忍者ブログ
  ▼HOMEへ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

094.バレンタインディ

 アルバイトを終えて、店を出ると首筋を冷たい風が吹き抜け、王崎は思わず首を竦めた。
「すっかり遅くなっちゃったなぁ………」
 今日は、もともとは六時で上がりのはずだったのだが、その後に入る人がどうしても用事があって遅くなる、ということで急遽九時まで入ることになってしまったのだった。九時に上がれたのもただの結果で、もしかしたらもう少し早く上がれたかもしれないし、もっと遅かったかもしれない。つまり、その用事はいつ終わるかはっきりしないものだったのである。
 そのためにしょうがなく、香穂子との約束を断った。いつ終わるか知れないのに、そのまま約束しておくわけにもいかなかったから。
 電話口の香穂子は「しょうがないですよね。日を改めましょう」と朗らかに言った。
 香穂子は物わかりがいい。忙しい王崎のことを気遣ってくれて、こんなふうに土壇場でキャンセルをすることになっても、文句一つ言わない。
 それは有り難いことで、ついつい王崎自身、甘えてしまっている部分がある。
 だが…………。
 口から白く立ち上る白い息。
 すぐ夜の暗闇に溶け込んでしまうそれを目で追いながら歩いていた王崎は、店から一番近い横断歩道脇にあるガードレールに軽く腰掛けていた姿を見て、急いで駆け寄った。
「香穂子ちゃん!」
 王崎の声に、自分の息で指先を温めていた香穂子が顔を上げた。
 ぱっとその顔に笑みが広がる。
「どうしたの!?」
「ええっと……………どうしても、今日、会いたくて………。迷惑だって思ったんですけど………」
「迷惑じゃないけど………」
 むしろ、会えて嬉しいと思っているくらいだ。
「どのくらいここで待ってたの?」
「そんなに長くないですよ」
「いつからいたの?」
 はっきり言わない香穂子に強く訊いた。
 観念した香穂子は「七時くらいです」と小さな声で返した。
「二時間も………!」
 そのまま王崎はしばらく絶句した。
 この寒空の下、いつバイトが終わるかはっきりしない王崎を待っていたというのだ。
 何故なのかを問いただそうとして、どうしても今日会いたかったのだと言った香穂子の言葉を思い出す。代わりに王崎は「ちょっと暖まって行こうか」と近くのカフェへ香穂子を誘った。
「暖かいところに入るとほっとするね」
 上着を脱ぎながら、カウンターの席へ並んで座る。店が混んでいて、ここしか空いていなかったのだ。
 王崎がモカを、香穂子がカフェラテを注文する。
「それで、今日どうしても会いたかった理由って何かな」
「あ、はい」
 今の今までしっかりと膝に載せ手で握っていたバッグの中から、香穂子はワインレッドの包みを取り出す。包みの表面の右上には銀色のリボンで作られた飾りが付けられていた。
「これを、渡したくて………」
 そう言いながら香穂子は王崎にその包みを差し出した。
「え?」
「今日は、バレンタインなんですよ」
「あっ」
 言われるまで忘れていた。
「ごめん!」
 咄嗟に謝る。
 女の子にとって大事なイベントなのだということくらいはわかっている。男にとっても気になるイベントの一つであるが、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
「そんな、謝る事じゃないですよ」
 香穂子が顔の前で手を振る。
「明日でもいいかなって思ったんだけど、やっぱりこういうのって雰囲気も大事だし、と思って」
「本当にごめん」
 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、香穂子の手から包みを受け取る。
「ありがとう。大事に食べるよ」
「どういたしまして」
 香穂子が微笑むので、王崎も笑顔を返した。
 それぞれの注文の品が前に並べられて、カップを手に取る。
「あったかい………」
 小さく香穂子が呟いたのを王崎は聞き逃さなかった。
「電話してくれれば良かったのに。近くまで来てるって」
「でも、お仕事の邪魔になるでしょう?」
「教えてくれたら、それなりに対応出来るよ。休憩室で待ってて貰うことも出来るし、少しなら抜け出せたし」
「いいんです。待ってるのもちょっと楽しかったし」
「そんなこと言って………」
 王崎は、カップを降ろした後もそのまま抱え込んでいる香穂子の右手を取る。
「指先、すごく冷え切っちゃってる」
「だ、大丈夫ですよ!」
 不意打ちの動作に香穂子の頬が赤くなる。
「あのさ、香穂子ちゃん」
「ははははい!?」
 背筋を伸ばして返事をする香穂子がちょっと面白い。
「香穂子ちゃんはもっと我が儘になった方がいいと思う」
「え?」
「俺が忙しいのを気にして、言えないこともいっぱいあるんだと思う。俺自身、それに甘えちゃってるところもあるけど。もっと、自分のしたいように、言いたいこと俺にぶつけてくれてもいいんだよ」
「でも…………」
「ほら、そういうところ」
 ふっと笑みをこぼす。
「遠慮しなくていいから。俺はもっと君に甘えて欲しい。僕は君にとって頼りがいのある男じゃないのかな」
「そんなことないですよ!」
 香穂子は強く否定した。
「わたし、先輩に嫌われたくないから、自分で出来ることは自分でしようって思うし、負担になりたくないんです。ただそれだけで、頼りがいがないなんて思ってないです。充分頼れる先輩だから、わたし甘えたくないんです」
 王崎をまっすぐ捉える香穂子の視線。
「それもちょっと寂しいかな」
「寂しい?」
「そう。少しだけね」
 首を傾げる香穂子に苦笑する。
「気にしなくていいよ。俺のエゴだから」
 王崎はコーヒーに口をつけた。
 寂しいなんて、贅沢な悩みだ。こんな自分から離れずにいてくれる香穂子、それだけで充分なはずなのに。
 これ以上遅くなっては、香穂子のために良くないので、香穂子がカフェラテを飲み干すと店を出た。
「先輩。お言葉に甘えて、ちょっと我が儘言ってもいいですか?」
「うん。なんなりと」
「手、繋ぎたいです」
「えっ」
 予想もしていなかった要求にたじろいでいるうちに、香穂子の方から触れてきた。
「先輩の手、あったかいです」
「そ、そう?」
 香穂子が心底幸せそうに微笑んでいるのを見て、王崎もつられた。
「それは良かった」
 王崎の手の中に香穂子の冷たく細い手がある。
 これは、我が儘のうちにもならない。
 何故なら、王崎も嬉しいから。
「…………………というか、もしかしてどんな我が儘も嬉しいのかもしれないなぁ………」

拍手[4回]





最後は王崎です。金やんを書いたのに、この人だけ書かないわけにいかないよなぁってことで。なんとかネタ出来て良かった………。ヌルイけど。王崎先輩も初書きですね。しかも、あんまりやり込んでいないので(すみませぬ~)、この人の香穂子の呼び方を忘れています! 「香穂子ちゃん」で良かったかなぁ………。イメージ的には「香穂ちゃん」じゃなくて「香穂子ちゃん」なんだけど。………いいか。火原っちの最終段階の呼び方は「香穂ちゃん」だとわかってるけど、私の好みで「香穂子ちゃん」って呼ばせてるしな。王崎先輩は、最高のお人好しなので、付き合ったらいろいろ苦労しそうだなぁと思います。絶対用事が出来たからって、ドタキャンありそうだし。浮気の心配はなさそうですが、香穂子は仕事やボランティアに嫉妬しそうです。

PR

Copyright © very berry jam : All rights reserved

「very berry jam」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]