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ぬくもり、残して

「失礼しまーす」
 音楽準備室のドアを慣れた手で開ける。
 だが、香穂子を迎えたのは静寂だけだった。
「あれ?」
 誰の姿もなかった。いつもなら金澤がいるのに。
「失礼しますよー」
 遠慮がちに言って、室内に入った。
 窓とドア以外の壁は、音楽関係の図書で埋まっている。人によっては圧迫感を感じるだろうが、香穂子にとっては居心地がいい場所だ。
 部屋の中央にはテーブルが一つと椅子が六脚。教師と生徒が話をするときには、大概にしてこのテーブルを挟んでいる。
 窓に面して、教員用の机が一つ据えられている。ここは金澤一人の場所ではないのだが、雑多に積み上げられている本や資料の殆どは金澤のものである。職員室に居着かない代わりに、ここへ入り浸っている結果だ。
 机の前にある椅子の背には金澤愛用の白衣が掛けられていた。
「出かけてるんだ」
 テーブルを迂回して、香穂子は教員用の机の前に立つ。
 白衣を手に取った。
 置かれて暫く経つのだろう。白衣にぬくもりはなかった。
 ちょっとした、悪戯心のようなものだった。出来心と言ってもいい。
 香穂子は白衣に袖を通していた。
 金澤の身体にちょうど良い白衣は、もちろん香穂子にはぶかぶかだ。肩の線は腕の半ばまで落ちているから、指先から袖が余って垂れている。ふくらはぎも白衣の裾に隠れてしまう。
「大きいなぁ」
 上半身をひねって自分の後ろを見てみたが、自分の足下も見えなかった。
 なんだか可笑しくなってきて、一人くすくすと笑う。
 音楽準備室のドアが開いたのはそんな時だった。
「何してるんだ、お前さん」
 呆れ声の主は金澤その人だった。
「あ」
 変なところを見られた。恥ずかしくて、顔を赤くする。
 後ろ手にドアを閉めながら、金澤は香穂子のほうへ歩み寄ってくる。
「あ、えっと」
 慌てて白衣を脱ぐ。
「暖めておきました!」
 そう言って、脱いだばかりの白衣を金澤に押しつけた。
「は?」
「それじゃあ、失礼しました!!」
 金澤の顔をまともに見ることも出来ずに、香穂子は金澤の横をすり抜けてそそくさと音楽準備室を後にした。


「何だったんだ………」
 残された金澤はぽかんと香穂子が閉めていったドアを見つめる。
 時折、香穂子は理解不能な行動を取る。全てを理解し得るとは思ってはいないが、理解不能な香穂子の講堂は金澤を悩ませる。
 今だってそうだ。
 押しつけられた白衣に視線を落とす。
「暖めておいたって………なんだそりゃ」
 そう聞いたからというわけではないだろうが、確かにその白衣はぬくもりを残していた。
 香穂子のぬくもりだ。
「これをどうしろと………」
 ため息が零れるのを禁じ得なかった。
 なぜなら。
 このぬくもりが残る白衣を気にせずに着られるほど、香穂子のことを意識していないわけではないからだ―――。

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SSSです。なんとなく思いついてしまったので。本当にぬくもりだけ残して、金やんが来たときには香穂子の姿がないっていうのも詩的でいいかな~と今になって思ったり。でも、困る金やんもイイのでこのままで。
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