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夏の終わりに

 転校してきて、ヴァイオリン漬けの毎日で、コンクールだの何だのって目まぐるしく過ごしているうちに、夏は終わりに近づいていたから、少しくらい夏っぽいことをしてもいいかと思ったのは事実だ。
 別にものすごく楽しみにしていたわけではないが、この夏同じくヴァイオリン漬けになっていて、遊ぶ暇も余りなかったかなでが珍しく自分から行きたいなんて言うから、じゃあってその気になって、それで今日出かけることになったというだけだ。
 行き先は水族館。もちろんかなでのリクエストだ。地元には水族館らしい水族館もなかったし、大きな見応えのある水族館があるのなら、見てみてもいいと思った。
 あくまでも、かなでの付き添い。かなでを一人で放り出すわけにいかないから、一緒に行く、それだけ。
 それだけ、なのだが。
 このメールはなんなんだ。
 珍しく寝坊することもなく、てきぱきと身支度を済ませようとしていたところに、ベッドの上に置き去りにしていたスマートフォンが震えて知らせたメールの着信。
 手に取って確認してみればかなでから。
 メッセージは短く、「今日のお出かけは中止にしよう」。
 その理由も何も書いていない。だからこそ、切羽詰まった感じはする。しかし、余りに一方的ではないか。
 だから、すぐに電話をかける。
「なんだよ、中止って」
 呼び出し音が切れるとすぐに、勢い込んでかなでにぶつけた。
 勢いに、かなでが一瞬黙ったのがわかる。少し待つと「ごめんね」と返ってきた。
「ごめんじゃないだろ。なんだよ、理由もなしにドタキャンはないだろ」
「ご、ごめん………あ」
 また言った、とはお互いに言わなかったが、言いたくなった気持ちは伝わっていた。そして、自分の苛立ちも。
「あのね、急に嫌になったとかじゃないんだよ。すっごく行きたいの。それは絶対そうなんだけど………」
「じゃあ、なんで」
 続く言葉を待てずについ急かしてしまう。
「う………言わなきゃ、駄目?」
「当たり前だろ」
「………………………言いたくない」
「お前なぁ!」
「だって!」
 響也の声に負けないよう、かなでも声を張る。
「だって………恥ずかしいもん。響也絶対に笑うし」
「なんで、そう決めつけるんだよ」
「それくらい、長年一緒にいるんだからわかるよ」
 今度は響也が黙ってしまう。
「だから、絶対、響也は笑う。っていうか、絶対、バカにする!」
「な、なんだ、その断言」
 意図していなかった反応をしてしまった恥ずかしさから急いで立ち直ろうと、無駄に噛みついてみる。
「そうなの! 絶対そうなの!」
「じゃあ、言ってみろよ。ぜってぇ笑わねぇから」
「や、やだ! やだよ!」
「言えって!」
「やだってば!」
「言えって! オレ、ドタキャンされてんだぞ!」
 かなでが怯んだ。そして、折れた。
「………笑わない? バカにしない?」
「しねぇって」
 それでも一呼吸分の間があって、ようやくその理由が明かされる。
「鼻の頭にね………ニキビが出来ちゃったの」
「は?」
 かなでの言葉が聞き取れなかったわけではない。意味がわからなかったのだ。
「だから! めっちゃくちゃ目立つところにニキビが出来ちゃって、恥ずかしくて外に出たくないの!」
「はあ!?」
 理由を理解した。その上での「はあ!?」だった。
「バッカじゃねぇ!?」
「ほらやっぱり! バカにしたじゃない!!」
 思わず口にしてしまった言葉に、かなでが敏感に反応する。だが、響也には謝る気は無かった。本当に、本当にバカらしい理由でしかないからだ。
「お前、そのニキビが治るまで引きこもる気かよ!? 何日かかるんだよ、んなの! 明日からまた練習あんだぞ!?」
「そ、それはしょうがないから、行くけど」
「じゃあ、別に今日出かけんのも変わらないだろうが」
「変わるよ! 今日はお出かけなんだから! 響也の隣を歩くのに、こんな恥ずかしい顔じゃやだよ!」
「はあ!? 何言って、ん、だ………?」
 途中から勢いをなくす。かなでの言っていることがどんどんわからなくなる。
「ええと、何だ。ニキビがあるから、オレの隣を歩きたくないってことだよな」
「そうだよ! こんな顔、響也に見られたくない」
 耳が熱い。スマートフォンで電話をしていると、こうなる。暑いこの時期だと、耳が汗を掻いて画面が濡れる程だ。しかし、今はそれだけの理由じゃない。
 熱いのは耳だけじゃない。顔全体が熱くなっているのがわかる。
 かなでが何を言わんとしていたか―――所謂、乙女心というやつだ。それにようやく気付いた。
 そこにある、かなでの響也への想いも。
 多分、そんな理由で響也と一緒に歩きたくない、顔を見られたくないなんて言われたのは、今が初めてだ。地元に居た頃、そんなことをかなで自身気にしていなかったはずだ。ニキビが出来ちゃったなんて、ちょっとは恥ずかしそうな顔をしていたけど、そういうこともあけすけに響也に話していた。
 それなのに。
 この横浜に来て、一ヶ月半。まさか、そんな発言がかなでから出てくるなんて。
 これじゃあ―――否応なく、響也も自分の中にあるかなでへの想いを意識させられてしまう。ずっと、自分の胸の奥深くに隠してきていた想いを。かなでの発言の真意を知った今、それを愛しいと思ってしまったことも。
「………お前の言ってることはわかった。けど、水族館には行く」
「なんで!?」
 絶叫にも近い声だった。
「なんでって、ニキビの一つや二つ、出かけない理由になんかならねぇからな」
「だって、わたしの言ってること、わかったって言ったのに!」
「わかってる上で言ってんだろうが。かなでが気にしてもしなくても、そんな理由でかなでと二人で出かけるチャンスをフイにする気はないからな」
 ああ、もう本当に熱い。
 なんで、こんなやりとりを朝っぱらからしなきゃならないのだ。顔だけじゃなくて、全身から汗が噴き出してくる。これは、出かける前にシャワーを浴びないとならない。
「わかったな、しょうがねぇからあと一時間は待っててやる。一時間後には寮の玄関で待ってろよ!」
「響也!」
「オレはお前の言うことなんか聞かねぇからな!」
 そう言い切って、一方的に電話を切った。
 スマートフォンの画面は、やはりびしょ濡れで、それをジーパンで拭き取った。それからタオルを引っかけて風呂場へ向かう。
 一時間後、かなでが約束を違えることなく、玄関に現れるかどうか―――。
 来る、と思う。
 だけど、断言するには自信がなかったりもする。
「はぁ………………」
 深い深いため息が零れた。






鼻にニキビは実体験から思いつきました。というか、この1週間それに悩まされたので、それを題材にしてみたんですけれども。実際にはこんなウキウキなイベントはなかったですよ、もちろん。

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