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十二月。街は既にクリスマスに彩られていた。クリスマスソングが延々と流れ、赤と緑と銀を基調とした華やかな街の中を歩くと、自然と心が浮き立った。
特に、今年は。
火原にとって彼女が出来て初めてのクリスマス。気分が盛り上がらないわけがない。
恋人同士のクリスマス。それまでは他人事でしかなかったそれが、今年は自分のものなのだ。
数ある雑誌が「今年のクリスマスは」と特集を組んでいるのを見るのも楽しい。むしろ積極的にそういう雑誌を探すほどだ。初めてのクリスマスはやはりすごくいいものにしたい。気合も入る。限られた時間の中で最高の日にするには、たくさん考えなくては。
もちろん、クリスマス・イブの日には抜かりなく一緒に過ごす約束をした。恋人同士が会うのはやはりイブの日でなければならない。そういう固定概念が火原にはある。それを実現することが出来て、本当に幸せだ。
プランも考える必要があるが、プレゼントも必要だ。大体はもう決めている。アクセサリーだ。それもリング。ずっと前から決めていた。彼女が出来たら、最初のクリスマスにはリングをプレゼントしようと。
そして、今日はその買い物のために普段は立ち寄らないショッピングモールまで足を運んだのだ。柚木に付き合ってもらって。自分のアクセサリーはよく買う火原でも、女の子のアクセサリーを選ぶのは初めてのことだ。一人で決めたい気持ちもやまやまだが、的確なアドバイスをしてくれる人が一緒にいることは心強い。それに、ジュエリーショップに入るのにも、一人では少々躊躇われたから。
「うわ、すっごいツリーだ!」
エントランスは五階まで吹き抜けとなっていて、そこに三階の高さにまで達するほどの樅ノ木が据えられていた。一番上には星のイルミネーション。そこから下へと伸びている何本もの電飾を受け、バランス良く配置されたカラフルなボールがキラキラとその電飾の光を反射している。樅ノ木の前では記念撮影をしている人もいた。クリスマスツリーを囲んでいる人たちの顔はみんな笑顔に見えた。
その樅ノ木の両脇から伸びているエスカレーターのうち、右側のものを使って二階へと上がる。ゆっくりと動くエスカレーターに乗っている間も火原の視線はクリスマスツリーに向けられていた。
エスカレーターの最後の一段分をぽんっと跳んで、二階に着地する。
「ほら、火原。あそこに見える店に行ってみよう」
後ろから優雅な動作でエスカレーターを下りてきた柚木が先を示す。
「おう」
急に緊張してきた。
何に対して緊張しているのかもわからないが、ともかくその店が近づくにつれて、なんだかドキドキするのだ。一歩踏み出すごとに、全身に軽く痺れが走っているような、そんな感じ。
「どういうものにするのか、大体考えてきたの?」
若干動きが鈍くなった火原に気付いているのかいないのか、柚木はいつもの調子で火原に尋ねる。
「いや、あんまり………。ただ指輪がいいっていうだけで」
「予算はどのくらい?」
「ものすごく高いのは駄目だけど………出来るだけ頑張りたい」
頑張るも何も、財布の中に入っている金額内でしか買うことは出来ないのだが。
「そう」
柚木は穏やかに笑った。
そのジュエリーショップには火原たち以外にも客がいた。高校生くらいのカップルが二人できゃあきゃあ言いながらアクセサリーを選んでいる近くには、大学生くらいの男が店員に話を聞きながらじっとショーケースを睨みつけるように見ている。他にも女性同士で少し冷やかしにきただけの社会人と思しき人たちもいるし、女性一人でぶらぶらとスペースを歩き回っている人もいて、なかなかに賑わっていた。
他の客の接客をしている店員二人が、目敏く火原と柚木を見つけて「いらっしゃいませ」とにこやかに声をかけてきたが、それぞれ今対応している客から離れることはなかった。
「指輪だったね」
柚木は何も気にすることなく、一番近くにあったショーケースを覗き込んだ。火原もその横で柚木に倣う。照明のせいもあるのだろうが、火原の目に映るショーケースの中のものは、目眩を起こしそうなくらいにキラキラしていた。ピアスにネックレス、ブレスレット、そしてリング。
「ああ、同じデザインで作られているんだね。シリーズになっている。これは綺麗だね」
柚木が硝子越しにそのうちの一つを指で示した。宝石に疎い火原だってわかる、ダイヤモンドが使われているそれらは火原の財布の中に入っている金額から一桁多かった。
「これなんか、いいと思うけど」
細い銀色の輪に並んでいる三つの小さなダイヤモンド。左側から少しずつ小さくなっている。繊細な感じがして確かに綺麗だ。
「無理無理無理! こんな高いの買えないよ!」
「そう」
火原の強い否定に気を悪くするどころか、何となくどこか楽しげに柚木はあっさりと引き下がった。
「もうちょっと値段の低いので………」
情けないけど、買えないものはしょうがない。
ショーケースからは目を離さず、火原は横歩きをしながら移動する。
さっきのももちろん綺麗だったけど、繊細なだけじゃ物足りない。もっと可愛い感じがするものがいい。きっと「これだ!」と思えるものがあるはずだから。
そして、それはすぐに目に入った。ピンク色の米粒くらいの大きさしかない細長く小さな宝石。それが五枚の花びらを持つ花が模られている。それを中央に配している細い二連のリング。
「これだ!」
そのまま口に言葉が出た。
リングの周りには同じデザインのペンダントとピアスがある。セットで作られたもののようだが、リング以外には目がいかない。
「うん、それはいいね。ピンクサファイアか。火原は目がいい」
火原の声が届いた柚木が火原の横に寄ってきていた。
「柚木もいいと思う?」
ショーケースに張り付くようにそのリングを見ていた火原が顔を上げて嬉しそうに柚木を見る。でもそれは一瞬でリングへと戻った。
「そちらの商品、かなりお薦めなんですよー。人気もありますね。少し前までは同じデザインで青いサファイアのもあったんですけど。今残っているのはこちらにある限りですね」
いつの間にか火原がはりついているショーケースを挟んだ向こうに店員が一人立っていた。
「青いのよりもこっちのほうが可愛いのにね」
「ええ。でも、お値段がこちらのほうが幾分高くなりますから………」
少し言いにくそうにした店員の言葉に、それまで視界にすら入っていなかった、リングの脇に置かれている値段が記されたプレートが飛び込んでくる。
一度見ただけでは、その値段を火原は受け入れることができなかった。じっと、じーっと見つめてようやくそのプレートに記されているゼロの数を把握する。それまでに何度も頭の中で一の位から一つずつ数えていったのだ。
「そうだね………これくらいのものなら、この値段はするだろうね」
柚木がそう言ったことにちっとも気付かなかった。火原の頭の中では、リングの値段がぐるぐると回っていて、そのせいで目眩を起こしそうになっていたからだ。
「こ、こんなに高いの、買えないよ………」
ショーケースの中を見ていた時よりも更に頭を垂れた。一緒に肩もがっくりと落ち込んでいる。
少し無理をしてでも、しばらくお昼御飯を控えたりすることを頑張れば、なんとかなる金額なら、買っていると思う。だが、そんな努力では到底追いつかない金額であることはいくら数学が苦手な火原でもわかる。
だが。
これ以上のものが見つかるとも思えないのも確かだった。
まだ、一件目の店で、もしかしたらもっとイメージに合うものがあるかもしれない。だけど、これを見つけたときの、隙間にぴたりとパズルが嵌ったような、バッグの中身が綺麗に収まったときのような、それこそ出逢ったことに運命を感じてしまったような、そんな感じは二度と味わえないような気がするのだ。
それに、このリングを渡したときの相手の顔が浮かんでしまっていた。とても嬉しそうに笑ってくれる顔が。リングをしたその手を少し恥ずかしそうに見せてくれるその顔が。
「火原」
ショーケースの前で固まってしまった火原に柚木が静かに触れる。
「どうするの?」
どうするもこうするもなかった。
諦めるしか。
買えないものは、買えないのだ。それがどんなに気に入った物でも。
「他にもいろいろございますから、ご予算に合わせてお探しいたしますよ」
声を発することもなくなった火原を哀れに思ったのか、店員も優しい声をかけてくれる。
「うん………」
火原はそれに生返事をしながらも、リングから目を離すことが出来なかった。
「これ、クリスマスプレゼント」
クリスマス・イブ。待ち合わせの場所の近くにあった喫茶店に入るとすぐ、火原はクリスマスプレゼントを手渡した。喫茶店の中では、カップルがそこここにいた。皆幸せそうな顔をしている。自分たちもその中の一組だと思うと、何だかそれだけで幸せな気分になるが、火原を完全に浮上させるには足りなかった。
「うわぁ………」
火原の目の前で包みを開いた香穂子はぱあっと顔を輝かせた。その笑顔は本当に嬉しくて幸せな気持ちを表していて、火原も好きな顔だ。その笑顔に吊られて火原も口元に笑みを浮かべるが、いつものように心から笑えない。
「すごく可愛い! 嬉しい! ありがとうございます!」
プレゼントの中身から顔を上げて、香穂子が礼を言う。
「付けてみてもいいですか?」
「うん、いいよ」
壊れ物を扱うかのように、そうっとケースから取り出したリングを右手の薬指にはめた香穂子はくすぐったそうに笑って、その手の甲を火原に向けた。リングが嵌った香穂子の細い指を火原は気まずい思いで観ていた。
それは香穂子に合っていた。五花弁の花の中央に深紅のガーネットがはめ込まれているシンプルなシルバーリング。花びらの形も丸くてかわいらしい。悪くない。
「似合います?」
手のむこうがわから少し顔を覗かせて、香穂子が嬉しげに問うてくる。
「うん、似合うよ」
だけど。
だけどね、香穂子ちゃん。
「先輩? どうしたんですか? 今日は調子が悪いみたい………」
香穂子の顔がさっと曇る。今まで火原に見せていた手がすっと伸びて火原の腕に軽く触れる。
「ううん、そんなことないよ」
体はすこぶる健康だ。こんな大事な日に体調を崩してなどいられない。
「でも、元気ないから………今日は特別寒かったですし。もしかしたら先輩が気付いていないだけで、風邪を引きかけているのかも知れないし。今日は早めに帰りましょうか」
「えっ!?」
せっかくのクリスマス・イブで大好きな女の子と一緒に過ごす事が出来ているのに、途中で切り上げるなんてこと出来るわけない。
「何でもないよ! ホントに!」
顔の前でぶんぶんと手を振る。香穂子は上目遣いで火原をじいっと見つめている。その視線に負けないようにと火原は頑張ったが、結局のところ、根負けした。香穂子に隠し事なんて出来ないのだ。
「ホントはね」
火原は肩を落として、気落ちしている理由を説明し始める。
「それも、可愛くて香穂子ちゃんに似合うって思ったんだけど、それよりもっと可愛くて、それを見つけたときに、これだ、これしかないって思ったのがあったんだ。これだったら香穂子ちゃんに喜んで貰えるって。だけどさ、それすっごく高くて、情けないけどおれ、諦めるしかなくて。情けなくて悔しくて。大好きな子に一番のものをプレゼントしたいのに、それが出来なくて」
口にすると更に自分の情けなさがクローズアップされてしまったようで、更に火原の肩が落ちる。
「先輩………」
リングをはめた香穂子の手がまた火原の腕に触れる。
「先輩が一生懸命選んでくれたこと、その気持ちが一番嬉しいから、そんな顔しないでください」
「だけど」
一番だったものを知っているから、だから余計に未練が残るのだ。
反論しようとした火原を、香穂子は腕に触れている手に力を込めることで遮る。
「私のことを考えてくれてるのが、本当に嬉しいんです。それでこうして一緒に過ごせてることが一番の幸せなんですよ。でも、先輩が悲しそうな顔をしていたら、それだけで幸せが半減しちゃう。だから、笑ってください。いつものように、いつも私を嬉しい気持ちにしてくれる先輩の笑顔を見せてください。それで充分ですから」
「………………うん」
そしてようやく火原は笑うことに成功した。香穂子が嬉しい言葉を言ってくれたから。それは火原と同じ気持ちで、香穂子と同じ気持ちを共有できていることが、とても嬉しくて。
香穂子が笑ってくれるのなら、それでいい。
だけど、もっと笑わせたくなる。もっともっと笑顔が幸せな顔が見たい。欲張りだけど、これはどうしようもなく止められない気持ちだ。
だから、来年は。
「うん、おれ頑張るから!」
急に元気になった火原が、自分の腕に乗せられていた香穂子の手をぎゅっと掴んで力強く宣言したので、香穂子はきょとんとその顔を見つめ返してきたが、やがてにっこりと笑って頷いた。
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