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さて、どうするか。
金澤は途方に暮れていた。
「先生ってば! 聞いてる!?」
ばしばしと強い力で腕を叩かれる。
「はいはい。聞いてるよ」
応えてから、深々と息を吐いた。
「ため息つかない!!」
「…………はいはい」
「ハイは一度!!」
「…………………………」
今度は気づかれないように、こっそりとため息をつく。
バレンタインの今日。
香穂子に呼び出され、赴いた放課後の練習室。
チョコレートを渡された。ウィスキーボンボン。手作りではなく、買ってきたものということだった。香穂子はあまりお菓子作りが得意ではないようだから、ちょっと助かったと思った。
しかし、ウィスキーボンボン。
実は、昨日旧友と会い明け方まで飲んでいたのだ。お陰で二日酔い。酒臭いと生徒からも言われたし、厳しい風紀の先生からも生徒に示しがつかないとこっぴどく叱られた。まぁ、風紀の先生から怒られるのは日常茶飯事なので怒られたこと自体はそう打撃ではないが、頭が割れそうに痛いところへあの金切り声で怒鳴られれば、それはかなり苦痛だった。
友人のペースに合わせて飲んでいると、いつも泣きを見る。わかっているのに繰り返してしまうのは学習能力がないとも言うが、その時は楽しいのだからしょうがない。
そんな状態なので、甘いものもちょっと避けたいところだったし、それがウィスキーボンボンとくればうんざりもする。
とはいえ、僅かに頬を赤らめて「これ、どうぞ」と香穂子に差し出されてしまえば、受け取らないわけにはいかない。
「迎え酒ってことで。チョコ食べたら平気なりますよ!」
なんて無責任なことを言って、目の前でラッピングを解いて金澤がチョコレートを口にするのを期待している様子を見れば、そうしないわけにいかない。
なんだかんだで甘いよなぁ、俺。
そう思いながら、チョコレートの入った箱の蓋を開けると、ふわりと漂う甘い香り。
こみ上げてくるものを抑えながら、一つ摘んで口の中に放り込んだ。
「美味しいですか?」
「…………ああ」
それ以外返しようがない。
だが、続けて二つ食べるのにはちょっとつらいものがある。
そこで、金澤は思いついた。
「お前さんも食べてみるか?」
その結果が、金澤の横に座っている香穂子なのである。
どうやら、香穂子は酒にものすごく弱いタイプらしい。
ウィスキーボンボンが美味しいと言い、立て続けに三つ食べた。
それで、妙にテンションの高い香穂子が出来上がってしまったのだった。
つまり、酔っぱらいである。
こんな状態の香穂子を練習室から出すわけにもいかず、かといって香穂子がいつ酔いから醒めるのかも想像がつかない。
「先生、先生」
ばしばしと腕を力強く叩くのだけは止めて欲しい。頭に響く。
「何だ」
「あのね、わたし先生のこと好き」
酒のせいで赤くなっている頬をさらに赤らめて、香穂子がはにかむ。
金澤は不意を突かれて絶句した。
香穂子のこういう不意打ちは金澤の反応を鈍くする。さらりと流してしまえばいいのに、それが出来ない。
恋に不慣れな子どもというわけでもあるまいに。
「…………………そりゃあ、光栄だ」
ようやくそれだけ返した。
が、香穂子からは何も返ってこない。
その代わりに右肩にかかる重み。
そちらへ顔を向けると、香穂子が頭を金澤の肩に預けていた。
「………………そうきたか」
香穂子はすやすやと寝息を立てていた。
「お~い、香穂子さ~ん。こんなところで寝るなー」
もちろん返事はない。
「香穂子ー、香穂子さーん」
右腕を少し動かして揺さぶりを掛けてみたが、起きない。
ますます困った事態になった。
「起きるまで待てってことかね」
今度は咎められることもないので、心おきなく大きなため息をついた。
不特定多数の人が使う練習室。部屋数は少なくないが、何の音も聞こえてこない練習室に、いつ誰が来るかもわからない。この状態を見られては、やはりいろいろと都合も悪い。
香穂子と付き合っていること。それは別段悪いことではない。だが、教師と生徒という立場はそれを許さないものであると相場が決まっている。とてもナンセンスだと思うが、だからといって真っ向から立ち向かっていこうとは思わない。
穏やかに過ごしながら香穂子の卒業を待つほうが、お互いにいいことなのだと思うから。むやみに事を荒立てるのは得策ではない。
たとえ、物足りないとしても。
「…………………身動き出来ないのは辛いなぁ」
金澤は天井を仰いだ。
「まぁ、我慢するしかないってか」
「………………ううん………」
もぞ、と香穂子が身動きした。
「………あれ? ………………って、あれ!?」
金澤の太ももから勢いよく香穂子は顔を上げ体を起こした。
「おはようさん」
「おはようございます………?」
「良く寝てたなぁ」
金澤はゆっくりと立ち上がった。香穂子はぼんやりとその動きを目で追う。
「ええっと………あれ?」
腰に手を当て、胸を反らす。ようやくほっと一息つける。
「何だ。何もわからんのか、お前さん」
「ええっと。チョコレート………食べて、寝ちゃった?」
「酔っぱらって、な」
「嘘!」
「嘘言ってどうする」
コキコキと首を回すと音が出る。ついでに肩も揉んでおく。
「ごごごめんなさい!」
座ったままで、香穂子は深々と頭を下げた。その勢いに、床に頭をぶつけている。
「………………まだ酔っぱらってるのか?」
額を手で押さえて情けない顔になっている香穂子を呆れた目で見る。
「もう大丈夫です」
のろのろと立ち上がる。
「じゃあ出た出た。とっくに下校時刻は過ぎてるからな」
「ええっ!?」
「ほら、早くしろ」
香穂子の背中を押して、練習室を出る。
「じゃ、じゃあ起きるまでずっと待っててくれたんですか!?」
「さぁ?」
練習室のドアを閉めると、手のひらを上に向け肩を竦めると、金澤は香穂子に背を向けて歩き出した。
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