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「ありがとー!」
身を翻して走り去っていく女の子の背中に、火原は立ちあがってもう一度大きな声でお礼を言った。
「うわー。なんだか、今年はいっぱいもらっちゃったなー。へへっ」
心底嬉しそうな笑顔をして、火原は今貰ったばかりの小箱を鞄の中へとしまいこんだ。
その鞄も既に色とりどりの箱がぎっしりと入っている。鞄を閉じるのに少し手間取った。
最近、寒くなってきたので、帰りの待ち合わせ場所を普通科のエントランスへと変えた。今日は火原の方が早く待ち合わせの場所へ着いてしまい、購買部脇のベンチに座って、香穂子が降りてくるのを待っていた。
「香穂子ちゃんまだかなー」
すとん、とベンチに座りなおす。
「火原先輩!」
そこへ香穂子ではない、別の女の子の声がかかる。
「何?」
ぱたぱたと駆け寄ってきたのは、普通科の制服を着た女の子だ。自分の記憶と照らし合わせて見たが、顔に覚えはない。
「あの、これっ!」
火原の前に立つや否や、彼女は紺色のリボンとベージュの包装紙でラッピングされた小箱を両手で突き出してきた。そして頭を下げる。
「受け取ってください!」
「えっ? いいの!? ありがと!」
あっさりと、実に迷うこともなく、火原はすんなりとそれを受け取った。受け取られたほうは、そんなに簡単に受け取ってもらえると思ってもいなかったのか、びっくりした顔を上げた。だが、すぐに顔を真っ赤にすると、「そ、それじゃあっ」と叫ぶように言葉を残して、ぱたぱたと走り去っていってしまう。
顔を上げたら、満面の笑顔が迎えていたのでは無理もない。
「ありがとー!」
やっぱり背中にお礼を叫ぶことになった火原は、エントランスの階段下でこちらを向いて立っている香穂子に気付いた。
「あっ、香穂子ちゃん!」
ベンチに置いていた鞄を掴んで駆け寄る。
香穂子の視線が火原の右手に吸い寄せられる。その手には今しがた貰ったばかりの小箱が握られている。
視線の行方に気付いて、火原は照れ笑いをした。
「えへへ。貰っちゃった」
「そうですか」
にこっと香穂子が笑顔を見せた。
「なんだかね、今年はいっぱい貰っちゃった。朝、机の中にも三つくらい入ってたし」
二人並ぶと出口へ向かって歩き出す。
歩きながら、火原は鞄を開けてその箱を押し込む。香穂子は横目でそれを見ていた。
「柚木は毎年女の子たちからいっぱい貰ってたけど。やっぱり貰うと嬉しいよね!」
浮かぶ笑みを抑えられない。嬉しさをめいっぱい表現したくて、ぺらぺらと火原は喋る。
だから、火原は気付かなかった。学校の近くの交差点で「今日はここまででいいです」と言うまで、香穂子がずっと無口でいたことに。
「え? なんで?」
ようやくそこで火原の顔から笑みが消える。
いつもなら何も言わず家まで送り届けている。しかも冬場のこと。日が沈むのは早いし、六時半近くにもなろうという時間帯だ。既に道を歩くには街灯の明かりが必要なほど、暗くなっている。
「ちゃんと家まで送るよ」
「いいです。大丈夫ですから」
香穂子の口調がやけに強く、きつい気がしたのは火原の気のせいではないようだ。
「香穂子ちゃん?」
「それじゃ」
軽く一礼して香穂子は火原に背を向ける。
「あれ? なんで?」
しばらく呆然としていた火原だったが、このままではいけないと直感的に思い、急いで香穂子の後を追う。
香穂子はいつもよりやや早いペースで歩いていたが、全力疾走する火原にとって、追いつくことは難しいことではない。
「香穂子ちゃん!」
名前を呼んでも振りかえらないので、その手を引っ張った。
それで香穂子は立ち止まったが、振り返りはしない。火原の方が前に回りこむ。
「どうしたの? 香穂子ちゃん、怒ってる? おれ、何かした?」
香穂子の目が据わっている。その目で見つめられれば、さすがに何か思うところがあるのだろうという判断がつくが、しかし、何を思っているのかがわからない。
「…………先輩は別に何もしていないですよ」
「でも、怒ってるよね」
「大したことじゃないですから」
「そんなに怒ってるのに、大したことじゃないって言われても………。おれ、ほんとにわかんないんだ。香穂子ちゃんのこと怒らせたくないのに」
香穂子はふぅっと息を吐いた。白い息がふわふわと宙に浮かんで消えていく。
「先輩のせいじゃないですけど…………でも、先輩のせいかな」
「ますますわかんないよ」
「…………先輩」
じっと強い視線で見つめられて、僅かに火原はたじろぐ。
「な、何?」
「チョコ、いっぱい貰えて嬉しかったですよね?」
「そりゃあ、もう」
また笑顔になったら、ようやく香穂子の顔にも笑みが浮かんだ。だが、それはどちらかと言えば困ったような笑顔。
笑顔の意味がわからずに、きょとんと見つめ返す。
「先輩がこんな人だってわかってたのに………」
「へ?」
「わたしがワガママなだけなんです」
「香穂子ちゃんはワガママじゃないよ!」
突然の告白を火原は即座に否定した。その速さに香穂子がくすくすと笑い出す。今度は困った笑顔じゃなくて、火原はちょっとだけ安心した。
「先輩」
「何?」
「わたし、先輩がいっぱいチョコを貰ってるのが、嫌だったんです」
「え?」
「だって、そのチョコレートには渡した女の子の気持ちが詰まってて、それを受け取っちゃうっていうのは、なんだか悔しい気分になって。…………わたし、わたしだけが、先輩の特別な存在でいたいから………」
「そんなこと言われなくても、香穂子ちゃんはおれにとって特別だよ!」
やや頬を染めて、香穂子はふわっと微笑んだ。
「わかった! じゃあ、これは貰った子たちに返すから! うん!」
「それはダメです!」
すごくいい提案だと思ったのに、あっさりと却下された。香穂子が他の女の子からチョコを貰っているのは嫌だと言ったのに。
「貰っちゃうのが嫌だって思うのは私の勝手だし、それに好きな人にチョコをあげる気持ち、そのために勇気を出す気持ち、そういうのもわかってるんです。だから、一度貰ったものを返すなんて、すごくすごく失礼なことですよ」
「けど、それじゃあ、香穂子ちゃんが………」
「わたしのことはいいんです。わたしのワガママだし。でも」
香穂子はそこで言葉を切ると、自分の鞄の中から一つ箱を取り出す。
焦げ茶色のリボンにベージュの包み紙。リボンの結び目には小さな造花が一輪差してある。
目の前に差し出されたそれを、火原はゆっくりと受け取る。
「わたしのチョコ、一番に食べて貰えますか?」
「もちろん!」
香穂子からのチョコレート。今日貰ったものの中で、一番嬉しくて自然と笑みがこぼれる。
「…………あ、でも、なんかそれももったいないかも」
結論から言えば、香穂子のチョコレートを最初に食べていて良かった。美味しく食べることが出来たから。
火原は甘いものが苦手ではないが、さすがに貰った全てのチョコレートを食べ終えたときには、しばらくチョコレートはいらないと思った。
「う~。口の中がまだ甘い気がする………」
バレンタインデーから四日。あれだけのチョコを三日間で食べ終えたというのなら、辟易するのも無理はない。
「辛いものが食べたい。すっごく辛いものでも今は食べられそうだよ」
今日も仲良く帰宅途中。繋いだお互いの手が暖かい。
「先輩、辛いの苦手でしょう?」
「そうだけど。でも今なら大丈夫かもしれない」
どうやら本気で考えているようだ。だが、実際にすごく辛いものを食べたところで、すぐにリタイアするのは目に見えている。
「じゃあ、甘いの半分こしましょうか」
「え?」
香穂子が繋いだ火原の手を引っ張り、火原の体は香穂子の方へやや傾ぐ。
素早く香穂子の唇が火原のそれに触れた。近づいてきたのも早ければ、離れていったのも早かった。
瞬きも出来ないうちに、香穂子は離れた。
「えっと」
火原の前で、香穂子が照れている。香穂子の照れた顔はものすごく可愛い。照れてはにかんでいると、尚更可愛い。今、まさにその表情になっていた。
香穂子からキスをしてきたのはこれが初めてだということに、火原は思い当たった。
それが嬉しくて、でもすぐに離れてしまったことがとても惜しくて。
だから、慌ててこう言った。
「まだすごく甘いから、も一回しよう!」
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