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情熱

「香穂ちゃーん!」
 明るく大きな火原の声が窓の外から聞こえて、金澤は手にしていた資料から顔を上げた。
 資料を机の上に置くと、肩を揉み解しながら窓へ近寄る。
 窓枠に寄りかかりながら、下に目を向けるとレンガが敷き詰められた正門前の道を走っていく火原の背中を見つけた。
 そして、その先には火原を待つ香穂子。
 香穂子の横に並ぶと火原は走るのを止めて、歩調を合わせて歩き始める。火原が香穂子に話しかけたとき、その横顔が見えた。
「嬉しそうな顔してんなぁ………」
 いい顔だ。
 本当に火原はわかりやすい。金澤からすれば月森も土浦もわかりやすいが、火原は誰が見ても、今何をどう感じているのかすぐにわかる。今は、香穂子と一緒にいられることが一番嬉しいと、その表情が言っていた。
 火原と香穂子の姿はしばらくすると、金澤の視界から消えた。
 それを待っていたかのように、金澤はズボンのポケットから煙草とライターを取り出す。一度だけ室内に目を向けて誰もいないことを確認すると、遠慮なく煙草に火をつける。
 一口吸ってから、ふぅーっと天井に向けて吐き出した。紫煙は空気の流れに合わせて揺らぎながら消えていった。
 火原は心底、香穂子を好きだ。香穂子が好き、それだけで充分なのだ。それだけで一喜一憂できる。
 香穂子のために頑張ろうと思う。香穂子が喜ぶことをしたい。香穂子が悲しんでいたら慰めて、その涙を拭う。世界の中心に香穂子がいる。
 それは、甘くて幸せな時間。
「青春ってやつだねぇ………」
 ふはーっと吐き出した煙に、ため息が混じる。
「かっなやーん!」
 前触れもなくドアが開いて、天羽が飛び込んできた。煙草を咥えようとしたまま金澤は一瞬だけ動きを止めたが、驚いたことを気取られないうちに咥えかけた煙草を携帯灰皿で揉み消す。
「学内煙草厳禁~」
 遠慮無く天羽は部屋を横切って金澤のところまでやってくる。
「ここはいいんだ。それより何の用だ? コンクールに関する質問ならお断りだぞ。そういうのは参加者に訊け」
 天羽が何か言うより先に牽制する。
「金やんにしか聞けないこともあるんだって」
 ささっとメモが出てくる。金澤の言い分を聞く気はさらさらないらしい。
 全く面倒くさい。
 そもそも、コンクール担当に選ばれたことからして間違っている。過去に出場したことがあるというだけだ。しかも楽器ではなく声楽で。他にも適任者はいるだろうに。
 天羽を避けて、金澤は机に戻る。読みかけていた資料に再び目を通し始める。
 天羽は無視されたことを気にするでもなく、寸前まで金澤が立っていた場所へ移動する。同じように外を眺めた。
「そういえば、何を黄昏れてたの? 金やん」
 外に目を向けたまま天羽が訊いてくる。
「何が」
「さっき窓際で黄昏れてた。っていうか、黄昏てるのが見えたから来てみたんだけど」
 振り向いた天羽の口元には笑みが浮かんでいる。何かを含んでいるような笑みに舌打ちしたくなるが、そういう気持ちは表に出さず、背もたれに体を預けて笑みを返す。
「さすがの観察眼をお持ちで」
 からかわれたつもりだったのだが、天羽は全く意に介していない。
「当然! 金やん、遠い目をしてたよ」
 一番やっかいな相手に見られた。天羽の観察眼は侮れない。
「最近よく聞くんだけど、火原さんの音が変わったって。実は私もそう思ってたんだけど、金やんもそう聞こえる?」
 鋭く核心に迫ってこようとしているのがわかった。
 逃れる術を探ろうとしたが、面倒だった。
 天羽にはもうバレているのだろう。隠し立てしたところで余計な興味を抱かせるだけだ。
「聞こえるさ。あいつの音はまるっきり変わったからな」
 トランペットを吹くことが楽しい、音を出すことが楽しい、それだけだった火原の音に深みが出てきた。誰かを想って吹き始めた。それだけなのに、あんなにも音が変わるなんて思いもしなかった。驚いた。
「あいつは正直だからなー」
「金やんも正直になればいいんじゃないの?」
 すかさず天羽が返してくる。
「俺はこれで充分正直」
 天羽は窓枠に体を預けて金澤に向き直った。
「そうは見えないけど?」
「それはお前さんが穿ちすぎなのさ。これ以上、俺が正直になってもどうしようもないだろうさ」
 初めて、天羽がハッとした表情を見せる。その口から出てくる言葉はなかった。
 金澤は天羽から目を逸らし、背もたれから背を離した。中断していた作業を再開する。だが、目の前にある資料の内容はちっとも頭に入ってこない。それどころか違うことを考え始める。
 天羽は簡単に言う。正直になればいいと。
 わかっていないのだ。
 今更、どう正直になればいいというのだ。
 火原のようには、自分の感情を吐露することなど出来ない。
 好きだという気持ちだけで、何もかもを解決できるほどに金澤を取り巻く世界は単純ではない。
 好きだというのは簡単なことだが、それだけでは済まない。そこから発する様々なことは実に煩わしい。金澤にはそれらがまとわりついてくるのだ。
 そうしたものを全て振り切れるほど、自分の感情が強くないこともわかっている。
「金やん、私、帰るね」
 完全に黙してしまった金澤に天羽が声を掛ける。金澤に話しかけることは諦めたらしい。
 顔も上げず「おー、さっさと帰れー」と返した。
「じゃ、失礼しましたー」
 天羽が去ってしまうと、静寂が訪れる。それは天羽が来る前には感じなかった静寂。
 窓の外はいつの間にか赤く染まり始めていた。
 開け放ったままの窓を閉めるために立ち上がったついでに、また煙草に火を付けた。窓を閉める前にもう一本。
 窓枠に手をついて、正門前を行き来する生徒達を見下ろす。
 無意識に目を細めていた。
「………羨ましいと思うなんざ、俺も焼きが回ったかね」
 金澤の独り言は誰に聞かれることもなく、煙草の煙と一緒に宙に消えていった。

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