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no smorking

 梅雨が明けたばかりの道路はまだ少し湿り気を帯びていて、それが夏特有の強い光線を放つ太陽に照らされて、蒸すような熱気を立ち上らせている。
 眩しい日差しの下で、金澤は立ち尽くしていた。
 ズボンのポケットに右手を突っ込んで。
 ポケットの中を探るまでもなく、すぐにそれは手の中に収まった。それを引き出して、目の前まで持っていく。
 手のひらに収まるサイズの紙箱。動きに合わせて中に入っている物が静かに動く。
 その感触にため息が出る。
 それから、目の前にある自動販売機を見据えた。
 さっき紙箱を引き出したのとは反対側のポケットには小銭が無造作に放り込まれている。紙箱をもとのポケットにしまうと、今度は小銭の入っているポケットを探る。適当に掴んで出した小銭の金額は四百三十五円。金額を確かめるようにじっと見つめる。
「金やん?」
 不意に声を掛けられ、ぎくりとする。
 何もやましいことはしていないのに、まずいと思ってしまった。
「天羽………」
 内心の動揺は押し隠して、声のしたほうを振り返ると、縁が白い以外は真っ黒の日傘を差した天羽が立っていた。
「何してんの、こんなとこに突っ立って」
「何も」
「あ、煙草買いたいんだ? だけど買うお金がないの?」
「………………金はある」
「じゃあ何で買わないの? ずーっとそうやって自販機を睨みつけてるじゃん」
 いつから見ていたのだ。
「いいんだよ。それよりお前さんはうちにまた遊びに来たのか」
「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん。それに香穂に会いに来たんだからさ。そりゃ新婚さんの家に足繁く通うのもちょっと悪いかなーと思わないでもないけど、香穂が是非って言うし」
 今の天羽自身が言ったとおりに、天羽はよく香穂子の元を訪れている。職場から帰ってくると天羽がいて一緒に夕食を囲むことになることもしばしばだ。
「そうかい」
 金澤は天羽と並んで歩くことになってしまった。
 久しぶりの休日。外は暑いから出かけるのは止めて、家でゆっくり過ごすことにしていたのだ。水を差されたような気分になってしまう。
 何かと活発な香穂子はことある毎に金澤を外へ引っ張り出す。どうせなら、家の中で誰に邪魔されることなく二人きりで過ごしたいと思う金澤は、いったんは渋るものの「だってやっとおおっぴらに一緒に出かけられるようになったんだもの」という香穂子の言葉には弱かった。
 ただ、その言葉を聞くようになってからもう五年が過ぎているのだが。
 二人が住んでいるアパートへやってくると、金澤がドアを開けて自分が先に入る。
「おーい。天羽が来てるぞ」
 中へ呼びかけてから、天羽を招き入れた。
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃーい」
 スリッパの音を鳴らして、小走りで香穂子がリビングから出てくる。
 たったそれだけのことにハラハラする。心配しすぎなのはわかっているが、どこまで大丈夫なのか、どこまで心配したらいいのかもよくわからないから仕方がない。そんな金澤を香穂子は笑うけれども。
「急にごめんねー」
「ううん。平気。今日はちょうど家にいたし」
 玄関で言葉を交わし始める二人を置いて、金澤は先にリビングへと入る。
 エアコンの冷風が迎える。それほど長い間外に出ていたわけではないが、すうっと熱が引いていく。
 そのまま台所に立ち、冷蔵庫の中から香穂子お手製のアイスティをグラス三つに注いだ。その頃には涼しいリビングに香穂子と天羽が入ってくる。
「淹れてくれたの? ありがとう」
 天羽にソファーを勧めた香穂子が台所へ移動してきてグラスに注がれたアイスティを嬉しそうに見る。
 トレイに三人分のアイスティを載せ並んでリビングへ戻ると、天羽はソファーに座らずサイドボードの上にある写真立てを覗いていた。
「この写真、新しくなってる」
「うん。昨日入れ替えたばっかりなんだ」
 アイスティのグラスをテーブルに並べながら、香穂子が応える。
「じゃあ、どうぞごゆっくり」
 グラスを一つテーブルから取り上げて、金澤はリビングを後にしようとする。
「え? 一緒に話さないの?」
 天羽が声を掛けるが、女同士の話に同席するつもりは毛頭ない。
「一緒にいて欲しいんだけど、今日は」
 天羽はからかい半分で金澤に声を掛けたに過ぎないのだろうが、香穂子はいつもなら金澤の好きにさせてくれる。だから今日のような発言は珍しい。思い起こすに、結婚することを報告した時以来ではないだろうか。
 それで、わかった。
 香穂子が天羽に何を話すつもりでいるのか。
「何? 何か深刻なこと?」
 天羽も金澤と同じ事に気がついているのだろう。結婚の報告を受けた時と同じ状況に。
「うん。実はね」
 金澤が横に座るのを待って、香穂子が口を開く。
「赤ちゃんが出来ました」
「うっそ………」
 天羽は唖然とした顔をしていたが、次の瞬間にはその顔に笑みが浮かぶ。
「ホント! おめでとう!!」
「ありがとう」
 横目で窺うと、香穂子は頬を桃色に染めてはにかんでいる。
「そっかぁ。良かったねぇ。そっか、そっかぁ………だからね」
 最初は単純に喜んでいただけの天羽だが、途中から変わった。金澤を斜めに見る。
 まずい。勘付かれた。
 それがわかりやすく表情に出てしまったらしい。
「何が?」
 香穂子がきょとんとしている。
 天羽は意地の悪い笑顔を見せた。
「金やん。さっき、煙草の自販機の前でずーっと佇んでたんだよ。思案深げにしながらさ」
「え?」
「そういや、結局金やん煙草買わなかったよね」
 余計なことを。
「そうなの?」
 香穂子の今度の疑問符は金澤に向けられる。
 気まずくて、金澤はアイスティを煽った。グラスの中で傾いた氷が音を立てる。
「そういうわけだったのね。なるほどなるほど」
 金澤は何も言っていないのに、天羽は勝手に納得している。だが、それは概ね間違っていない。だから否定しようもない。
 それに。
 とても嬉しそうに香穂子が笑っていたから―――。
(まぁいいさ)
 こんな顔を見ることができたのなら。
 未練を残していたこのポケットの一本も、潔く捨てることができる。

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