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待ち合わせは、駅前の噴水の傍。
寒空の下、香穂子は四十分前からそこに立ち尽くしていた。
何も相手が約束の時間に遅れているからではない。香穂子がうっかりしていただけなのだ。
約束の時間を一時間、間違えていたために。
駅前にいるのだからどこか店に入って時間を潰せばよかったのだが、約束の時間を間違えていたことに気づいたのがついさっきなのである。どこかに入るにはもうあまり時間がなかった。
待ち合わせの相手は、いつだって約束の時間より早く来ている。多分、もうそろそろ現れるだろう。
いつも香穂子が相手を待たせるほうだから、今日はびっくりする顔を見ることができるかもしれないと思うと、少し嬉しくなった。強ばった頬が僅かに緩む。
今日はこの冬一番の冷え込みとなった。午後になっても気温は十度を超すことが出来ない。これで雪でも降ってくれれば少しは気が紛れるのだが、ただ寒いだけである。
コートにマフラー、ブーツ。完全防備で出てきた香穂子だが、顔だけはどうしようもない。肌を刺すような冷たさを堪えながら、たまに噴水の周りを回ってみたり、足踏みをしたりしながら寒さを和らげようとしたが、あまり効き目はなかった。
(あ、完全じゃない。手袋、忘れてきたんだった)
無意識に両の手を擦り合わせていたことに気づく。
目の前を足早に行き過ぎる人たち。香穂子のように待ち合わせで噴水の周りにいる人たちも、すぐに相手がやってきてその場を去っていく。
(傍から見たら、約束をすっぽかされたように見えるのかな)
人の流れから目を離して空を仰ぐとどんよりとした雲が覆っている。
降り出すのが雨じゃないといいけれど。
そんな心配をしたくなるような雲行きだった。もちろん傘は持ってきていない。
「香穂ちゃん」
名を呼ぶ声に香穂子はさっとそちらへ視線を転じる。
待ち人が、約束の時間より十分前に現れた。いつもと変わらない笑顔が近づいてくる。
それだけでほっとしたし、心がふんわり温かくなる。最後の距離は香穂子のほうから駆け寄った。
「今日は香穂ちゃんが早かったんだね」
「はい!」
一時間も前から待っていたことはもちろん言わない。恥ずかしいから。
「それじゃ行こうか!」
いつものように火原が伸ばしてくる手を香穂子もいつものように握る。
だが、冷たくなりすぎた香穂子の手は、火原の手の温かさをまだ感じられない。
「うわ、冷たいよ、香穂ちゃんの手!」
火原がそう叫ぶように言って、香穂子の手を引き寄せた。顔の前まで持って行くので、必要以上に接近することになってしまった。
「もしかして、長いこと待ってたの?」
もう一方の手も火原に取られた。それも同じ位置まで上げられる。自然と向き合う形になった。
「ええっと、そんなことないです」
「早く着いちゃったんなら電話くれれば良かったのに」
香穂子が否定したのに、火原はそう言う。下手な嘘は火原に通じなかったようだ。
「こんなところで待ち合わせにしたのが悪かったんだね。ごめんね」
今日は少し遠出しようと電車に乗るつもりだったから、駅前で待ち合わせにしたのである。火原に謝られることではない。
「気にしないでください。………って、せ、せんぱっ………」
途中から香穂子の声に焦りが混じる。それと同時に頬が真っ赤になる。
香穂子の冷えた指先に火原が自分の息を吹きかけているのである。
火原に握られっぱなしだった香穂子の手は、じんわりとぬくもりを取り戻していたから、火原の暖かい息をすぐに感じることが出来た。
「少しはあったかくなった?」
香穂子の目を見つめて火原が真面目に問う。
「な、な、なりました! もう大丈夫ですっっ!」
これ以上なく香穂子の顔が赤くなる。
通り過ぎていく人が横目に見ていくのに気づいて恥ずかしい。
「本当?」
言いながら火原は香穂子の手を更に上げて自分の両頬に押しつけた。
(ひゃああ~~~~~~~っ)
恥ずかしさは最高潮である。香穂子はもう何も言えなかった。体が急激に熱くなり、それが一気に指先にまで伝染して、指先がズキズキするほどだ。
「うん。ちょっとはあったかくなったかも」
にっこりと火原は笑った。満足そうである。
「あれ? 香穂子ちゃん、顔赤いけど大丈夫? あっ。あんまり寒くって、風邪引いちゃった!? 熱出ちゃった?」
手を握ったままだからか、火原はごちんと香穂子の額に自分のそれをくっつける。
恥ずかしすぎて頭がくらくらする。
「熱は、ないみたい? 大丈夫?」
最早無言で激しく頷くことしか出来なかった。
「もし具合悪くなったらちゃんと言ってね。それじゃ、改めて出発!」
片方の手は離してくれたが、右手は火原にしっかりと握られたまま、香穂子は引っ張られるようにして歩き出した。
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