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「金澤せんせーい!」
声が聞こえる前から、その足音で誰が近づいてきているのかわかっていた。
早いこと目の前の人物との会話を切り上げたかった金澤にとって、それは天の助けにも近かった。
「………あっ」
近づいてきてようやく、金澤の傍に人がいることに気がついたらしい。走っていたスピードが落ちる。
「あの、すみません………お邪魔してしまいました」
「いや、気にしなくていい」
そう言ったのは、金澤ではなかった。金澤の隣に移動してきた吉羅である。
彼はこの学院の理事の一人だ。若いが、有能である。同時に対峙する場合には気を抜けない相手だ。何を考えているのかさっぱりわからないのである。人を見る目は厳しく、その目は何もかもを見透かしているようにさえ思えるほど。
「何か用だったのか?」
白衣のポケットに手を突っ込みながら、金澤は香穂子を促した。
日野香穂子。普通科の二年生。これといって目立つ生徒でもなかったのだが、この春に行われたコンクールで見事な成績を収めた。それから香穂子の周囲は一変したといってもいいだろう。
そして、金澤もまた―――。
「えっと………いえ、後でいいです」
香穂子は大人しく引き下がった。他人がいる前では話せないことだったのだろう。
おおよその想像は付くが。
「そうか」
「はい。それじゃあ………」
二人のやりとりを吉羅がじっと見ていることに気がついていたが、その視線が刺さる。
嫌な感じだ。
「おー」
ひらひらと手を振ると、香穂子は踵を返して去っていった。
(さて………と)
金澤は吉羅に向き直る。
それは会話を続けるためではなく、自分もここから辞去する意を伝えるためだった。
「それじゃ、これで………」
吉羅は何も言わなかった。それをいいことに白衣を翻したところで、呼び止められた。
「金澤さん」
「何ですか」
うんざりした表情を隠すのにも疲れた。肩越しに振り返る。
感情のこもらない口調がまた吉羅が理解不能な人物であることを知らしめる。理解しようとは思わないが、こうも何も掴ませない人物は不気味である。
(触らぬ神に祟りなし………ってな)
そんな諺がよく似合う。
「気をつけた方がいいですよ」
皮肉るように笑うわけでもなく、渋い顔や険しい顔を見せるわけでもなく、無表情でそれだけを告げると、吉羅のほうが先にその場を去っていってしまった。
取り残された金澤はその背中が見えなくなるまで見送って、そしてため息を吐き出し、額にかかる前髪を掻き上げた。
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