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出逢ってから十二年になる。
もう十二年か、それとも、ようやく十二年か。
自分自身の感覚としては、「もう」十二年だ。それはきっと香穂子も同じだろう。ついでに言えば、「もう十二年になっちゃった」と思っているに違いない。
今日は久しぶりのデートである。
最近では甘い雰囲気など全くないので、デートというよりは単なる近況報告会みたいなものだ。
それもこれも自分に余裕がなかったせいだし、自分に課した目標を達成するまでは、その目標に向かってただひたすらに前進していたかった。
こんな自分に、香穂子はさほどの文句も言わず、見守ってここまで来てくれた。本当に有り難いことだ。最初から気骨のある女だとは思っていたが、我慢強い女でもあったのだと改めて思う。
待ち合わせは十時に桜木町の駅前。
十五分前に土浦はその場所に着いた。香穂子の姿はまだ見えない。
人の流れに邪魔にならないように、コンコースの端で香穂子を待つ。
日曜日の桜木町の駅は、本当に人が多い。電車が着く度にどっと人が吐き出されてくる。この中に、香穂子はいるはずである。見逃さないように、人の流れに目をこらす。自慢ではないが、これまで香穂子を見逃したことはない。
といっても、多くは香穂子のほうが先に来て土浦を待っているのだが。
しかし、今日の土浦は今までの自分と違う。そして、伝えたいことがある。その気合いが、今日は土浦を先に待ち合わせ場所に到達させた。
九時五十五分になって、香穂子が現れた。
ぽんと、背中を叩かれるまで気付かなかった。その時のショックは否めない。見つけられるという自負が、寄りにもよって今日崩されたのだから。
「実は一時間くらい前に着いてたの。コーヒー飲んでたんだ」
なんのことはなかった。思っていたのと逆方向から来ただけだった。それでも、少しはショックが残ったが。
「とりあえず、どこに行く?」
年は重ねても、変わらない笑顔。まっすぐに伸びた背筋は、今も続けているヴァイオリンのため。
高校生の時に始めたヴァイオリンを香穂子は生業とした。といっても、もちろんプロになるほどではなかったが、音楽教室で生徒を受け持つほどの腕前である。自身の経験から生徒たちに好評であるようだとは、今でも交流のある天羽からの情報だ。
「少し歩くか。日差しがちょっと強いけど、臨海公園まで行けば潮風が気持ちいいだろ」
「オッケー」
駅を出るとすかさず香穂子は白い日傘を差した。
実は、土浦は日傘が余り好きではない。人前でべたべたするのは好まない土浦でも、傘の分、香穂子と距離が出来るのは余り面白くないのだ。もちろん、そんなことはおくびにも出さないが。
十二年付き合ってきて、余り変わったとは思っていないが、ふとした瞬間に気が付くことがある。それはこの日傘だったり、最近体重が減りにくいなんて香穂子の愚痴だったり、懲りやすくなった自分の体だったり。
そういうことに気付いたときに、なんとも居たたまれない気持ちになることがある。
それだけの長い時間を、過ごさせてしまったことに。
そうわかっていても、どうしようもなかった。自分には達したい目標がある。それは香穂子にもはっきり伝えていたし、それを自分から覆すわけにもいかなかったから。
居たたまれない気持ちと、自分の決意とのジレンマが何度も訪れては去って行った。
いい加減、そのジレンマとは決別したい。そして、それは近い。
梅雨明け宣言はまだ出ていない。今日は、二人のデートを祝福するかのように、梅雨の晴れ間に恵まれた。空気も心なしか爽やかだ。梅雨独特のまとわりつくような不快感がない。
そんな空気の中で、とりとめの無いことを話しながら臨海公園を目指す。
「久しぶりに来たね」
公園に足を踏み入れた香穂子の第一声はそれだった。
「そうだな」
公園自体、大人になって余り来ることがなくなった。学生のうちはよく来ていたものだが。
「あそこが空いてる。少し座らないか」
「うん」
並んで座る二人を潮風が撫でていく。
「それでどうしたの?」
座るのを待ち構えていたような言葉に、ちょっと身を引く。見透かされているようなところが怖い。
「どうしたのって、なんだ」
「だって、こんな場所、普段だったら来ないでしょ? 何かあるのかなぁって思うじゃない」
「そうか………」
隠し事なんてとっくに意味が無くなっている十二年。
それならこれ以上勿体ぶったって意味が無い。
それに、早く決着を付けてしまいたい気持ちも大いにある。
「あのな。この間、プロオケの指揮者として採用されたって話しただろ」
「うん」
少し、香穂子の顔に陰が刺す。少し、言い方が悪かったか。
プロオケの指揮者になること、それが土浦の目標だった。小さくてもいい。安定した収入が見込まれる状態になることが大事だった。そうでなければ、その先には踏み出せないと思っていたから。
そして、それはほんの少し前に叶った。今は、そのオケで練習を重ねる日々。
「別に、その話がなくなったとかじゃないぞ」
香穂子の気持ちを汲んでそう言うと、はっきりとホッとした表情になる。
「まだ最初の公演日も迎えてないから、時期尚早かと思わないでもなかったんだが、けりを付けるにはいいかと思って」
そう言って、パンツのポケットから小さな天鵞絨の箱を取り出す。
あからさますぎて恥ずかしすぎるが、ここが男の見せどころだともわかっている。
「これ、受けてくれないか」
中に入っているのは、リング。ピンクゴールドのリングに小さなダイヤモンドが三つ並んでいるだけの、シンプルで華奢なもの。太陽の光を受けて、ダイヤモンドがきらりと輝きを放つ。
香穂子に向けてひらいた小箱の真ん中にあるリングを凝視していた香穂子から真っ先に出て来たのは、ぼろっと大きな涙の粒だった。ぎょっと、思わず箱を取り落としそうになる。
「や、やだもう。なんで今なの!?」
続いてきた香穂子の言葉は、自身の涙に対するものなのか、土浦の行動に対するものなのかわからない。だが、否定する様子はなかった。
「もう、貰えないのかと思ってた」
上目遣いの香穂子の瞳はまだ濡れているが、もう涙は溢れていない。口元には笑み。それだけで、土浦は全身から力が抜けるような気がした。
「ね、付けて」
差し出された香穂子の左手。
「ああ………」
リングに伸ばした指が震えているのに気が付いた。情けない。なんでこんなことで手が震えるのか。
いや、こんなことだからか。
震えようとする手をなんとかコントロールして、香穂子の薬指にリングを通す。サイズに間違いはなかったが、やはりちゃんと嵌まるのか少しだけハラハラした。
「ありがとう」
手をかざして、香穂子はしげしげとリングを見ている。
「ごめんな」
香穂子を見ていると、勝手に口から零れた。
「え?」
リングを見ていた香穂子の視線が土浦に移る。
「いや、長いこと待たせたから」
香穂子から視線を逸らしたのは、やはり罪悪感を持っていたからだ。
「そうだねぇ。長かったよね。十二年だもんね」
香穂子の言葉は容赦ない。だが、「もう」も「ようやく」も、付かなかった。
「でも、そうと決めてたのは知ってたから………少しはやきもきしたけどね」
リングの嵌まっているほうの手が、土浦の手に重ねられる。視線が香穂子に戻る。
「だから、一つだけペナルティね」
香穂子の目がきらりと光ったような気がした。こういう目をするときは、何を言い出すのかわからないから、身構える。
「ちゃんと、言葉にして伝えて。この指輪の意味」
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