血に張り付いた砂が、少し変色しているのも痛々しい。しかも両手だ。
「保健室、行こう!」
「そんな大袈裟な。手を洗っておけばいいですよ」
 火原の提案を土浦は軽く一蹴する。
「けどさ」
「大事な手なんだからちゃんと手当てしなきゃ」
 更に言い募る火原を香穂子が援護する。二人に言われては、土浦もそこまで我を張ることも出来なかったのか、保健室へ行くことを了承した。
 ただ、一人だけ保健室へ行かせては途中で止めてしまう可能性もある。そこまで考えて、香穂子は同行することを表明。そして火原も一人でぽつんと待っているのはつまらなかったので、ついていくことにした。
 そもそも、土浦が傷を作った原因は火原にある。
 昼休み。
 火原と土浦は一対一でバスケットをしていたわけだが、ゴール前で土浦がゴールしようとするのを阻止するために飛び上がった火原がまずバランスを崩して、土浦のほうに倒れこんだ。それを真っ向からくらった土浦自身はどうにもこうにも抵抗できず、せいぜい出来たことといえば、ボールを放り出して被害を最小限にとどめることくらいだった。
 いつもよりちょっと張り切っていた。
 土浦の広い背中と、それに寄り添うようにして歩く香穂子を見ながら火原は反省する。
 いいところを見せたかったから。
 なのに、結果はこれだ。
「火原先輩?」
 香穂子が背後の火原を振り返る。火原の歩く速度が落ちていたからだ。
「えっ? 何?」
「そんなに、気にしなくていいですから」
 土浦が笑う。
「あ、うん、いや、ええっと………」
 結局何も言葉には出来ずに、火原はただ頭をかく。
 保健室に保険医は不在だった。ベッドで他に寝ている人がいるわけでもなく、全く人気がなかった。
 火原は一番最後に保健室へと入りながら、きょろきょろと見渡す。火原にとって保健室はものめずらしい。星奏学院に入ってから、保健室を利用したことなど覚えがない。ただ、火原がイメージする保健室とそれはほぼ一致している。
 独特の薬品臭。この部屋で一番場所を占めているのは、白いカーテンに遮られた白いベッド。部屋の隅には保険医が利用する机と回転椅子。その傍にも背もたれのない丸い回転椅子は患者用。壁に沿って薬品棚があり、入り口の左右の壁にはポスター。入り口から入ってすぐ右手にはささやかな応接セットもある。
「じゃあ、そこ座ってて」
 香穂子の声に我に返る。実際座るように言われたのは土浦だが。
「先に水で洗う」
 備え付けの手洗いで砂と血を洗い落としてから土浦は香穂子に言われたとおり、椅子に腰掛けた。火原はその傍まで近寄って突っ立っている。何かしたほうが良いのだろうが、香穂子が動いているし、下手に手出しをしないほうが良さそうだ。手持ち無沙汰なので、土浦に話しかける。
「土浦、ごめんな」
「いえ。俺もちょっと無茶してましたから。それに、そんなに気にするような怪我じゃないですよ、これ。………あいつ、なんか変に気合入ってるから」
 最後は香穂子を見ながら小声で言う。
「日野ちゃんだって心配してるんだよ。まだコンクール真っ最中だしさ。ほんっと、ごめんな。おれのほうが先輩なんだからしっかりしなきゃならないのに、後輩に怪我させるなんてさ」
「そんなに何度も謝らないでくださいよ」
 土浦が呆れたように笑った。
「変に気合もはいるわよ。楽器を弾くのに手がどれだけ大事か、私にだってわかるんだから」
 どうやら小声の部分もしっかり聞こえていたらしい。脱脂綿の入った瓶とオキシドールの瓶を両手に掴んで振り返る。
「さっ、消毒するわよ!」
 嬉々としているように見えるのは気のせいだろうか。
「手加減しろよ」
 土浦も火原と同じ事を思ったのか、香穂子を牽制している。
「何を手加減するの」
 香穂子はオキシドールを含ませた脱脂綿を傷口に押し当てる。土浦が僅かに眉を動かした。見ている火原には脱脂綿を押し当てられた傷口がじゅわじゅわという音をたてているような気がした。痛そうだ。なんだか、自分の手のひらがもぞもぞする。無意識に手のひらを擦り合わせていた。
「さて、次はガーゼね」
 二人の様子に気付かない香穂子は自分のやることに精一杯だ。
 ガーゼを当てて、テープで止める。
「それから」
「待て! もう十分だろ。この上、何をするつもりだ?」
 さすがに土浦が慌てている。
「え? 包帯」
「んな大袈裟な! かすり傷だぞ」
「ダメよ、ちゃんとガードしてなきゃ。何かに当たって出血とかしたらどうするの」
 香穂子の心配もわからないではないが、火原としても今度は土浦に味方をしたい。
 だが、香穂子は強かった。結局、包帯を巻くことになったのだ。多分、土浦も本気では香穂子に抵抗できなかったのだろうが。
 香穂子が土浦の手を取って包帯をその手に巻き始める。
 傍観していた火原だったが、急におかしな気分になった。
 何だろう。
 何もない光景なのに、楽しくないと思ってしまう。確かに楽しい場面ではないが、楽しくないと思う場面でもない。もちろん面白い場面でもないし、悲しい場面でもない。こんなふうに何かしらの感情を抱くのがおかしい。
 ただ、人が包帯を巻いていて、巻かれているだけなのに。
 体の中心がなんだかむずむずする。居心地が悪い。見たくない。
 何でだろう。
 なんだか、気持ちが重い。
 なんか、嫌だ。
「待て待て待て!」
 鋭い制止の声に火原は俯きそうになっていた顔をはっと上げる。同じ声に、香穂子も動きを止めていた。
「やたらこの辺、分厚いんだけどな。巻きすぎだろ」
「うまく巻けないんだもん………」
 香穂子からさっきの勢いがなくなっている。その代わり土浦がいつもの強気を取り戻したようだ。
「不器用だな」
 香穂子が完全に沈黙する。
「いいよ、俺がやる」
 土浦は香穂子の手の中から包帯を取り上げると、器用に片手で巻き始めた。
「へー」
 単純に火原は感心する。
 あれ?
 ついさっきまで感じていた居心地の悪さが消えていた。重く感じていたものもなくなっている。
 なんだったんだろう。
「土浦、器用だね」
「テーピングで慣れてますから」
 平然と答える土浦の前で、香穂子が肩を落としているのはもちろん、ちゃんと最後まで出来なかった自分を悔いてのことだ。香穂子には悪いが、ちょっと可愛い。
「包帯巻くのは難しいよ! おれもうまくないし! 気にしない気にしない」
 軽く言ったら、香穂子は小さく笑った。それで、火原もなんだか嬉しくなる。
「じゃあさ、今度一緒に練習しようよ。包帯巻く練習」
「………そんなもの練習してどうするんですか」
 冷静かつ的確なツッコミが土浦から入る。だが、火原もそれくらいのツッコミじゃめげない。
「次の時に備えるんだよ。次に土浦が怪我したら完璧に包帯を巻いてあげるよ!」
「縁起でもないことを言わないで下さい」
 香穂子がくすくすと声に出して笑う。火原も一緒になって笑い始めた。
 さっき少しだけ感じたおかしな気分が吹き飛んでいくように。なんだかよくわからなかった感情、それも吹き飛ばすように。

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無意識に意識している火原のお話。ちょっとした嫉妬なんだけど、それにすら気付かない初期の状態です。単純に火原が怪我をして………というネタにしようかと思っていましたが、よく考えると反射神経の良いこの人がそう簡単に怪我するはずもないか、と。なら、香穂子が怪我をして………という方向転換をしようにも、話が膨らまず。結局第三者が怪我することになりました。そして選ばれたのが土浦(嬉しくねぇー)。この人なら怪我をしてもおかしくない! と。月森は怪我しそうだけど、そのシチュエーションにちょっと思い至らなかったし、志水は火原が嫉妬しなさそう。


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